第28話 老老介護の家で
押山の車から降りると、ほう、と藤倉は息をついた。歴史を感じさせる木造建築に、今はめったに見なくなったすりガラスが入った引き戸の玄関。庭に面して縁側があり、これまたほとんど見かけなくなった木製の雨戸が中途半端に出ている。
実家によく似た家の作りに、藤倉は不意に子どもの頃を思い出した。湿気の影響を受けやすい木製の雨戸は、梅雨の時期になると滑りが悪くなる。母親に言われて雨戸の溝にロウ石をこすりつけて滑りを良くしたものだ。
藤倉は束の間、思い出に浸っていたが、ガラガラとやかましい音を立てる玄関の音で我に返った。
「柴田さん、こんにちは」
元気に挨拶をする押山の後ろで藤倉も朝倉も挨拶を口にする。
「この前、説明したセンサーの設置に来ましたよ。こちらはセンサーの業者さんです」
押山の説明に可愛らしいくらい小柄な男性が丁寧に頭をさげた。。
「そうですか。ご苦労様です」
靴を脱いで廊下にあがると、家の中はお世辞にも綺麗とは言い難い。鼻が引っ張られるような独特のすえた匂いに、藤倉は思わずマスクの中でシワを寄せた。失礼とは思いつつも、藤倉はかすかに口を開けて口呼吸に切り替える。
後ろについてきている朝倉をちらっと振り返れば、眉間にシワが生まれつつもなんとか平常心を保っている。朝倉は入居施設をメインに担当しているので、在宅関係の仕事は初めてのはずだ。おそらく、在宅介護を必要とする方の家に上がったのは、初めてではなかろうか。施設との違いにさぞかし衝撃を受けているであろう。
事前に説明してやればよかったな、と少しばかり後悔したところで、旦那さんが「こちらです」といって襖をあけた。
途端に何とも言えない清楚な香りが鼻孔をつく。息をしやすい空気に藤倉は軽く目を見開いた。
日当たりの良い窓際に面してベッドが置かれており、陽だまりという言葉がぴったりなくらい温かい空間がそこにあった。庭に咲いていたのだろうか。牛乳瓶に入れられた雑草のような花が窓辺に飾られている。奥さんの部屋は驚くほど小ぎれいに手入れされていた。奥さんが少しでも快適に過ごせるための気配りに溢れた部屋は、藤倉の胸をじんわりと温めた。
「あら、イグサのいい匂い。柴田さん、畳み張り替えたの?」
部屋に踏み入れるなり、押山が驚いたように声を上げた。
「女房が喜ぶと思って」
照れくさそうに頭をかく姿が微笑ましい。
「それにしても、いつかいでもこのお香、いい香りですね。白檀でしたっけ?」
「まぁ、女房の実家がお寺ですから」
だから、白檀の香りなのか、と藤倉は得心した。
押山が奥さんを車いすに移乗させている間、藤倉と朝倉は邪魔にならないように部屋の隅に移動する。朝倉は首を動かさず、物珍しそうに眼をきょろきょろさせていた。
移乗が終わると素早く見守りセンサーの設置に取り掛かる。
「離床センサーはどうしましょう?ご使用になられますか?」
藤倉が奥さんに話しかけている押山に遠慮がちに声をかけると、彼女は思案するように小首をかしげた。
「そうね。離床はいらないかな。あっ、でもそれで部屋の温度が測れるのよね。そしたら、一応付けといてちょうだい」
藤倉は頷き、ベッドの足元に離床センサーを両面テープで固定した。物珍しそうに見学していた主人が「これはどのようなものですか?」と質問をしたので、朝倉がかみ砕いて丁寧に説明をする。
熱心にふんふん、と頷く自分の父親と同じくらいの年代の男性を見つめながら、藤倉は、いつか自分の親にも見守りセンサーをつける日が来るのだろうか、と考えた。それは必ずしも歓迎すべき未来の図ではない。
お袋はガンで十年も前に他界しているが、親父は高齢者とは思えない健脚ぶりで、しょっちゅう裏山に山菜を取りに行ってはてんぷらにして食べている。まだまだ介護とは無縁、そう思いたい。
センサーの設置を終えて、動作確認をすると速やかに撤収の準備をした。
「施設は嫌だ、というこちらのわがままでお手を煩わせてしまいすみません。押山さんには、いつも感謝しています」
両手を膝に乗せながら頭を下げる主人に、押山は笑いながら顔の前で手を振った。
「迷惑だなんてとんでもないですよ。最後まで家で過ごしたいお気持ちは分かります。困ったことがあったら、遠慮なくいってくださいね」
玄関まで見送りに来た主人に藤倉は頭を下げ、押山の車に乗り込む。家を出る直前で振り向くと、主人は車が角を曲がって見えなくなるまで見送っていた。
物腰が柔らかいにも関わらず、いい意味で頑固という言葉が足元から漂ってくるような御仁だ。自分の人生に、生き方に、夫婦の在り方に頑固さを貫く、その気概が羨ましくも、妬ましくも感じる。
老老介護は体験した者ではないとわからない辛さがある。きっと、言葉で伝えても他者には半分も伝わらないのだろう。それでも、あの夫婦が深い愛情と絆で結ばれていることは、話を聞かなくても生活ぶりを見れば容易に伺い知れる。
藤倉は相変わらずよく話す押山の相手を朝倉に任せつつ、流れる車窓を見つめた。
もし、妻に介護が必要な状態になったら、本人が望めばお迎えが来るまで自宅で面倒を見てやりたいと思う。そして、自分に介護が必要になったら、あの老夫婦のように介護して欲しいと思う。しかし、様々な介護現場を見てきた身としては、とてもそんなことを妻に要求することはできない。
在宅介護は精神的にも肉体的にも苦痛と言えるほどの負担がかかる場合が多い。その負担を相手にかけることが申し訳ないと思うからこそ、きっと俺は、将来的に老人ホームに入る選択肢を取るのだろう。
しかし、最後の最後まで負担を掛けあうことができるあの老夫婦の、なんと素晴らしいことか。本人たちの心境がどのようなものかは俺にはわからない。しかし、二人の顔は終始穏やかだった。
時代とともに夫婦の在り方も、人生の終幕の引き方も変わる。されど、どの時代でも人の手を必要とした高齢者は、住み慣れた家で、親しんだ人に囲まれて穏やかに目を閉じたいと思うのではないだろうか。少なくとも俺はそう思う。




