第17話 月夜の晩酌と人生の話
「先にどっち飲む?」
「こっち」
指さされた緑色の瓶を開けお互いお酌し合うと、おつかれ、と言いながらおちょこを傾ける。
「飲みやすい!」
「だな」
ネギ味噌を箸でちまちまつまみながら、真壁は出張先で訪問した介護施設の話をした。恵子は福祉用具機器を扱う会社で営業事務の仕事をしているので、この業界の話をするにはいい相手だ。
古本屋のような居室にいた久保田のことを話すと、恵子はなるほどね、と言いながら頬杖をつく。
「私、思ったんだけどさ、人って死ぬときは死ぬじゃん?寝たきりになった状態で、それでもかいがいしく介護されて生きてい行く意義って、その人にとってなんなんだろうね?」
「さぁな」
この手の疑問は答えが出ないだけに、真壁は考えることを早々に放棄している。入居者がどのような心境で介護を受けようが、関係ない。自分のやるべき仕事は決まっている。
自力で起き上がれなくなり、コミュニケーションがろくに取れなくなり、食べ物を食べ物と認識できなくなるほど認知機能が低下した状態で、生きていく意義を問うこと自体、無駄な事だとは思う。そもそもこの国では尊厳死が認められていないため、人生の幕引きのタイミングを自分で決めるとしたら自殺という方法でしか選ぶことができない。しかし、高齢になったらその方法すらも選ぶことが難しい。
もし、自分の認知機能が徐々に低下し、食事だけでなく用を足すのも全て介助が必要になったら、仏様のお迎えが待ち遠しい、と思う人もいるだろう。自分の認知機能が低下している状況を認知できる状態で、余生を過ごすことは恐怖に違いない。いや、それすらも認知できなくなる可能性だって十分にあり得る。
そんな真壁の思考を読み取ったかのように恵子は大きく伸びをした。
「あーあ。どうして日本は尊厳死が認められていないのかしら。寝たきりでなにもわかんなくなっちゃっても、生かされるなんてしんどくない?本人の意思とは別に何とかして生かそうってするのって、周りのエゴだと思うんだけど、どう思う?」
「日本でも尊厳死は認められる場合もあるぞ」
「それは延命治療を拒否する権利が認められている、ってだけでしょ。あくまでも回復の見込みがない患者や、その家族の希望があれば可能だけど、『今日、人生を終えたいです』って言ってもオッケーなわけないじゃん」
手酌で二本目の地酒をおちょこに注ぎながら、恵子は愚痴をこぼすように言った。
「自分で死ぬタイミングを選べるようになったらいいのにな、ってこと。私、もし、自分が認知症になって自分の家族のこともわからなくなっちゃうんだったら、正常に頭が機能しているうちに、思い出を抱いて死にたいわ」
「俺は恵子が認知症になって俺のこと忘れても、添い遂げる自信があるぞ」
「それはあなたのエゴじゃない」
鋭くぴしゃりと恵子は言った。
「人によるとは思うけど、認知症になったら、自分がどんどん物事がわからなくなっている、って自覚をしながら生きている人もいるのよ。もし、自分がそうなったらと思うと、恐怖でしかないわ」
「尊厳死が簡単に選べる社会になったら、どうして高齢者はさっさと死なないんだ?っていう風潮が生まれるんじゃないか?社会的に生産性のない人をなぜ税金で養う必要があるのか、っていう意見は間違いなく出てくると思けどなぁ」
「まぁ、そうかもしんないけど」
夫の正論パンチに妻は頬を膨らませた。
「やっぱ、この仕事しているとさ、日本の介護って世界的に見ても最先端だし手厚いなって思うけど、自分が高齢者になった時に、寝たきりの状態にもかかわらずただ生かされるために介護なんて受けたくないな、って思うのよ」
黙って頷きながら真壁はネギ味噌をつまんだ。妻がそう思う気持ちはよくわかる。
「介護予防に特化した仕事をしたいな。うちの会社、色々扱っているけど介護予防系は弱いんだよね。なにか資格取ろうかな」
「介護予防指導士とかか?」
「そうね。講座を受ければ取れるし。でも、知識を実践しようとするとなると、経験を積まないと身にはつかないのよね」
「ま、何事もそうだな」
真壁はほとんど残ってない瓶を傾け、残り僅かな地酒を自分のおちょこに注いだ。
「今の会社は働きやすいし、フルリモートでもできるから、辞めようとは思わないけど、先ずは自分がボケないように、生活レベルで活用できる知識を勉強したいというか」
「同じようなことを言って、前になんか資格取ってなかったか?」
「終活カウンセラーね」
興味がなさそうな言い方に真壁は若干眉をひそめた。妻が資格取得のために勉強がしたい、と言った時には真壁は妻が勉強に集中できるように、仕事しながらほぼすべての家事を担当したのだ。
「その資格はどうなんだ?」
「まぁ、役に立つよ。遺産相続とか法律的なことも勉強できたし。何より定年退職した時に、年金と失業保険を同時で受け取れるって知った時には衝撃だったわ」
「え!そうなのか?」
「社会保険に加入していれば、可能なのよ。ほんと、こういうのって国は教えてくれないよね。実践できるかどうかはいったん置いといて、知識は詰め込めるだけ詰め込んどいて損は無いわ」
最後の味玉こんにゃくを口に放り込みながら恵子は真顔で言った。
「私、おむつが必要になったらさっさと死にたい。そこまでして長生きしたいと思わない」
「いまから終活しとくか?エンディングノートでも書いとく?」
恵子の真顔を受け流して半笑いで真壁は答えた。
「オムツになったら殺してほしい、って書いとくわ」
「俺を殺人者にするつもりか」
お互いひとしきり笑い合うと、空になったおちょこを軽くぶつけあった。




