33. 通信制の面談と、代理の『叔父』
33. 通信制の面談と、代理の『叔父』
「……で、なんでオレがこんなところにいるんだ?」
「えへへ。似合ってるよ、センセ。そのスーツ」
大会を目前に控えた、ある平日の午後。オレは慣れないネイビーのスーツに身を包み、柚葉が通う通信制高校のサポートキャンパスの廊下で、パイプ椅子に並んで座っていた。
事の発端は今朝、タワマンの主である小鳥遊社長(柚葉の叔母)からの電話だ。
『ごめんなさい鳴海君!今日どうしても外せない海外とのオンライン会議が入っちゃって……柚葉の三者面談、私の弟(若い叔父)ってことで代わりに出てちょうだい!』
と、有無を言わさぬ圧で丸投げされたのである。普段はだぼだぼのパーカーで過ごしている柚葉も、今日ばかりは指定の制服を着ている。通信制とはいえ、一応ブレザーにチェックのスカートという、いかにもな女子高生スタイルだ。
柚葉はパイプ椅子の上で少し身を乗り出し、自分のスカートの裾をひらりと揺らして、上目遣いでオレを見た。
「ねえセンセ。どう? 私の制服姿」
「……まぁ、年相応だろ。普段のダル着よりは学生らしくていいんじゃないか」
「えー、それだけ? もっとさ……『ヤバい、帰ったら制服プレイしよう!』とかないの?w」
「お前、学校の廊下で何言ってんだよ!発情期の猫か!」
オレが小声で全力でツッコミを入れると、柚葉は悪びれもせずに両手で頭の上に猫耳のポーズを作り、オレの顔を至近距離から覗き込んできた。
「にゃ〜ん。可愛い?」
「黙れ」
オレが冷たくあしらってそっぽを向くと、柚葉は「ちぇー、ムッツリ」と不満げに唇を尖らせた。
……普通に可愛いからやめろ
「センセと制服で並んでると、保護者代理っていうか、完全にパパ活か援助交際……痛っ!」
「だから学校でふざけんな。いいか、オレは今日『歳の離れた叔父』だ。ボロを出したら明日の特訓メニュー倍にするからな」
オレが額にデコピンを見舞って釘を刺したところで、面談室のドアが開き、中から担任の先生――温和そうな中年の女性教師が顔を出した。
「次、小鳥遊さん。どうぞ」
「はーい。……ほら、行くよ『叔父さん』」
教室に入り、先生と向かい合う形で席に着く。オレはあらかじめ用意していた「仕事が忙しい姉の代わりに参りました、叔父の理人です」という口上をスラスラと述べ、なんとか保護者としての体裁を取り繕った。
最初は、ごく普通の面談だった。
通信制ならではの、自宅でのレポートの進捗状況や、オンライン授業の視聴時間についての事務的な確認。オレは適当に頷きながら、「家でもよく机に向かっています」と当たり障りのない返答を繰り返した。
(まあ、実際は机に向かってFPSの定点とロジックの『お勉強』ばかりしているのだが)
面談が始まって十分ほど経った頃。
先生はふと手元のタブレットを置き、柚葉に向かって微笑んだ。
「……柚葉さん。ごめんなさい、この後渡す予定だった『来月のスクーリング(登校日)の選択予定表』、職員室の私の机の上に忘れちゃったみたい。悪いんだけど、ちょっと取ってきてくれるかしら?」
「えー?先生ドジだなぁ。わかりました、行ってきます」
柚葉は特に疑う様子もなく席を立ち、パタパタと面談室を出て行った。
バタン、とドアが閉まり、室内にはオレと担任の先生だけが残される。
(……なんだ?意図的に柚葉を外したな?)
オレが内心で身構えていると、先生は先ほどまでの事務的な顔つきから一変し、深く、本当に深くオレに向かって頭を下げた。
「……あの、叔父様。本日はどうしても、ご家族の方に直接お礼が言いたかったんです」
「お礼、ですか?」
「はい。……柚葉さんのこと、ずっと心配だったんです」
先生は顔を上げ、少しだけ目を潤ませながら語り始めた。
「あの子がご両親を亡くされてから、うちに編入してきて。ずっと、心にポッカリと穴が空いてしまったような状態だったのは、ご家族が一番よくご存じだと思います。月に数回のスクーリングの時も、教室の隅でずっと虚空を見つめていて……自宅学習のレポートも、期限ギリギリまで真っ白なことが続いていました」
オレは黙って先生の言葉を聞いていた。出会ったばかりの頃の、あのタワマンのゴミ溜めの中で虚ろな目をしていた柚葉の姿が脳裏をよぎる。
「……でも、ここ2ヶ月で、彼女、劇的に変わったんです。レポートの提出が一切遅れなくなり、課題を『どうやってクリアするか』、自分なりに計画を立てて取り組むようになったんです。何より……表情が、見違えるように明るくなりました」
オレは少しだけ驚いていた。オレが柚葉に教えていたのは、あくまで「ゲーム(FPS)で勝つためのロジックと盤面整理」だけだ。だが、課題を細分化し、自分の頭で考えて乗り越えるというその『思考法』は、無意識のうちに彼女の人生そのものを前向きに回す原動力になっていたのだ。
「何か心境の変化があったのか、柚葉さんにこっそり聞いてみたんです。そうしたら……」
先生はふふっと笑い、まるで自分の娘のことのように、温かく目を細めた。
「あの子、こう言ったんです。『私を、空っぽの可哀想な子供扱いしないで、真っ直ぐに怒ってくれる人ができた』って」
「……」
「『私のためにご飯を作ってくれて、私が逃げようとしても絶対に手を離さないで、本気で向き合ってくれる。……その人の時間を無駄にしたくないから、私、ちゃんとした人間になりたいの。その人の隣に立って、恥ずかしくないくらい強くなりたいの』って……そう言って、本当に嬉しそうに笑うんです」
ズキン、と。
心臓の一番柔らかいところを、真っ直ぐに射抜かれたような衝撃だった。
さっきまで廊下で「発情期の猫」だの「制服プレイ」だのと小悪魔のようにからかってきた彼女が、オレの見ていないところで、大人の前で、そんなにも真摯で純粋な言葉を口にしていたなんて。
彼女の中で、オレの存在がどれほど大きく、大切で、重いものになっているのかを突きつけられ、オレは息を呑んだ。
「本当に、素敵な方に出会えたんですね。……それで、最後に柚葉さん、照れ隠しみたいにこう言ったんですよ」
先生は少しだけ声のトーンを落とし、茶目っ気たっぷりに笑った。
「『だから私、その人と絶対に結婚するかも!そしたら先生も結婚式呼んであげるからねw』って」
「…………は、ぶっ!?」
オレの口から、素っ頓狂な声が漏れた。
エモい感情で満たされていた胸の奥が、一瞬にして大パニックを起こす。
(けっ、結婚!?いや、なんでそこで急にアクセル踏み抜くんだあのバカ!!)
「ふふっ、冗談だとは思いますが、あの子がこんなに前向きに頑張れるようになったんですから。きっと、その方は柚葉さんを心から大切にしてくれる、素晴らしい『彼氏さん』なんでしょうね。……叔父様やご家族の皆様も、どうか温かく見守ってあげてください」
善意100%の「素晴らしい彼氏さんですね」という太鼓判。
目の前にいる『叔父』こそが、その『運命の人(仮)』であり『彼氏(冤罪)』であるとは夢にも思っていない先生の言葉に、オレは顔から火が出そうになるのを必死で堪えた。
「あ、ああ……そう、ですね。その『彼氏』も、きっと……あいつが自分で立ち上がるのを、少し手伝っただけだと思いますけど」
「ご家族から見ても、信頼できる方なんですね。安心しました」
(違う!オレだ!しかも結婚なんて約束してねえし、オレはただの居候のFPSコーチだ!)
オレが限界ギリギリの羞恥心と罪悪感で胃を抱えて悶絶しそうになった、その時だった。
「お待たせー!先生、予定表あったよー」
ガラッとドアが開き、元凶である柚葉が戻ってきた。オレはサッと元の事務的な空気を装い、先生も「ありがとう柚葉さん」と何事もなかったかのように面談を締めくくった。
帰り際。面談室を出て、並んで廊下を歩き出した時。柚葉はふと足を止め、オレのネクタイが少しだけ曲がっているのを見つけると、ごく自然な手つきでキュッと結び目を直してくれた。
「……お疲れ様、叔父さん。今日は私のために、わざわざありがとうね」
上目遣いで、花が咲くように微笑む柚葉。
その仕草があまりにも自然で、そして誰よりもオレを大切に想っていることが伝わってきてしまって……。
「……バカ。ネクタイ引っ張んな、苦しいだろ」
オレは真っ赤になった顔を隠すようにそっぽを向きながら、これからの同居生活と特訓が、さらに胃の痛くなるような、けれど悪くない日々になることを確信していた。




