32. 夜明けのゴールドと、隣にいる『神様』
32. 夜明けのゴールドと、隣にいる『神様』
「……っ、リロード入った!右の箱裏!」
タワーマンションのリビングに、柚葉の張り詰めた声が響く。
大会エントリーの締め切り前日、時刻は午前4時半。2週間に及ぶ地獄のランク上げ特訓の、泣いても笑ってもこれが最後の試合だった。
画面右上には『6 - 6』のスコア。最終ラウンドまでもつれ込んだ、これ以上ない総力戦。そして現在、味方はすべてデスし、残されたのは柚葉ただ一人。対する敵は二人。
圧倒的不利な状況(クラッチ盤面)だ。
「……」
オレはすぐ隣の椅子で、口を挟まずにただ画面を見つめていた。
普段の柚葉なら、このプレッシャーに耐えきれず、適当に飛び出して撃ち負けていただろう。だが、今の彼女の目は、恐怖ではなく「盤面」を捉えていた。
そしてオレも何故か口を出せずにいた。
(……焦るな。敵は必ず二人で同時にカバーしに来る。お前の定点スキルは、まだ一つ残ってるはずだ)
オレが心の中で念じたその瞬間、柚葉は動いた。足音を消したまま絶妙なタイミングで飛び出し、一人目に正確なエイムを叩き込む。
『1人ダウン!』
『いいぞ!勝てる!』
「よしっ……!」
チームの仲間もチャットで鼓舞している。だが、すぐさまカバーに入った二人目の敵から反撃を受け、柚葉の体力は残り『12』というミリ単位まで削り取られた。あと一発でも弾が掠れば終わり。
(自分の盤面を見ろ!引け!一旦射線を切れ!)
柚葉はオレの教え通りにすぐさま壁裏に隠れ、敵の足音が迫ってくるのを待った。
ドスッ、ドスッという重い足音が近づいてくる。敵は柚葉の体力が残りわずかだと知っている。絶対に強引に詰めてくる。
「……ここっ!」
柚葉がマウスを振り抜いた。残しておいた最後の定点スキルが、壁の反射を利用して敵の足元に完璧な角度で突き刺さる。
敵の動きが、一瞬だけ完全に止まった。
ズドンッ!
柚葉の放った最後の一発が、身動きの取れない敵の頭を正確に撃ち抜いた。
『――VICTORY』
画面の中央に、黄金色に輝く勝利の文字が浮かび上がる。そして、リザルト画面へと移行し、経験値のゲージが限界を突破した。
パリンッ!
シルバーのアイコンが砕け散り、大会の参加条件である『ゴールド3』の黄金のエンブレムが、画面の中央に燦然と輝いた。
「…………あ」
柚葉はマウスから手を離し、呆然と画面を見つめた。
2週間。毎日学校のオンライン授業を終えて、課題をやってから深夜まで、オレの容赦ないダメ出しに耐え、泥臭く敗北を振り返り、何度も泣きそうになりながら食らいついてきた成果が、今、確かな『結果』としてそこにあった。
「……勝った。……センセ、私……」
柚葉がゆっくりとオレの方を振り向く。
その大きな瞳からは、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出していた。
「……ああ。完璧なクラッチ(逆転劇)だった。あの極限状態で、ロジックを信じて撃てるなんて、大したメンタルだ」
オレが静かにそう言うと、柚葉は「うわぁぁぁん!」と子供のように声を上げて泣き出し、そのままオレの胸に飛び込んできた。
ボロボロになるまで頑張った子供が、絶対の安心感を求めて縋り付いてくるような、純度100%のハグ。
「ひぐっ、ぐすっ……!よかったぁ……!私、負けたらどうしようって、ゴールド行けなかったらどうしようって、ずっと怖かった……!センセが夜中まで付き合ってくれた時間が、全部無駄になっちゃう気がして……っ!」
「……バカ。ロジックは裏切らない。お前が2週間、血反吐を吐きながら積み上げたデータが、あの最後の一発に詰まってただけだ。お前が自分で勝ち取ったんだよ」
オレは少しだけ躊躇った後、彼女の華奢な背中にゆっくりと手を回し、不器用にポンポンと叩いた。
「……私ね、最後の一人になった時、ホントは頭真っ白になりそうだったの。手が震えて、心臓が爆発しそうで」
オレの胸に顔を埋めたまま、柚葉が震える声でぽつりぽつりと話し始めた。
「……でもね、不思議なの。目を閉じたら、私が何百回も見たはずのArchitectのプレイ動画じゃなくて……私のすぐ横で、呆れたようにため息をつくセンセの顔が浮かんだの」
「……」
「『焦るな』『敵は必ず二人で来る』『自分の盤面を見ろ』って。……センセの声が、頭の中でずっと聞こえてた」
柚葉は顔を上げ、涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、オレを見つめた。窓の外から、夜明けの青白い光が差し込み、彼女の金糸のような髪を淡く照らしている。
「センセがこの2週間、私のために削ってくれた睡眠時間とか、文句言いながら作ってくれた夜食とか、何百回も付き合ってくれた地獄の反省会とか。……そういうのが全部、私の頭の中に『絶対の正解』として刺さってたの」
ぎゅっと、オレのパーカーを握る小さな手に力がこもる。
「だから私、勝てたんだよ。画面の向こうの神様(Architect)の真似をしたからじゃない。……センセが、私に勝つための『目』をくれたから」
柚葉は、涙を拭いもせずに、ふにゃりと柔らかく笑った。
「私……センセの時間を、無駄にしなくて、本当によかった……っ」
その言葉は、どんな過去の悲しい身の上話よりも、オレの胸の奥を強烈に締め付けた。彼女が求めていたのは、もう『遠くの神様』じゃない。
一緒に泥臭く盤面を睨み、一緒に悩み、理不尽に怒り、そして最後に隣で「よくやった」と認めてくれる……ただの『オレ』という人間だったのだ。
オレは、ただの身分を偽った無職だ。『Architectの動画を研究した熱心なファン』なんていうのも、正体を隠すための嘘に過ぎない。
でも、彼女がオレに向けてくれるこの真っ直ぐな感謝と信頼だけは、何よりも本物だった。
(……ああ、ダメだ。完全にオレの負けだ)
オレは、小さく息を吐き出した。正体を隠すことの罪悪感なんて、もうどうでもよくなっていた。
この不器用で真っ直ぐな教え子の笑顔を守れるなら、オレは一生、彼女の隣で『同担の熱狂的ファン』でも『厳しい無職のコーチ』でも、なんだって演じきってやる。
「……勘違いすんなよ。オレの時間は、手取り5ヶ月分の給料でもらってる。無駄になるとか、そんな安い心配すんな」
「センセ。またそうやって素直じゃないんだから」
「それにな。ゴールドなんてただの通過点だ。目標は来週の大会での優勝、そして遥か先にある『円卓』だろ。ここで満足して立ち止まる奴は、オレの教え子とは認めねえぞ」
「うんっ!わかってる!」
オレは柚葉の頭に手を置き、今度は力強く、少しだけ乱暴に撫で回した。
「……よく頑張ったな、柚葉。最高のプレイだった」
オレが初めて真っ直ぐに彼女の努力を認め、褒め言葉を口にすると。柚葉は「……っ!」と一瞬だけ目を見開き、そして、今日一番の、太陽のような笑顔を咲かせた。
夜明けのタワーマンション。
2週間の地獄の特訓を乗り越えた二人は、黄金に輝くモニターの光と、朝日の温もりに包まれながら、静かに、確かな絆を結んだのだった。




