31. 近距離(インファイト)の報酬
31. 近距離の報酬
「……ふぅ。とりあえず今日はここまでだ。ちゃんとパソコンの電源落として寝ろよ」
時計の針が深夜3時半を回った頃。オレはガチガチに凝り固まった首を回しながら、ゲーミングチェアから立ち上がってリビングのソファへとダイブした。
特訓開始から10日。つまり、『Frontline Cup』の大会のエントリーまで、残すところあと4日だ。
目標のゴールドランクまでは、あと1つ。過酷なスケジュールだが、今日無事に「シルバー2」の壁を突破したことで、確かな希望が見えてきていた。
「ええーっ!待ってよセンセ、私まだ全然眠くない!アドレナリン出まくってて、今ならもう1ランクくらい余裕で上がりそう!」
「バカ言え。集中力が切れた状態でのランクマッチは沼の入り口だ。……ほら、明日は授業だろ。さっさと寝ろ」
「大丈夫だよー。明日のオンライン授業、午後からだもん。午前中は死んだように寝てても単位に響かないし!」
通信制高校という『最強の盾』を構えた柚葉が、パタパタと軽い素足の音を立ててソファに近づいてくる。そして次の瞬間――仰向けで目を閉じていたオレの腹の上に、ドンッ!と柔らかくて、それでいて確かな重みのある「何か」が乗っかってきた。
「ぐふっ……!?おまっ、柚葉、何乗って……!」
オレが呻きながら目を開けると、そこには薄手のパジャマ姿のまま、オレの腹の上に馬乗りになっている柚葉の姿があった。深夜特有のテンションと、ランクアップの興奮で熱を帯びた瞳が、至近距離でオレを見下ろしている。
「……ねえ、センセ」
「なんだよ。どけ、重い。内臓が押し潰される」
「私、シルバー1に上がったよ?センセの教え通りに、盤面をちゃんとコントロールできたよ?」
「ああ、そうだな。えらいえらい。だから寝ろ」
オレが適当にあしらおうとすると、柚葉は不満げに頬を膨らませ、オレのパーカーの胸ぐらを両手でむんずと掴んだ。
「言葉だけ?せっかく女の子がこんなに頑張って結果出したのに、ご褒美は言葉だけなの!?」
「他に何がいるんだよ。明日、高めのプリンでも買ってきてやるから……」
「プリンより、もっと甘くて……『物理的』なのがいいかな?」
柚葉はニヤリと小悪魔の笑みを浮かべると、オレの胸ぐらから手を離し、今度はその指先をオレの首筋から胸板へと、ぞわりとするほどゆっくり這わせた。
「私さ、最近、試合でわかって来てるんだ。敵を誘導して、自分の思い通りに動かす気持ちよさ」
「……おい、柚葉。お前、目がマジでヤバいぞ」
「だからね、今度は……センセのことも、私の思い通りにコントロールできるんじゃないかなーって」
柚葉はそう言うと、わざとらしく前屈みになる。白い鎖骨と、その奥の柔らかな谷間が、深夜の間接照明に照らされてオレの視界に暴力的なまでに飛び込んでくる。
「っ……!お前、ガードが甘い!服を直せ!」
「甘いんじゃないよ。これはわざと『射線』を通してるの。私の弱点、狙い放題だよ?」
「FPS用語を最悪なセクハラに変換すんな!!」
オレが顔を真っ赤にして視線を逸らすと、柚葉は「あははっ」と楽しそうに笑い、さらにオレの鼻先まで顔を近づけてきた。
ほんのりと甘いシャンプーの香りと、彼女の熱い吐息。オレの腹に密着している彼女の太ももの柔らかさが、薄いパジャマ越しにダイレクトに伝わってくる。
「ねえ、センセ。近距離の撃ち合い(インファイト)は、先に思い切って『エントリー(突入)』した方が勝つんでしょ?」
「……それはゲームのセオリーだ!現実の男女に持ち込むな!」
「私のエントリー、完璧でしょ?ほら……今の私、完全にノーガードだよ?センセがどこを『エイム』しても、絶対文句言わないよ?」
柚葉はオレの耳元に唇を寄せ、とろけるような甘い声で囁いた。理性が、ギリギリと音を立てて軋んでいる。だが、ここでオレが動揺して逃げ出せば、この小悪魔は「センセの負けー!」とさらに図に乗るに決まっている。
オレはコーチとしての威厳と、残り1ミリの理性を保つため、必死に深呼吸をし――無防備に顔を近づけている柚葉の額に向かって、右手の指をピンと弾いた。
「――痛っ!?」
「お前のエントリーは甘すぎる。……出直してこい」
「いったぁー!なにするの!せっかく女の子がノーガードで『撃ち合って』あげようとしたのに!」
おでこを押さえて涙目になる柚葉を、オレはソファから力ずくで下ろし、立ち上がった。
「あのな。オレはお前のコーチであって、敵プレイヤーじゃない。……それに、そんな安い挑発でオレの『シールド』が割れると思うなよ」
「……むーっ。センセのヘタレ。ムッツリ。エイム弱者!午後まで寝てやるんだから!」
柚葉は文句を垂れながらも、パタパタと自分の部屋へと戻っていった。
バタン、とドアが閉まる音がリビングに響く。
「……っっっ、あぶねぇぇぇ……!!」
一人残されたリビングで、オレはソファに崩れ落ち、頭を抱えて悶絶した。シールドが割れない? どの口が言ったんだ。オレのアーマー残量はとっくにゼロだ。あと一ミリでも彼女の顔が近づいていたら、完全にワンパンキル(陥落)されていた。
「……あいつも、通信制っていう『逃げ道』を盾に夜更かししやがって……」
深夜4時。大会エントリーまで、あと4日。
オレはバクバクとうるさい自分の心拍数を落ち着かせるため、結局一睡もできないまま、冷たい水を三杯も一気飲みすることになったのだった。




