30. 一発の重圧
30. 一発の重圧
「……重い」
「マウスの重量が変わるわけないだろ。さっさとスコープを覗け」
午前七時。完全に夜が明け、窓の外ではスズメがチュンチュンと鳴く爽やかな朝。だが、タワーマンションのリビングにいる柚葉の顔は、徹夜の疲労と極限のプレッシャーで完全に土気色になっていた。
彼女がピックしているのは、射線制圧型スナイパーの『Wolf』。
そしてそのキャラクターの手に握られているのは、ゲーム内で最も高額であり、胴体に当てても高威力を誇る専用の大型狙撃銃だった。
「だって……この銃、信じられないくらい高いんだよ?私が死んで敵にこの銃を拾われたら、一気にチームのマネー(経済)が崩壊するじゃん……」
「そうだ。スナイパーはただの強力な固定砲台じゃない。チームの『全財産』を一人で背負って最前線に立つ、歩く銀行だ。だからこそ絶対に死んではいけないし、絶対にその『初弾』を当てて、人数有利を作らなきゃいけない」
オレの無慈悲なプレッシャーに、柚葉は泣きそうな顔でスコープを覗き込んだ。防衛側のロング通路。ここは最も長い射線が通る、スナイパー同士の絶対的な主戦場だ。
「……大丈夫。ただ覗いて、敵が画面に入ってきたらクリックするだけ。私にだって、反射神経くらい……!」
柚葉が息を殺して画面の中央を凝視する。
数秒後。通路の奥から、敵のストライカーがチラッと肩を出した。
「来たっ!」
『――ドォォォンッ!!』
柚葉が渾身の力でクリックし、轟音とともに特大の弾丸が放たれる。だが、敵は撃たれる直前にフェイントを入れてすぐに引っ込んでおり、柚葉の弾は虚しく壁を穿っただけだった。
「ああっ、外したっ!?」
「引け!撃ち返されるぞ!」
外した瞬間、大型スナイパー特有の『ガシャコンッ』という絶望的に長いボルトアクション(次弾装填)のモーションが入る。
その1.5秒の致命的な隙を、敵が見逃すはずがなかった。
『スナイパー外したぞ! 行け!』
敵のイニシエーターがフラッシュを投げ込み、コントローラーが射線を塞ぐモクを展開し、ストライカーが一気に距離を詰めてくる。
柚葉はパニックになり、Wolfの固有スキルである「瞬間移動」で逃げようとしたが、焦ってキーボードを押し間違え、そのまま壁に引っかかった。
『――ダダダンッ!』
「ひゃああっ……!」
あっけなく蜂の巣にされる柚葉。そして画面には、自分の死体の横に転がった『超高額なスナイパーライフル』を、敵が拾い上げる絶望的な光景が映し出された。
「あああああ!チームの全財産がぁぁぁ!!」
「はい、最悪の戦犯確定。お前の一回の『外し』のせいで、次のラウンドから敵は最強の武器を持ち、味方は資金難でハンドガン縛り(エコラウンド)だ」
オレの容赦ない言葉に、柚葉は完全に心が折れたように、デスクの上に突っ伏した。
「……無理。こんなの、胃に穴が開く。たった一発外した瞬間に、自分だけじゃなくてチーム全体が全部終わるじゃん……」
「そうだ。それがスナイパーの『ワンピックの重圧』だ」
オレは空になったコーヒーの缶をゴミ箱に放り投げ、柚葉の隣に立った。
「スナイパーは一撃必殺の神様じゃない。たった一発外すだけで、死の恐怖と経済崩壊の責任が同時にのしかかってくる『ガラスの大砲』だ。……お前、今まで味方のスナイパーが外した時、『なんで当ててくれないの!』って怒ってたよな」
「…………うん」
「だが、純粋な反射神経だけで敵を撃ち抜くのは、プロでも外す時がある。じゃあ、指揮官(IGL)であるお前は、この孤高で不器用なスナイパーに、何をしてやれる?」
柚葉は顔を上げ、徹夜で充血した目で画面をじっと見つめた。
「……反射神経勝負に、させない」
「ほう?」
「私がOwlの索敵ドローンを流して、壁の向こうにいる敵を『可視化』してあげる。そうすれば、味方のスナイパーは敵が顔を出す前に『どこから来るか』が分かってる。……一瞬の反射で撃つんじゃなくて、待ち構えて(置きエイムで)確実に撃ち抜ける」
柚葉の口から、今までのような「味方への文句」ではなく、「味方を勝たせるための完璧なロジック」がスラスラと出てきた。
オレは満足げに頷いた。
「大正解だ。お前の情報は、味方のスナイパーが抱える『外すかもしれない重圧』を消し飛ばす最高のアシストになる。……IGLの仕事は、味方に『当てろ』と祈ることじゃない。味方が『100%当てられる盤面』をデザインしてやることだ」
「100%当てられる、盤面……」
「ストライカーが恐怖を背負い、コントローラーが命運を分け、イニシエーターが完璧な起点を作り、センチネルが孤独に耐え、スナイパーが全財産を賭けて引き金を引く。……お前は今日、その5人全員の『視点(痛み)』を知った」
オレは柚葉の頭にポンと手を置いた。
「これでお前は、上から見下ろすだけの独裁者じゃない。全員の呼吸が分かる『本物の指揮官』のスタートラインに立ったんだ」
徹夜明けの朝日が、分厚い遮光カーテンの隙間から細く差し込み、柚葉の金髪をキラキラと照らしている。彼女は充血した目をこすりながら、しかし、これまでにないほど晴れやかな、そして頼もしいゲーマーの顔でオレを見上げた。
「……センセ。私、もう味方のせいになんて絶対にしない。全員の命を、私が責任持って動かす。……だから」
柚葉は、キャラクター選択画面を開いた。そして、一番愛用している、生意気な金髪の小悪魔のアイコンを力強くクリックする。
「私をもう一度、『Owl』に戻らせて。……今の私なら、最高の盤面を指揮できる気がする!」
「ああ。地獄のロール・ジャーニーは終了だ。さあ、生まれ変わったお前のIGLで、シルバー帯の沼をぶち抜いてこい!」
「おーっ!! ……って、今からランクマ回すの!?私もう24時間起きてるんだけど!?」
「当たり前だ。ゲーマーの朝はここからだぞ」
「鬼!悪魔!厄介オタク!!」
朝日が昇るタワーマンションの最上階。
情けない無職の軍師と、一つ皮が剥けた未来の最強IGLの歓声が、東京の空に高らかに響き渡った。




