29. 孤立(センチネル)の重圧
29. 孤立の重圧
「はいはい、センチネルね。物理的な壁を作って敵を入れなくするんでしょ?これこそ一番安全じゃん!」
午前五時。外の空気がうっすらと白み始める中、柚葉は守備型センチネル『Turtle』を選択し、大きく伸びをした。
「要するに、敵が来そうな入り口に『通せんぼ』の壁をドンッて置けばいいだけだよね。そしたら敵は入れないし、私はその後ろで安全にお茶でも飲んでればいい。……ふふん、ストライカーみたいに前に出る恐怖もないし、超絶イージーな引きこもりロールの予感!」
「……お前、本当に学習能力がないな」
背後で新しい缶コーヒーのプルタブを開けながら、オレは深くため息をついた。毎度のことながら、この小悪魔は新しいロールを触るたびに「簡単そう」と舐めてかかり、見事に爆死する。もはや様式美である。
『――ラウンド、スタート!』
防衛側。
柚葉は味方二人にAサイトの防衛を任せ、自分はたった一人でBサイトの守り(アンカー)に就いた。
開始のカウントダウンがゼロになった瞬間、柚葉はBサイトのメイン通路の入り口に、Turtleの強固な「物理壁」をドカン!と展開した。
「よしっ!これでBサイトは完全封鎖!敵は絶対にここを通れない!さあ、かかってきなさい!」
柚葉は壁の裏にしゃがみ込み、余裕たっぷりに鼻歌を歌い始めた。だが、十秒経っても、二十秒経っても、Bサイトには何の音も聞こえてこない。足音ひとつ、銃声ひとつ鳴らない完全な静寂。
「……あれ? 敵、来ないね?」
柚葉が不思議そうに首を傾げた、その直後だった。
『敵発見! Aサイトに三人!』
『ラッシュだ! 止められ――うわあっ!』
『――ダダダンッ!』
画面左下に、Aサイトを守っていた味方二人のデス通知が立て続けに表示された。
さらに無情なアナウンスが響く。
『――スパイク(爆弾)、設置完了』
「ええっ!?ちょっと、なんでAサイトが3人にボコボコにされてるの!?私のBサイトはこんなに安全なのに!!」
「……お前が開始0秒で、Bサイトに『無意味な壁』を置いたからだよ」
パニックになる柚葉の後ろから、オレは冷酷な事実を突きつけた。
「いいか。このゲームは3対3だ。お前が開始直後にBサイトの入り口を壁で完全に塞いだ瞬間、敵からすれば『あ、Bは壁があるから面倒くさいな。全員でAに突っ込もうぜ』となる。……つまり、お前は自分の手で、味方二人に『3対2の数的不利(絶望的なラッシュ)』を押し付けたんだよ」
「っ……!!」
「敵に『ここには壁があります』って自分から情報を与えて、敵のローテート(攻め先の変更)を促しただけだ。お前がBで安全にお茶を飲んでサボっている間に、Aの味方は数の暴力で轢き殺されたんだ」
柚葉は息を呑み、急いでAサイトへの奪還に向かおうと走り出した。だが、Turtleをはじめとするセンチネルは、機動力が極めて低い。ようやくAサイトにたどり着いた時には、すでにスパイクを設置した敵三人が、完璧なクロスファイアを組んで待ち構えていた。
『――パーンッ!』
あっけなく眉間を撃ち抜かれ、ラウンド敗北。
「な、なにもしてない……私、ただ安全な壁を置いただけなのに、味方が死んで、気づいたら一人ぼっちになってた……」
「そうだ。それがセンチネルの『引きこもり』の末路だ。お前はただ壁の後ろでビビって、マップのコントロールを完全に放棄した。お前がサボった分、必ず他の味方にしわ寄せがいくんだよ」
オレの厳しい言葉に、柚葉はギュッと唇を噛んだ。
「センチネルの壁は、ただの『通せんぼ』じゃない。敵のラッシュ(強襲)を『遅延』させ、逆サイドから味方がカバーに来るまでの『時間』を稼ぐための命綱だ。開始直後に置いて敵にバレたら、ただの迂回路の合図にしかならない。……センチネルの本当の仕事は、敵が本気でサイトに踏み込んでくる『ギリギリ』まで壁を温存し、たった一人で3人のプレッシャーに耐え抜くことだ」
「たった一人で、3人のラッシュに……耐える?」
「そうだ。足音が聞こえても、妨害スキルが飛んできても、絶対に逃げちゃいけない。サイトの奥底に錨のようにへばりつき、敵が『ここを取る!』と決断して飛び込んできた瞬間に壁で分断する。……お前の壁のタイミング次第で、味方が全滅するかどうかが決まる。最高に孤独で、最高に恐ろしいロールだぞ」
その言葉の重みに、柚葉はごくりと生唾を飲み込んだ。自分が安全だと思っていた場所が、実は一番の激戦区であり、味方の命運を握る「最後の砦」だったのだ。
「……やる。私、もう逃げない」
「よし。次のラウンドもBサイトを一人で守れ。敵はさっきお前が『すぐに壁を置く雑魚』だと学習してる。今度は、絶対にBに3人で強引なラッシュを仕掛けてくるぞ」
次のラウンド。
柚葉は再びBサイトに一人で立ち、入り口の死角に身を潜めた。壁はまだ使わない。マウスを握る手に、じっとりと嫌な汗が滲む。
数秒後。
『ザッ、ザッ、ザッ……』
イヤホン越しに、複数の重い足音がBメインから近づいてくるのが聞こえた。敵のストライカー、スナイパー、コントローラー。3人全員が、殺意をむき出しにして一直線にこちらへ向かってくる。
(怖い……!3人も来る……今すぐ壁を置いて、逃げたい……!)
柚葉の心臓が早鐘のように鳴る。だが、オレの言葉を思い出し、ギリギリまで耐えた。敵のコントローラーの煙幕がサイト内に展開され、イニシエーターのフラッシュが空中で破裂する。
『行くぞ!!』
敵のストライカー(Lion)が、煙幕を抜けて空中ダッシュでサイト内へと飛び込んできた。
その、瞬間。
「……今だっ!!」
柚葉は、飛び込んできたLionと、その後ろから付いてこようとした敵2人の『間』に、Turtleの分厚い物理壁をドカン!と出現させた。
『なっ!? 壁で分断された!?』
見事な分断。サイト内に飛び込んでしまった敵のLionは、後続のカバーを壁で完全に絶たれ、たった一人でサイト内に孤立した。
「もらったぁっ!!」
柚葉は落ち着いて飛び出し、カバーがなく孤立してパニックになっているLionを撃ち抜いた。
『――FIRST BLOOD!』
「ナイス! あとは壁が壊れるまで時間を稼げ! 味方が寄ってくるぞ!」
「うんっ!!」
壁の向こう側で、残された敵2人が必死に壁を壊そうと銃弾を撃ち込んでいる。だが、Turtleの壁は硬い。数秒の時間が稼げる。その数秒が、3対3のタクティカルシューターにおいては『永遠』にも等しいアドバンテージだった。
『待たせた! カバー入る!』
『裏取り回ったぞ!』
Aサイトから駆けつけた味方の2人が、壁を壊すのに夢中になっている敵の背後と側面を完璧に急襲した。圧倒的なクロスファイア。残りの敵は一瞬で掃討され、ラウンドは完全勝利で終わった。
「……はぁぁっ……!終わっ、た……」
柚葉は全身の力が抜けたように、ゲーミングチェアに深く沈み込んだ。
「たった数十秒が、何時間にも感じた……。足音が聞こえてきた時の恐怖と、一人で耐えなきゃいけないプレッシャー……センチネルって、こんな孤独な戦いをしてたんだ」
「そうだ。その孤独な遅延(数秒)が、味方を勝利に導く。ストライカーが『攻めの要』なら、センチネルは間違いなく『守りの神』だ。お前が指揮官に戻った時、彼らがどれほどの重圧に耐えているか分かれば、サイトを空ける指示の重みが変わるはずだ」
「うん……。私、もう二度と『センチネルなんだからサイト守り切ってよ!』なんて文句言わない。彼らは、一番重い錨を背負ってくれてたんだ」
また一つ、IGLとしての「盤面の視点」が深まった。柚葉の顔つきは、もはや「才能のないお嬢様」のそれではなく、盤面全体を俯瞰し、仲間の苦痛と責任を理解する『指揮官』の顔に近づいていた。
「よし、これで4つのロールが終わった。残るはあと1つ……」
外はすっかり明るくなり、遮光カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。
オレは最後のアイコン――最も凶悪で、最もフィジカルを要求される存在を指差した。
「射線制圧枠『スナイパー』だ。ワンピック(初弾キル)で盤面を強引に破壊する、理不尽の権化。……お前が一番苦手とする『純粋なエイム』の世界を味わってもらうぞ」
「うげぇ……一番やりたくないやつ来た」
「泣き言は聞かん。さあ、地獄の早朝スナイパー特訓だ!」
深夜から続いた過酷なロール体験も、いよいよ最終章。IGLの頭脳を完成させるための最後のピースへと、柚葉は重い腕を上げてマウスを握り直した。




