26. 最前線の『恐怖』
26. 最前線の『恐怖』
「ま、要するにストライカーなんて、細かいこと考えずに突っ込んで撃てばいいだけでしょ?」
マッチ開始前の待機時間。
柚葉は手首をポキポキと鳴らしながら、画面の中で筋骨隆々のアーマーを着込んだ『Lion』をぴょんぴょんとジャンプさせていた。
「私の本職のOwlみたいに、敵の配置を予測して、罠の座標を計算して……みたいな知的な作業、一切いらないもんね。ただ『Wキー』押して前に出て、敵がいたらクリックする。……はー、なんて気が楽な脳死ロールなんでしょ。センセ、私の隠されたフィジカルの才能に震えないでね?」
ふふん、と自信満々に胸を張る柚葉。後ろで立ち見をしているオレは、手元の缶コーヒーを揺らしながら、あえて何も訂正せずにニヤリと笑った。
「……ほう。脳死の簡単ロールね。よし、じゃあその偉大なフィジカルとやらで、華麗にサイト(拠点)をこじ開けてみせろ。今すぐな」
『――ラウンド、スタート!』
障壁が降りた瞬間。
柚葉の操るLionは、味方のイニシエーター(妨害枠)やコントローラー(煙幕枠)がスキルを準備しているのを完全にガン無視し、「いっくよー!」という能天気な声とともに、敵が待ち構えるAサイトのメイン通路へとただ一人で飛び出した。
「まずは得意の空中ダッシュで、敵のエイムをずらして……えいっ!」
画面の中で、Lionが豪快なエフェクトとともに宙を舞う。
その、直後だった。
『――ダダダンッ!』『パーン!』『ドドドッ!』
「ひょえっ!?」
四方八方から、まるで嵐のような銃弾がLionに集中した。正面の箱裏、右の死角、そして遥か後方の高台に陣取っていたスナイパー。合計3つの凶悪なクロスファイア(十字砲火)が、空中に浮いて回避行動がとれない柚葉のキャラクターを、文字通り『ハチの巣』にした。
開始わずか数秒。
着地する前に頭を撃ち抜かれ、ラグドールのように無残に地面へ転がるLionの死体。
「…………え?」
柚葉はポカンと口を開け、自分のモノクロになったデス画面と、まだ入り口でモタモタしている味方の姿を交互に見比べた。
「な、なに今の!?敵、こっち見すぎじゃない!?味方なにしてるの、私が突っ込んだらちゃんとカバーしてくれないと!!」
「カバー?アホか。何の目隠しも妨害もなしに、敵の射線が3つも通ってるど真ん中に飛び込む自殺志願者を、誰がカバーできるんだよ。ただの飛んでる的だぞ」
オレの呆れ果てた声に、柚葉は「ううぅ……」と涙目で口を尖らせる。
「だって!ストライカーは一番最初に飛び込むのが仕事でしょ!?動く的になってあげるから、味方が後ろから撃ってくれれば……」
「『最初に飛び込む』のと『ただ死にに行く』のは違う。お前、さっき自分で言ってたよな。『細かいこと考えずに突っ込んで撃てばいい脳死ロール』だって」
オレは柚葉のゲーミングチェアの背もたれをガシッと掴み、モニターの画面を指差した。
「さっき、お前が飛び込んだ瞬間の敵の配置を思い出せ。右の壁際、正面の箱裏、奥の高台。……お前、あそこに一人で飛び込んだ時、どこからクリアリング(安全確認)するつもりだったんだ?」
「えっ、と……まずは一番近い右を見て、いなかったら正面を向いて……」
「不正解だ。お前が右を向いた瞬間、お前の横顔は正面と奥の敵から丸見えになる。逆に正面を見れば、右の敵から撃たれる」
「っ……」
「これをFPS用語で『クロスファイア(十字砲火)』って言う。複数の角度から同時に射線を通される、絶対に一人じゃ勝てないキルゾーン(処刑場)だ。さっきのお前は、何の対策もせずに自分からその処刑場のど真ん中にダイブしたんだよ」
オレの冷たい、しかし論理的な指摘に、柚葉は息を詰まらせる。
「いいか。ストライカーが最前線に飛び込む時、敵が隠れている『かもしれない』場所は無数にある。そのすべてから自分のおでこ(ヘッド)を狙われているという『死の恐怖』と戦いながら、たった一つの正解の射線を選び取らなきゃならない。……それがどれだけ恐ろしくて、神経をすり減らす作業か、今、身をもって理解しただろ?」
柚葉は、マウスを握る手を小さく震わせながら俯いた。
「お前は今まで、安全な後方(Owl)からマップ全体を見下ろして『そこクリア!早く入れ!』って簡単に指示を出していた。味方がモタモタしてると『なんで入らないの!』って怒ってたよな」
「…………うん」
「でも、お前のその指示には『スモークで右を塞ぐ』とか『フラッシュで奥の目を潰す』っていう、ストライカーの恐怖を拭ってやるための『完璧なセットアップ』が欠けていたんだ。……射線を潰してやらないまま『入れ』って言うだけの指示は、指揮官(IGL)じゃない。ただ味方を処刑場に送り込む、独裁者の暴言だ」
「……独裁者」
その言葉が、柚葉の心に深く、重く突き刺さった。自分が今まで、頭の中の「完璧な理論上の盤面」を押し付けるだけで、最前線で命を張る仲間の『恐怖』に1ミリも寄り添えていなかったことを、痛烈に理解したのだ。
「……ごめん。私、最前線のこと、何にも分かってなかった。あんなの、味方のスキルがないと……怖くて、一歩も角から出られないよ」
すっかり意気消沈し、消え入りそうな声で呟く柚葉の頭に、オレはポンと手を置いた。
「分かったならいい。だから『連携』があるんだ」
オレは画面に映る、残された味方のキャラクターたちを指差した。
「ストライカーの仕事は、一人で全員倒すことじゃない。味方のスキルという『盾』をもらって、サイトの奥まで飛び込み、敵のヘイト(射線)を自分に集めることだ。その一瞬の隙に、後ろの味方がカバーに入ってくれる。……お前が信じなきゃいけないのは自分のエイムじゃない。後ろを付いてきてくれる『味方』だ」
「味方を、信じる……」
「次のラウンド。お前が飛び込む前に、味方のイニシエーターにフラッシュを頼め。コントローラーに煙幕を要求しろ。そして……全員のスキルが重なる『最高の瞬間』に、恐怖を殺して自分の命を投げ出せ」
オレの言葉に、柚葉は力強く頷いた。そして、マイクのスイッチを入れ、野良の味方に向かって、少し緊張した声でコール(指示)を出した。
『あ、あの……!次、Aサイト行きます。Batさん、スナイパーの位置にスモークお願いします。Houndさん、私がダッシュする瞬間に、右の角にフラッシュ入れてください!』
不器用だが、明確な「連携」の要求。
味方からは『了解(OK)』の短いチャットと、頼もしいエモートが返ってきた。
ラウンド開始のカウントダウンがゼロになる。
柚葉は、サイトの入り口で息を殺して待った。先ほどまでの「脳死で突っ込む」舐めた態度はもうない。そこにあるのは、味方のスキルを待つ、一人の研ぎ澄まされた前衛の顔だった。
『スモーク、展開』
味方のBatが放った煙幕が、敵スナイパーの射線を完全に塞ぐ。これで一番遠い「奥」のクロスファイアが消えた。
「フラッシュお願いします!」
『フラッシュ、行くぞ!』
柚葉の声に合わせて、味方のHoundが強烈な閃光弾を右の角に投げ込んだ。
パーンッ!と視界を奪う破裂音が鳴り響いた瞬間。
「……行くっ!!」
柚葉の操るLionが、空中ダッシュで敵陣のど真ん中へと飛び込んだ。
さっきまで恐怖の象徴だったクロスファイアの射線は、煙幕とフラッシュによってズタズタに分断されていた。目が眩んでパニックになっている右の敵のアタッカー。柚葉は空中でマウスを振り向き、着地と同時に引き金を引いた。
『――HEADSHOT!』
「やっ……やった!」
柚葉が一人を倒す。直後、正面の箱裏からカバーに出てきた敵が柚葉を撃ち抜いたが、すぐ後ろからエントリーしてきた味方のHoundとBatが、柚葉を倒した敵を瞬時にトレースしてキルを取った。
サイトの制圧、完了。
柚葉のキャラクターは死んでしまったが、画面には確かに『ROUND WON』の文字が輝いていた。
「……私、死んじゃったけど。でも、サイトは取れたよ、センセ」
「上出来だ。お前は今、身を挺して味方のための『道』をこじ開けた。これこそが、ストライカーの真の役割だ」
オレが缶コーヒーを掲げて褒めると、柚葉はホッとしたように背もたれに倒れ込んだ。
「……はぁぁ〜っ、心臓バクバクした……!前衛って、こんなに寿命縮むプレッシャーの中で戦ってたんだね。全然、脳死なんかじゃない……」
「分かったか?これが理解できれば、お前が指揮官(Owl)に戻った時、ストライカーが『一番飛び込みやすい完璧な盤面』を作ってやれるようになる」
柚葉の目に、IGL(指揮官)としての確かな成長の光が宿っていた。オレは手元のメモ帳に線を引くと、悪魔のような笑みを浮かべて次なる指示を出した。
「よし、ストライカーの視点は合格だ。次は『コントローラー(煙幕枠)』だ。味方の命運を左右するミリ単位の煙幕配置と、エリアコントロールの絶望的な責任感を味わってもらうぞ」
「ええええっ!?今日ずっとこれやるの!?」
「当たり前だ。せっかくの機会だ、残りの全5ロール終わるまで、今日は寝かせねえからな」
「鬼!悪魔!厄介オタク!!」
深夜のタワーマンションに、柚葉の悲鳴が響き渡る。泥臭く、しかし確実に。完璧な盤面支配に向けた『視点の獲得』は、まだ始まったばかりだった。




