20. 2つの意味
20. 2つの意味
秋葉原の喧騒から帰還した深夜のリビングには、PCの排熱音と、規則的なマウスクリックの音だけが静かに響いていた。
柚葉は買ってきたばかりの新しいマウスを自室のPCに繋ぎ、デスクの端にはあのゲーセンで取った不格好な梟のぬいぐるみをちょこんと座らせている。
オレは彼女の後ろに腕を組んで立ち、モニターに映る柚葉の直近の敗北試合(VOD)を共に睨みつけていた。
「……センセ」
不意に、柚葉がマウスから手を離し、キャスター付きの椅子をくるりと回転させた。
そこには、帰り道の悪ふざけや小悪魔な笑みは一切ない。純粋に強さを求める、ひどく真面目で飢えたような瞳があった。
「珍しいな。お前から座学の途中に質問してくるなんて。どうした?」
「うん。……どうしても、一つだけ分からないことがあるの」
柚葉はモニターの画面――野良(見知らぬプレイヤー)の味方たちが、敵の強固な守りにビビってしまい、攻めあぐねているシーンを指差した。
「私自身には、自分から飛び込んで敵を倒すような撃ち合いの強さ(フィジカル)がない。だから索敵を使って、味方のために一生懸命ドローンで敵の場所を教えてる」
「ああ、お前の役割としては間違ってない」
「でも……野良の味方は、私が情報を出しても、ビビって動いてくれないことがいっぱいある。味方が動かないと、私は自分じゃこじ開けられないから、時間切れで負けちゃう。……味方が合わせてくれない時、私はどうやってエリアを取ればいいの?」
それは、タクティカルシューターの野良ランクマッチにおいて、サポート役の誰もがぶつかる残酷な壁。「自分のフィジカルがない」かつ「味方が動かない」盤面で、どうやって勝つのか。
オレは小さく息を吐き、柚葉の隣に立ってモニターのマップを指でなぞった。
「いいか、柚葉。お前は大きな勘違いをしている。お前は『情報』を、味方を動かすためのサインだとしか思ってない。だが、本質は逆なんだよ。……『情報』とは、敵にプレッシャーを与えるための武器なんだ。ここに2つの意味がある」
「情報が、武器……?」
「そうだ。例えばお前が、Owlの索敵ドローンをこの通路に飛ばす。敵からすれば、赤くハイライトされて『自分の位置がバレた』と同時に、もう一つの強烈な恐怖を植え付けられることになる。何だか分かるか?」
「えっと……位置がバレたから、壁抜きされるかも、とか?」
「その通りだ。敵は、『お前のエイムが絶望的だ』なんてことは知らない。 画面の向こうにいる索敵キャラが、壁抜きで自分の頭を撃ち抜いてくるバケモノかもしれないという『不確定な恐怖』を感じるんだよ」
オレはマップ上の、敵が潜んでいそうな強ポジ(有利なポジション)をトントンと叩いた。
「味方が突っ込まなくてもいい。お前がドローンで敵をスポットし、さらに壁越しに数発、適当に威嚇射撃をしてやるだけでいい。……『ここにいるぞ、いつでも抜けるぞ』というプレッシャーを与え続けられたら、防衛側の心理はどうなる?」
「……耐えきれなくなって、安全なサイトの奥へ下がる。あるいは、スキルを使って逃げる……!」
「正解だ」
オレはニヤリと笑い、腕を組んだ。
「お前が撃ち勝つ必要はない。お前の『目』で敵を暴き、恐怖を煽って、敵の方から自主的に有利なポジションを捨てさせればいいんだよ。味方が動かないなら、お前が盤面をコントロールして『敵を動かす』。それが、フィジカルのない指揮官の戦い方だ」
柚葉の目が、ハッと見開かれた。
「情報を与えて、見えない銃弾の圧で敵を追い立てる。敵が耐えきれずに逃げ込んだ先を予測して、あらかじめ罠を張っておく……!」
柚葉の口から、オレの教えたロジックが、彼女自身の戦術として見事に言語化されていく。
「そうか。……私たちから攻めるんじゃない。相手が『陣形を崩さざるを得ない状況』を、情報と心理戦で作ればいいんだ」
「その通りだ。お前がやるべきは、味方の背中を押すことだけじゃない。敵を真綿で首を絞めるように追い詰め、盤面というチェスボードの上で踊らせることだ」
「……センセ」
柚葉は新調したばかりの小さなマウスを、右手でそっと包み込むように握り直した。秋葉原でオレが選んだ、彼女の小さな手に完璧にフィットする、無骨で軽量な実戦用の武器。
「私、今なら……盤面全体が見える気がする。敵がどこを嫌がって、どこに逃げたいのか。その『息継ぎ』の音が、聞こえる気がする」
「……」
「今すぐ、試したい。このマウスと、このロジックで!」
その横顔には、もう小悪魔な女子高生の面影はない。そこにあるのは、血の滲むような思考の果てに、ようやく『本物の頂(円卓)』へと続く道筋を見つけた、一人の恐るべき指揮官の顔だった。
「……いいだろう。なら、早速ランクに潜るぞ。オレのロジックがただの机上の空論じゃないってことを、お前自身の指示で証明してみせろ」
「うんっ!」
柚葉は力強く頷き、マッチング開始のボタンを迷いなくクリックした。傍らに置かれた梟のぬいぐるみが、そんな彼女の覚醒を静かに見守っているようだった。




