16. 軍師と小悪魔の休日
16. 軍師と小悪魔の休日
休日の朝。オレが欠伸を噛み殺しながらリビングへ顔を出すと、パジャマ姿の柚葉が、部屋の隅にある機材用の段ボール箱をガサゴソとひっくり返していた。
「……朝っぱらから何やってんだ。どうした?」
「あ、センセ。おはよ」
柚葉は振り返り、手元のワイヤレスマウスをカチャカチャと振りながらため息をついた。
「いや、マウスが調子悪くてさ。チャタリングっぽくて、昨日の夜から罠の設置が上手くいかないんだよね。予備のを探してるんだけどないから……ネットで注文しないと」
スマホを取り出し、通販サイトを開こうとする柚葉。オレはその手からヒョイッとマウスを取り上げ、しげしげと眺めた。
なるほど。海外の超有名メーカーが誇る、現行トップクラスの超軽量ハイエンドモデル。お値段2万円オーバーの代物だ。
「ネット?その前に、お前自分に合ったもの使ってるんだろうな?」
「え? これが1番良いって、有名な配信者もプロもほとんどの人が使ってるって言ってたよ?だから一番高いやつ買ったし」
柚葉は当然のように胸を張る。オレは呆れて、その高いマウスを柚葉の小さな手のひらにポフッと乗せた。
「あのなぁ……いいか。FPSにおいて、マウスは『剣士の剣』だ。どれだけ伝説の名剣だろうが、自分の手のサイズに合ってなけりゃ、ただの重たい鉄の棒でしかないんだよ。ミーハーで選ぶもんじゃない」
「う……」
「このマウスは確かに性能はかなり良いかもしれない。だがな、身長180センチオーバーの海外のプロゲーマー連中のデカい手に合わせた『かぶせ持ち』用の設計なんだよ。お前みたいな16歳の小さな手で、しかも指先だけで操作する『つまみ持ち』で扱える代物じゃない」
オレの指摘に、柚葉は自分の手とマウスを交互に見比べた。彼女の手には明らかにマウスのお尻の部分が余っており、クリックボタンにも指の腹がギリギリ届いている状態だった。
「だからお前は、とっさの撃ち合いの時に、マウスのセンサーの重心がズレて弾を外すんだ。ただでさえエイムが下手なのに『自分に合ってない武器』を無理やり振り回してるから当たらないんだよ」
「えっ……じゃあ、私のエイムが絶望的なのって……」
「9割はお前の実力だが、残り1割はこのマウスのせいだな」
「ちょっと!結局私のせいじゃん!ヒドイんだけどセンセ!」
柚葉がポカポカとオレの肩を叩いてくるのをいなしながら、オレは自分の部屋から上着を取ってきた。
「とにかく、ネットで適当にポチるのは禁止だ。マウスとマウスパッドは、実際に自分の手で触って、重さと摩擦とクリック感を確かめないと絶対にダメだ。……着替えてこい、秋葉原に行くぞ」
オレがそう告げた瞬間。
柚葉の動きが、ピタッと止まった。
パジャマ姿のまま、彼女はじっとオレの顔を見上げ……やがてニヤリと口角を上げ、小悪魔のような笑みを浮かべた。
「ふーん……?なるほどね。センセ、ほんとは私とデートしたいんでしょ?」
「は?なんでそうなる。FPSの勝率を1%でも上げるためのシビアなデバイス選びだって言ってるだろ」
オレが呆れて言い返すと、柚葉はわざとらしく人差し指を振りながら、ジリジリと距離を詰めてきた。
「えー?休日に、わざわざJKと二人きりで秋葉原にお出かけ。これを世間ではデートと呼びます。素直に『柚葉ちゃんと一緒にお出かけしたいです』って言えばいいのにー」
「お前なぁ……オレは10コも上の大人なんだぞ!犯罪者にする気か!いいからさっさと着替えてこい!」
「はいはい、無職のおじさんの照れ隠し乙です。せっかくのデートなんだから、センセも変なダサい服着ないでよ?隣歩くの恥ずかしいからね!」
言うが早いか、柚葉は楽しそうに鼻歌を歌いながら、自分の寝室へとすっ飛んでいった。
バタンッ、とドアが閉まる音が響く。
「……ハァ」
残されたオレは、ポツンと一人、深いため息を吐き出した。
完全に手玉に取られている。最初の頃はあんなにオレのロジックにビビり散らかしていたというのに、今やあの16歳は、10歳上の元・天才軍師を完全に「からかいのオモチャ」として扱っているのだ。
だが、閉まったドアの向こう側から、「えっと、服どれにしよう!この前買ったやつ……いや、こっちの方が……!」と、ドタバタとクローゼットを漁るやけにテンションの高い声が漏れ聞こえてくるのには、気づかないフリをしておこう
「……マウス買うだけだぞ」
オレは冷めたコーヒーをすすりながら、財布の残高と、これから始まる「小悪魔との秋葉原任務」に向けて、密かに覚悟を決めるのだった。




