第7話 いっしょに学校?
「よし」
制服に着替え、鞄を肩にかける。
忘れ物がないことを確認して、私は玄関へ向かった。
「行ってきます」
そのときだった。
ぺた。
ぺた。
「……ユイ」
「ん?」
振り返る。
そこには、ぶかぶかのアイボリーのパーカーを着たうーちゃんがいた。
長いたれ耳を揺らしながら、私ではなく――じーっと、私の鞄を見つめている。
「どうしたの?」
「……どこ?」
「これ?」
鞄を持ち上げると、こくん、と頷いた。
「学校だよ」
「……がっこ?」
「うん。お勉強したり、お友達と過ごしたりするところ」
「…………」
うーちゃんは何かを考えるように首を傾げた。
そして。
ぺた。
ぺた。
私の横を通り過ぎ、そのまま玄関へ。
「……?」
靴を履こうとしている私の隣に、ちょこんと座った。
「いく」
「え?」
「うーちゃんも、がっこ」
「…………」
なるほど。
そういうことか。
「いやいや。うーちゃんは学校には行けないよ」
「……」
「ごめんね。帰ってきたら、いっぱい遊ぼう?」
「…………」
へにょ……。
長いたれ耳が、見るからに元気をなくした。
「あ……」
これは困る。
そんな顔をされたら、学校を休みたくなってしまう。
すると、小さな手が私の制服の裾をつかんだ。
きゅっ。
「……ユイ」
「うーちゃん……?」
「いっしょ……」
私は思わずしゃがみ込んだ。
「もう……」
ひょい、と抱き上げる。
すぐに小さな身体が胸へくっついた。
「う〜……♡」
「私も一緒にいたいけどさ」
背中を優しく撫でる。
「学校に連れていったら、みんなびっくりしちゃうよ」
「……」
すり。
すり。
それでも、うーちゃんは離れようとしない。
「……いっしょが、いい」
「……うーちゃん」
その瞬間だった。
――とくん。
「……!」
腕の中で淡い光が生まれた。
うーちゃんのパーカー。
その右下にある、小さなにんじんマークが光っている。
「これ……」
そして。
――きらっ。
私の胸元でも、青いペンダントが輝き始めた。
「昨日と同じ……?」
「……?」
うーちゃんも不思議そうに光を見つめている。
とくん。
とくん。
二つの光が、まるで同じ鼓動を刻むように瞬いた。
「うーちゃん」
「……ユイ」
ぎゅっ。
抱きしめる。
昨日は怖かった。
腕の中から、この子が消えてしまうんじゃないかと思ったから。
でも、今は違う。
「大丈夫」
私はうーちゃんを見つめた。
「昨日みたいに――一緒なんだよね?」
うーちゃんは、にこっと笑った。
「……いっしょ♡」
ぱああっ――!
光が私たちを包んだ。
小さな身体が。
長いたれ耳が。
ぶかぶかのパーカーが。
ひとつずつ、優しい光の粒へ変わっていく。
それでも私は、最後まで腕を離さなかった。
やがて最後の光が、私の胸元へ吸い込まれる。
そして――。
「…………」
光が消えた。
私は自分の身体を見る。
いつもの制服。
その上に現れていたのは――。
「やっぱり……」
アイボリーのパーカー。
うーちゃんがいつも着ているものと同じだった。
ただし、ぶかぶかではない。
今は私の身体にぴったり合っている。
「うーちゃん?」
返事がない。
「……うーちゃん?」
『う〜♡』
「ふふっ」
いた。
ちゃんと、ここにいる。
私はカンガルーポケットの右下にある、小さなにんじんマークを指先でつついた。
つん。
『う♡』
「…………」
そこで私は、玄関の鏡を見た。
制服。
パーカー。
鞄。
どう見ても――普通の女子高生だ。
……ちょっと変わったパーカーを着ていることを除けば。
「これなら……」
『う?』
「学校、一緒に行けるかも」
『……!』
『がっこ♡』
「しーっ!」
『……?』
「学校では静かにしててね」
『う』
「本当に分かってる?」
『う〜♡』
「……ちょっと心配」
◇
いつもの通学路を歩く。
てく、てく。
傍から見れば、私は一人だ。
でも。
『ユイ』
「ん?」
『おはな』
道端に、小さな花が咲いていた。
「ほんとだ」
少し歩く。
『とり』
「うん」
『くるま』
「そうだね」
さらに歩く。
『わんわん!』
「うーちゃん」
『……?』
「全部言わなくていいからね?」
『う♡』
……本当に大丈夫かな。
◇
「着いたよ」
『……がっこ?』
「そう」
うーちゃんが見ているのかは分からない。
でも、一緒に校舎を見上げる。
『おっきい……』
「ふふっ。私も最初はそう思った」
そして教室へ入る。
「ユイ、おはよう!」
「おはよう」
「あれ?」
「?」
友達のみおが私をじっと見る。
正確には――パーカーを。
「そのパーカー、どうしたの?」
「えっ」
しまった。
どう説明しよう。
うーちゃんがパーカーになりました。
……なんて言えるはずがない。
「えっと……今日は、ちょっと寒くて」
「今日、結構あったかいよ?」
「……だよね」
『う〜』
「……!」
「ん?」
「な、なんでもない!」
『う〜?』
静かに……!
私は慌てて、にんじんマークを手で隠した。
◇
授業が始まった。
「では、ここを――」
先生の声を聞きながら、ノートに文字を書いていく。
カリ。
カリ。
教室は静かだ。
そして――。
『……ユイ』
「……!」
危うく声を出すところだった。
(どうしたの?)
『……』
(うーちゃん?)
少し間があった。
『……ねむい』
「…………」
「ユイさん?」
「はいっ!」
クラスメイトの視線が一斉に集まる。
「……すみません」
恥ずかしい。
ものすごく恥ずかしい。
なのに――。
『すぅ……』
『すぅ……』
(寝た……)
カンガルーポケットのにんじんマークが、ほんのり光っている。
なんだか本当に、私の腕の中で眠っているみたいだった。
「……ふふっ」
まあ、いいか。
◇
そして、お昼休み。
「やっと休み時間……」
お弁当箱を開ける。
卵焼き。
おにぎり。
野菜。
そして――。
にんじん。
『……!』
「…………」
分かりやすい。
『……にんじん』
「やっぱり起きた」
『にんじん♡』
「でも、今は食べられないでしょ?」
『……』
「帰ったらね」
『……にんじん』
「そんな悲しそうに言わないの」
……待てよ。
私はカンガルーポケットを見た。
「試してみる?」
『……?』
にんじんを一つ。
ぽすっ。
ポケットの中へ入れてみる。
にんじんマークが、ぽうっと光った。
『……!』
そして。
もぐ。
「…………」
もぐ。
「……え?」
『おいし♡』
「食べられるの!?」
「ユイ?」
「な、なんでもない!」
慌ててポケットを覗く。
「…………」
空っぽだった。
「どこにいったの……」
『おなか♡』
「どういう仕組みなの……?」
『う〜♡』
「まあ、いっか……」
なんだか。
うーちゃんと一緒にいると、「まあ、いっか」が増えている気がする。
◇
キーンコーン――。
「終わったぁ……」
『おわった?』
「うん」
鞄に教科書をしまいながら、私は尋ねた。
「学校、どうだった?」
少し間があって。
『たのしかった♡』
「そっか」
それだけで、連れてきてよかったと思えた。
◇
夕日に照らされた帰り道。
てく。
てく。
「でも……」
『う?』
「ずっとこのままだと、抱っこできないね」
『……』
私は足を止めた。
「やっぱり、帰ったらいつものうーちゃんに戻ろうか」
『……だっこ?』
「うん。いっぱいしてあげる」
『……!』
『だっこ♡』
「ふふっ。約束ね」
◇
家に帰ると、ペンダントの光が少しずつ弱くなっていった。
パーカーも淡い光の粒へ変わっていく。
そして――。
ぱあっ。
「う〜♡」
目の前に、小さなうーちゃんが戻ってきた。
「おかえり」
すると、うーちゃんは少し考えて。
「……ただいま♡」
「……!」
まただ。
またひとつ、言葉が増えた。
昨日まで言えなかった言葉。
知らなかった言葉。
この子は毎日、少しずつ世界を知っていく。
そして――。
「だっこ♡」
「約束したもんね」
両手をいっぱいに広げたうーちゃんを抱き上げる。
ぎゅーーーーっ♡
「う〜〜♡」
「ふふっ」
初めての学校。
教室も。
授業も。
お昼ごはんも。
うーちゃんには、初めてのものばかりだった。
だけど今日は、ずっと一緒だった。
「また一緒に行く?」
「……いく♡」
胸元のペンダントが、きらりと輝いた。
それに応えるように、うーちゃんのパーカーのにんじんマークも――。
ほんの少しだけ。
ぽうっ、と光った。




