第30話 はじめての、つよいてき
――午後。
いつもの森。
木々の間から、やわらかな陽が差し込んでいます。
少し高い岩の上に立っているのは――カナタ。
「いくよー!」
腕を、ぱっ。
昨日もらった外套が、ふわりと広がります。
たっ!
ふわっ――!
「…………!」
うーちゃんが、大きな瞳でその姿を追います。
すーーーっ。
カナタの小さな身体が、森の中を滑っていきます。
外套が、しっかりと風をつかんでいました。
「とんだ〜♡」
ぱちぱちぱち♡
「えへへ♡」
カナタは嬉しそうに笑って――
ふわっ。
ぽすっ。
みんなの前へ、きれいに着地しました。
◇
「カナタ」
「なに?」
「もういっかい♡」
「いいよ!」
「うーちゃん、飛ぶの見るの好きだね」
ユイが笑います。
「すき♡」
即答でした。
「私もやる」
「?」
今度は、コヨリが立ち上がります。
「飛ぶ」
「飛べないでしょ」
イズナの冷静な一言。
「…………」
「いっしょにとぶ?」
カナタが聞きます。
「とぶ」
「やるんだ……」
ユイが苦笑します。
「いくよ」
「うん」
カナタとコヨリが並びます。
そして――
たっ!
「…………!」
「…………」
ふわっ――!
飛んだカナタ。
その横で。
コヨリは――
ぽふっ。
「だから無理だって」
「…………」
「おちた」
「実況しなくていいの」
すると。
「うーちゃんも♡」
「ダメ」
「…………」
即答。
うーちゃんの長い耳が、しゅん。
「とびたい……」
「いっしょにれんしゅうする?」
「勧誘しないで」
ユイは、すぐにカナタを止めました。
◇
少し休憩。
五人で――おやつ。
「おいし♡」
「おいしい♡」
「おいしい」
「いっぱい遊んだからね」
ユイが言うと。
イズナも小さく笑います。
「平和だね」
そのとき。
ころっ。
「あ」
うーちゃんのおやつが、地面へ落ちてしまいました。
「…………」
それを見たカナタは。
自分のおやつを――
ぱきっ。
半分にします。
「はい」
「…………!」
うーちゃんの顔が、ぱあっと明るくなりました。
「ありがと♡」
「うん♡」
二人並んで。
もぐ。
もぐ。
今度は、うーちゃんがコヨリを見ます。
「コヨリ」
「なに?」
「ぽうってして♡」
「いいよ」
コヨリが手を出します。
すっ。
ぽうっ。
小さな狐火が浮かびました。
「わぁ〜♡」
「きれい」
ふわふわと浮かぶ狐火を――
うーちゃんとカナタが、きらきらした目で見つめています。
◇
しばらくして。
うーちゃんは、自分の両手をじっと見つめていました。
「…………」
「何してるの?」
「なおす♡」
「誰を?」
「…………」
きょろ。
きょろ。
右を見る。
左を見る。
もう一度――
きょろ。
「…………」
「誰もケガしてないよ」
「…………」
「なおしたかった……」
「ケガしてない方がいいでしょ」
「…………!」
うーちゃんの目が、まん丸になります。
「ふふっ、かわいい」
イズナが言いました。
◇
「じゃあ、もういっかいとぶ!」
「みる♡」
「私も」
「コヨリは見てて」
「…………」
「ふふっ」
ユイが笑います。
いつもの森。
いつものみんな。
いつもの――楽しい時間。
――そのときでした。
ぴくっ。
コヨリの耳が動きます。
「…………」
手元に浮かんでいた狐火が――
ふっ。
消えました。
「?」
うーちゃんが首を傾げます。
「コヨリ?」
イズナの表情が変わります。
「…………いる」
「フレイ?」
「…………」
コヨリは答えません。
ただ――森の奥を見つめています。
「…………?」
カナタも、そちらを見る。
「どっち?」
「あっち」
森の奥。
「近い?」
「……うん」
「…………」
カナタが、小さな声で聞きました。
「つよいの?」
「…………」
イズナは。
ほんの少しだけ、間を置いて。
「うん」
「…………」
「…………」
その一言で――
空気が変わりました。
◇
しーん……。
ユイが周囲を見回します。
「…………」
おかしい。
鳥の声がしない。
虫の声も。
風に揺れる木々の音さえ――
さっきまでより、ずっと遠く感じます。
「…………」
うーちゃんが。
ユイの服を――
きゅっ。
そのとき。
森の奥。
ずる……。
黒い靄が――
ゆっくりと現れました。
「…………!」
いつものフレイより――
大きい。
濃い。
そして。
ぎらっ。
黒い靄の奥で。
赤い目が――光ります。
「…………」
カナタの笑顔が消えました。
◇
すっ。
イズナが前へ出ます。
「お姉ちゃん」
「うん」
「下がって」
「イズナ……」
「大丈夫」
そう言ったイズナは――
笑っていませんでした。
「コヨリ」
「うん」
赤いペンダントが――
きらっ!
コヨリの身体が光に包まれます。
ふわっ――。
その姿が光へ溶け。
イズナへ――
――換装。
〈モデル・コヨリ〉。
「来る」
次の瞬間。
ばっ!
「!」
ドンッ!!
「……!」
ユイが息を呑みます。
さっきまでイズナが立っていた場所。
その地面が――
大きく抉れていました。
「はやい……」
カナタが呟きます。
◇
「はっ!」
イズナが手を振る。
ぽうっ!
一つ。
二つ。
三つ。
狐火が――
フレイを取り囲みます。
「そこ!」
ぼうっ!!
一斉に炎が襲いかかる。
黒い影が――
炎に包まれました。
「…………」
うーちゃんが見つめます。
「やった……?」
ユイが呟いた――
そのとき。
ずる……。
「……!」
炎の中から。
黒い影が――
出てきました。
「効いてない?」
「効いてる」
イズナが答えます。
確かに――
黒い靄は、少し薄くなっていました。
「でも……」
ぎらっ。
赤い目が――
再びイズナを捉えます。
「倒れない」
◇
「――!」
ばっ!
「っ!」
ドンッ!!
「イズナ!」
「……大丈夫!」
地面へ叩きつけられたイズナが――
むくっ。
起き上がります。
けれど。
「はぁ……っ」
息が――荒い。
「ユイ」
「……うん」
隣から声がしました。
カナタです。
「ぼくも」
「…………」
カナタは――
フレイを見ています。
怖くないわけじゃない。
小さな手は――
ぎゅっと握られていました。
それでも。
「いけるよ」
「…………」
ユイはカナタを見つめます。
そして。
こくん。
「カナタ」
「うん!」
青いペンダントが――
きらっ!
カナタの外套も――
ぽうっ。
ふわあっ!
――換装。
〈モデル・カナタ〉。
ばさっ!
ユイの制服の上に現れた外套が――
翼のように、大きく広がります。
「…………!」
うーちゃんが見上げます。
「行くよ、カナタ」
胸の奥から――
『うん!』
たっ!
ふわっ――!
ユイの身体が――
空へ。
◇
「お姉ちゃん!」
「右!」
「分かった!」
ぽうっ!
イズナの狐火。
同時に――
ユイが上空から回り込みます。
すーーっ!
「――!」
フレイの赤い目が、ユイを追います。
「こっち!」
ばっ!
「っ!」
すっ!
ユイは身体を傾け――
攻撃をかわす。
「今!」
「はっ!」
ぼうっ!!
狐火が――
フレイへ直撃しました。
「――!」
「やった!」
「まだ!」
「えっ――」
ぎらっ。
「……!」
黒い影が――
再び動きます。
二人で戦っても。
まだ――
倒れない。
◇
その少し後ろ。
「…………」
うーちゃんは――
一人で立っていました。
ユイは――
カナタと。
イズナは――
コヨリと。
みんな。
戦っています。
「…………」
うーちゃんは――
自分の両手を見ました。
この手に。
できることがあるのは――
知っています。
この前。
傷ついたイズナを――
治せた。
「…………」
この手なら。
きっと――
ドンッ!!
「……っ!」
びくっ。
身体が――
勝手に震えました。
長い耳が。
ぺたん。
「…………っ」
ぷる。
ぷる。
怖い。
◇
「っ!」
空を飛ぶユイのすぐ横を――
フレイの攻撃が通り抜けます。
外套を――
かすめる。
「…………!」
うーちゃんの手が。
すっ。
ユイへ伸びます。
「…………」
「ユイ」
そう呼べばいい。
ユイと一緒に。
換装すればいい。
自分にも――
できることがある。
「…………っ」
でも。
声が――
出ません。
「…………」
伸ばした小さな手も――
ぷる。
ぷる。
「はあっ!」
ぼうっ!
「イズナ!」
目の前では――
大好きな人たちが戦っている。
助けたい。
なおしたい。
なのに。
「…………」
足が――
動かない。
◇
「イズナ!」
「うん!」
ユイが――
フレイの頭上を駆け抜けます。
すーーっ!
赤い目が――
ユイを追う。
「コヨリ――」
イズナの周囲へ。
ぽうっ。
ぽうっ。
ぽうっ。
一つ。
二つ。
三つ。
さらに――
いくつもの狐火が浮かびます。
「今!」
「はあっ!!」
ぼうっ!!!
「――――!」
黒い靄が――
大きく揺らぎました。
ざあっ!
「……!」
その身体が――
森の奥へ。
「逃げた……?」
「…………」
イズナは。
しばらく森の奥を見つめてから――
「うん」
小さく答えました。
倒したわけではありません。
追い返しただけ。
二人で戦っても――
倒せなかった。
◇
――帰り道。
青い光。
赤い光。
二つの換装は解け――
カナタとコヨリも、元の姿へ戻っていました。
「イズナ」
「なに?」
「いたい?」
「少しだけ」
「…………」
カナタが心配そうにイズナを見ます。
「だいじょうぶ?」
「うん」
イズナは――
小さく笑いました。
その少し後ろ。
ユイの腕の中には――
うーちゃん。
「…………」
いつものように。
ユイへぴったりとくっついています。
「まだ怖い?」
ユイが聞きます。
うーちゃんは――
ふるふる。
首を横に振りました。
「……ちがう」
「?」
「うーちゃん……」
小さな手を――
ぎゅっ。
「なにも……できなかった」
「…………」
ユイの腕に――
少しだけ力が入ります。
ぎゅっ。
「怖かったね」
なで。
なで。
「今日は、ゆっくり休も」
「…………」
うーちゃんは――
何も答えませんでした。
前を歩く――
イズナ。
その隣を歩く――
カナタとコヨリ。
「…………」
うーちゃんは。
イズナの傷を――
じっと見つめます。
そして。
自分の――
小さな両手を。
「…………」
ぎゅっ。
今日は――
何もできなかった。
怖くて。
動けなくて。
大好きな人たちが戦っているのに――
声すら、出せなかった。
それでも。
小さな胸の奥に――
一つだけ。
消えなかった気持ちがありました。
――なおしたい。
傷を。
痛いを。
そして――
何もできなかった、
今日の自分を変えたい。
「…………」
うーちゃんは――
もう一度。
小さな両手を――
ぎゅっ。
この日。
うーちゃんは初めて――
「強い敵」に出会いました。
そして。
初めて――
自分の弱さにも、
出会いました。
けれど。
それはきっと――
この小さな子が、
もう一歩だけ前へ進むための。
最初の一日。
夕暮れの森を――
五人は帰っていきます。
まだ誰も知りません。
今日。
森の奥へ消えていった黒い影が――
これから始まる出来事の、
ほんの入口だったことを。
そして。
「何もできなかった」と、
小さな手を握りしめたこの子が――
いつか。
その手で、
誰かを守ることを。
風が――
ふわっ。
うーちゃんの長い耳を、
そっと揺らしました。
『きずなのクローク』第一部 完
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