↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/45

第3話 はじめてのお留守番

朝。

「よし」

 制服に着替えたユイは、鞄を肩にかけた。

 忘れ物はない。

 教科書も入れた。

 ペンダントも、いつものように胸元で小さく揺れている。

「じゃあ――」

 玄関へ向かおうとして。

 ぺた。

「……?」

 ユイが振り返る。

 そこには、ぶかぶかのアイボリー色のパーカーを着たうーちゃんがいた。

「…………」

「どうしたの?」

 ユイが一歩歩く。

 ぺた。

 もう一歩。

 ぺた。

 ぺた。

「…………」

 ユイが止まる。

 ぴたっ。

 うーちゃんも止まった。

「……もしかして」

 試しに右へ一歩。

 ぺた。

 右へ。

 左へ一歩。

 ぺた。

 左へ。

「やっぱり」

 ユイは思わず笑って、うーちゃんの前にしゃがんだ。

「うーちゃんも、一緒に行くつもり?」

「うー♡」

 にぱっ。

 迷いのない笑顔だった。

「そっかぁ……」

 そんな顔をされると、連れていきたくなる。

 できることなら、このまま抱っこしていたい。

 でも――。

「学校には連れていけないんだ」

「……?」

 うーちゃんが首を傾げる。

「今日はここで、お留守番しててくれる?」

「…………」

 しゅん……。

 長いたれ耳が、一目で分かるほど力なく垂れた。

「ああ……そんな顔しないで」

 ユイは苦笑しながら、小さな頭を撫でる。

 なで。

 なで。

「ちゃんと帰ってくるから」

「……う」

「約束」

「…………」

 うーちゃんには、まだ『約束』の意味も分からないかもしれない。

 それでもユイは、もう一度優しく頭を撫でた。

     ◇

「じゃあ、行ってきます」

「…………」

 玄関に、うーちゃんがちょこんと座っている。

「なるべく早く帰ってくるからね」

「……う」

「いい子にしててね」

 ぱたん。

 扉が閉まった。

「…………」

 しーん。

 さっきまで聞こえていたユイの声が、なくなった。

 うーちゃんは閉じた扉を見つめている。

「…………」

 じーっ。

 もう一度、開くかもしれない。

 そんなふうに待っているようにも見えた。

 けれど。

「…………」

 扉は開かない。

 ぺた。

 うーちゃんは立ち上がった。

 ぺた。

 ぺた。

 ひとりで部屋へ戻る。

「…………」

 昨日までとは違って見えた。

 同じ部屋なのに。

 同じテーブル。

 同じ椅子。

 同じカーテン。

 なのに――。

 広い。

 とても、広い。

「…………」

 うーちゃんは椅子の下を覗いた。

「……いない」

 カーテンの向こう。

「……いない」

 テーブルの向こうにも回ってみる。

「……ユイ?」

 返事はなかった。

「…………」

 もちろん、分かっている。

 ユイはさっき、玄関から出ていった。

 それでも。

 探してしまう。

「……ユイ」

 部屋の真ん中で、うーちゃんはちょこんと座った。

 長い耳も、ぺたん。

「…………」

 昨日、森でひとりだったときとは違う。

 あのときは、これが普通だった。

 ひとりでいることしか知らなかった。

 でも。

 今は――。

「……さみしい」

 ユイがいることを、知ってしまった。

     ◇

「…………」

 そのとき。

 ふわっ。

「……?」

 うーちゃんの鼻が、小さく動いた。

 くん。

 くん。

「……う?」

 知っている匂いがした。

 どこか安心する。

 昨日から何度も感じている匂い。

 うーちゃんは辺りを見回した。

 でも、ユイはいない。

 くん。

「…………」

 そこで気づいた。

 自分の袖。

 昨日、ユイからもらったパーカー。

「…………」

 うーちゃんは袖を鼻へ近づける。

 くん。

「……ユイ」

 この服だ。

 もともとユイが小さかったころ、大切に着ていた服。

 昨日。

 自分にくれた服。

「…………」

 ぎゅっ。

 うーちゃんは袖を握った。

 そして――。

 むぎゅ。

 パーカーへ、ほっぺを埋める。

「……ユイ」

 あったかい。

 ユイの匂いがする。

 目を閉じると。

 頭を撫でてくれた手。

 抱っこしてくれた腕。

 今朝の「ちゃんと帰ってくるから」という声。

 少しだけ、近くに感じる。

「……う」

 ぺたんとしていた耳が、ほんの少しだけ戻った。

「…………」

 うーちゃんは玄関を見る。

 あそこから。

 ユイは帰ってくる。

 だから――。

 ぺた。

 ぺた。

 うーちゃんは玄関まで戻った。

 扉の近くで、小さな身体を丸める。

「……まつ」

 ユイが帰ってきたら。

 すぐに分かるように。

「…………」

 すぅ……。

 すぅ……。

 やがて。

 うーちゃんはパーカーに頬を埋めたまま、眠ってしまった。

     ◇

 どれくらい経っただろう。

 窓から差し込む光が、オレンジ色に変わったころ。

 がちゃ。

「ただいまー」

 玄関の扉が開いた。

「…………!」

 ぴくっ!

 長いたれ耳が反応した。

 うーちゃんの目が開く。

「ふぅ……今日も疲れ――」

「…………!」

 ユイ。

 いる。

 帰ってきた。

 次の瞬間。

 うーちゃんの顔が――。

 ぱあっ♡

「うーっ!」

「え?」

 ぺた!

 ぺたぺたぺたぺた!

「えっ、うーちゃん!?」

 小さな身体で、できる限りの全速力。

 そのまま――。

「う〜〜っ!」

 ぎゅーーーーっ♡

「わっ!」

 ユイの足へ、しがみついた。

「うーちゃん!?」

「う〜……!」

 ぎゅううう。

 離れない。

「…………」

 ユイは一瞬驚いて。

 すぐに、その理由に気づいた。

「……そっか」

 鞄を下ろす。

 そして。

「おいで」

 ひょい。

 うーちゃんを両腕で抱き上げた。

「……!」

 ぎゅっ。

 今度はユイの胸元へ。

 小さな顔を思い切り埋める。

「そんなに寂しかった?」

「……う」

「ごめんね」

 なで。

 なで。

「でも」

 ユイは小さな背中を抱き寄せた。

「ちゃんと帰ってきたよ」

「…………」

 うーちゃんが、少しだけ顔を上げた。

 ユイを見る。

「…………」

「ただいま、うーちゃん」

「…………」

 小さな口が開く。

「……おかーり」

「……!」

 ユイの手が止まった。

「いま……」

 うーちゃんは嬉しそうにユイへくっつく。

「うー♡」

「おかえりって言った?」

「……おかーり♡」

「…………!」

 ぎゅっ。

 今度は、ユイの方から抱きしめた。

「ふふっ」

「う〜♡」

「ただいま、うーちゃん」

     ◇

 それから。

 ユイが学校から帰ってくる時間になると――。

 玄関の近くに、小さな女の子が現れるようになった。

 まだかな。

 まだかな。

 長い耳をぴくぴくさせながら待って。

 そして。

 がちゃ。

「ただいまー」

「……!」

 ぱあっ♡

「おかーり!」

 ぺた。

 ぺたぺたぺたぺたっ♡

「わっ、うーちゃん!」

 何よりも早く。

 何よりも嬉しそうに。

 ユイを迎えに行く。

 うーちゃんにとって、

 「おかえり」は――

 大好きな人が、ちゃんと帰ってきてくれたことを知る言葉になりました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。