第2話 はじめての贈りもの
朝。
カーテンの隙間から、春の柔らかな光が差し込んでいた。
ユイは目を覚ますと、まだ少し眠い目をこすりながら、部屋の隅へ視線を向けた。
「…………」
いた。
昨日、森で出会った小さな女の子。
長いうさぎの耳を床へ垂らし、小さな身体を丸めて眠っている。
すぅ……。
すぅ……。
規則正しい、小さな寝息。
「……おはよう」
もちろん、返事はない。
それでもユイは少しだけ笑った。
昨日の出来事は、夢じゃなかった。
森で出会って。
指を握ってくれて。
不思議な光に包まれて。
そして、ユイの腕の中で眠ってしまった――あの子が、ちゃんとここにいる。
「…………」
しばらくすると。
ぴくっ。
長い耳が動いた。
「……ぅ」
大きな瞳が、ゆっくりと開く。
「…………」
最初に見えたのは、知らない天井。
次に、知らない部屋。
「…………!」
きょろ。
きょろ。
不安そうに周囲を見回す。
「あ……」
ユイが声をかけようとした、そのとき。
「……!」
女の子がユイを見つけた。
じーっ。
「おはよう」
「…………」
しばらくユイを見つめて。
ぺた。
小さな足が動いた。
ぺた。
ぺた。
昨日よりもずっと迷いなく、ユイのところまでやってくる。
「ふふっ」
「……?」
「ちゃんと覚えててくれたんだ」
「……ぅ」
長い耳が、ほんの少しだけ揺れた。
◇
朝食の準備を始めると、女の子の様子が変わった。
小さなお皿へ、柔らかくした野菜と果物を並べる。
ことっ。
「…………!」
きらっ。
大きな瞳が輝いた。
あまりにも分かりやすくて、ユイは思わず笑う。
「お腹、すいてたもんね」
「…………」
お皿を差し出すと――。
もぐっ。
もぐもぐ。
「わっ」
ものすごい勢いだった。
「ゆっくりでいいよ。誰も取らないから」
「…………」
ぴたっ。
女の子が止まった。
口いっぱいに頬張ったまま、ユイを見上げる。
「取らないよ」
「…………」
じーっ。
しばらくユイを見つめてから。
もぐ。
今度は少しだけゆっくり食べ始めた。
「ふふっ」
やがて。
お皿はきれいに空っぽになった。
「……ふぅ」
小さなお腹を押さえて、満足そうな顔。
「お腹いっぱい?」
「…………」
こくん。
「……!」
ユイが目を丸くする。
「いま、うなずいた?」
「…………」
「ねえ、もう一回やってみて?」
「…………」
「お腹いっぱい?」
「…………」
今度は何もしてくれない。
「……気のせい?」
そのとき。
開いていた窓から、少し冷たい風が入り込んだ。
ふわっ。
長いたれ耳が揺れる。
「……くしゅん」
「あっ」
小さな身体が震えた。
そこでユイは気づいた。
女の子が着ているのは、薄いベビー服だけだ。
「寒いよね……」
「…………」
「何か着られるもの……」
ユイは少し考えて。
「あ」
ひとつだけ、思い当たるものがあった。
◇
クローゼットの奥。
そこには、ずっと開けていなかった箱があった。
「確か、この辺に……」
ごそごそ。
「あった」
箱を引っ張り出し、床へ置く。
ふたを開けると――。
「…………」
小さなパーカーが入っていた。
柔らかなアイボリー色。
胸元には、大きなピンク色のリボン。
新品ではない。
少しくたびれていて、何度も着たことが分かる。
それでも。
とても大切にしまわれていた。
「これね」
ユイはパーカーを持ち上げた。
「私が小さいころ、ずっと着てたんだ」
「…………」
女の子が見上げる。
「すごく気に入っててさ。どこに行くにも着てたの」
楽しかった日。
転んで泣いた日。
眠くなって、誰かに抱き上げてもらった日。
もう、ひとつひとつを鮮明には思い出せない。
それでも、この服を手にすると。
不思議と温かなものが胸に残る。
「大きくなって、着られなくなって……」
ユイは指先で生地を撫でた。
「それでも、捨てられなくてさ」
「…………」
女の子はパーカーを見て。
それから、ユイを見る。
「…………」
「…………」
少しだけ、迷った。
ずっと大切にしてきたものだから。
でも――。
目の前の小さな子を見る。
寒そうに身体を縮めている。
この子が着てくれるなら。
しまったままにしておくより、ずっといい。
ユイは笑った。
「あなたに、あげる」
「……?」
「おいで」
◇
ユイは小さな身体へ、そっとパーカーを着せていく。
すぽっ。
「…………」
「…………」
ぶかぶかだった。
袖は長く、小さな指先がほんの少し覗いているだけ。
裾も余っている。
「ちょっと大きいね」
「…………」
女の子は、自分の袖を見る。
ふわ。
ふわ。
小さな手で触ってみる。
それから――。
むぎゅ。
パーカーへ顔を埋めた。
「……ぅ」
「どう?」
「…………」
顔を上げる。
そして。
「……えへ」
「……!」
笑った。
昨日、森で出会ってから初めて見せてくれた笑顔だった。
本当に小さな、小さな笑顔。
けれど。
ユイには、それがたまらなく嬉しかった。
「……似合ってるよ」
その瞬間――。
ふわっ。
「え……?」
青い光が、部屋を照らした。
ユイが胸元を見る。
「ペンダント……」
昨日と同じ。
胸元のペンダントが、淡い青色に輝いている。
「また……!」
けれど。
今回は、それだけではなかった。
「……え?」
光の粒が、ユイの胸元からふわふわと流れていく。
向かった先は――。
女の子が着ているパーカー。
「パーカーが……?」
「……?」
女の子も、自分の服を見下ろす。
アイボリー色の生地が、淡い青色に包まれていた。
胸元の大きなピンク色のリボン。
その少し下へ――。
ひとつ。
また、ひとつ。
小さな光が集まっていく。
「…………」
「…………」
やがて。
光が、すうっと消えた。
「……え?」
ユイは目を疑った。
そこには――。
「にんじん……?」
小さな、にんじんの印。
さっきまで。
確かに、なかった。
「こんなの……ついてなかったよね?」
「……?」
女の子は自分のお腹を見下ろす。
そして。
ちょん。
小さな指で、にんじんを触った。
「……う?」
「…………」
もう一度。
ちょん。
「……う」
「ふふっ」
その仕草がおかしくて、ユイが笑う。
すると――。
『……いっしょ。』
「え?」
ユイの笑顔が止まった。
今。
何か聞こえた。
「…………」
部屋を見る。
誰もいない。
目の前にいるのは、この小さな女の子だけ。
『……いっしょ、いたい。』
「……!」
今度は、はっきり聞こえた。
耳から聞こえた声ではない。
もっと近い。
まるで――。
胸の奥へ直接届いたような声。
ユイは女の子を見る。
「もしかして……」
「…………」
「今の、あなた?」
「…………」
女の子は何も答えない。
ただ。
大きな瞳で、まっすぐユイを見ている。
「…………」
ユイは、そっと両腕を伸ばした。
小さな身体を抱き上げる。
「……ぅ」
「うん」
ぎゅっ。
「一緒にいよう」
「…………」
「これからも、一緒にいようね」
「……ぅ」
女の子が、ユイの胸へ頬を寄せる。
その瞬間。
ふわっ。
青いペンダントと。
パーカーに現れた小さなにんじん。
二つが、呼応するように優しく光った。
◇
「あ」
「……?」
しばらくして、ユイは大切なことに気づいた。
「そういえば……」
「…………」
「ずっと『あなた』じゃ、変よね」
「……?」
「私はユイ」
「あなた名前、ある?」
「…………」
「……聞いても分からないか」
ユイは腕の中の女の子を見る。
白くて。
小さくて。
ふわふわで。
何より目立つのは、身体の横へ長く垂れた大きなうさぎの耳。
「うさぎ……」
「…………」
「うー……」
「……う?」
ユイが、ぱちっと瞬きをする。
「…………」
「…………」
「うーちゃん」
「……?」
「うーちゃん、ってどうかな?」
ぱち。
ぱち。
大きな瞳が瞬いた。
「……うー?」
「うん」
ユイは笑う。
「今日から、あなたはうーちゃん」
「…………」
小さな口が、ゆっくり動いた。
「……うー、ちゃん」
「!」
「……うーちゃん」
「そう。うーちゃん」
「…………」
そして――。
にぱっ。
「うーちゃん♡」
「ふふっ。よろしくね、うーちゃん」
「う〜♡」
◇
ぺた。
ぺた。
ぺた。
ぶかぶかのパーカーを着たうーちゃんが、ユイのあとを一生懸命について歩く。
「うーちゃん、こっちだよ」
「う〜♡」
袖から覗く、小さな指先。
歩くたびに揺れる、大きなピンクのリボン。
そして。
そこには今朝まで存在しなかった――小さなにんじんの印。
ユイの胸元では、青いペンダントが揺れている。
この日。
ユイとうーちゃんの間に。
初めての――**「キズナ」**が結ばれた。
けれど。
ユイはまだ知らない。
なぜ、ペンダントが光ったのか。
なぜ、パーカーに印が現れたのか。
そして。
二人を結んだこのキズナが、いつか形を変え――。
ユイ自身を包み込む、
「クローク」
という力になることを。




