第25話 たいせつなもの
夕暮れ――。
ユイたちと別れたあと。
イズナとコヨリは、二人で帰り道を歩いていた。
「イズナ」
「なに?」
「おなかすいた」
「さっきおやつ食べてたじゃん」
「あれはおやつ」
「…………」
イズナは隣を歩くコヨリを見る。
「それ、うーちゃんも言いそう」
「…………」
少し考えてから、コヨリはきっぱり言った。
「言わない」
「言うよ」
「私はお姉ちゃんだから」
「いつから?」
「今日から」
「勝手に決めたんだ」
そんな話をしながら歩いているうちに、一軒の家が見えてきた。
「ただいま」
「ただいまー」
玄関を開けると、奥から声が返ってくる。
「おかえり」
イズナの叔母だった。
「うん」
「コヨリちゃん」
「?」
「手、洗ってね」
「はーい」
元気よく返事をして――
コヨリは、そのままとことこ自分たちの部屋へ向かう。
「…………」
「コヨリちゃん」
「!」
ぴたっ。
「手」
「…………」
コヨリは振り返った。
「わすれてた」
「返事だけはよかったね」
イズナが呆れたように言った。
◇
手を洗って、二人の部屋へ。
「つかれたー」
ぽふっ!
コヨリは真っ先にイズナのベッドへ飛び込んだ。
「そこ私のベッド」
「知ってる」
「じゃあどいて」
「やだ」
「なんで」
「ここがいい」
「…………」
イズナは諦めて、荷物を片づけ始めた。
その横で、ごろごろしていたコヨリがふと声を上げる。
「イズナ」
「今度はなに?」
「これ」
コヨリが指したのは、棚の上に飾られている一枚の写真だった。
そこには――
まだ幼いイズナと、中学生くらいのユイ。
二人並んで、少し照れくさそうに笑っている。
「これ、ユイ?」
「うん」
コヨリは写真と部屋を交互に見る。
「ユイも、ここに住んでた?」
「うん」
「いつまで?」
「高校に入るまで」
「…………」
コヨリは少し考えた。
「じゃあ」
「?」
「なんでユイだけ、帰ったの?」
「…………」
ほんの少し、間が空く。
「お姉ちゃんが決めたから」
「?」
「高校に入るとき、お父さんとお母さんと暮らしてた家に戻りたいって」
「一人で?」
「うん」
「…………」
コヨリは黙ってイズナを見つめた。
「イズナ」
「なに」
「さみしかった?」
「…………」
「別に」
「…………」
じーーーーっ。
「なに」
「さみしかったんだ」
「言ってない」
コヨリはそれ以上追及しなかった。
ただ、ごろんと転がって――
イズナの隣へ。
ぴとっ。
「?」
「今は私いるから」
「…………」
「さみしくない」
イズナは少しだけ目を丸くした。
それから――
ふっ、と笑う。
「そうだね」
◇
「イズナー。コヨリちゃーん。ご飯よー」
「!」
ばっ!
「はーい!」
たたたっ!
さっきまで「つかれたー」と寝転んでいたコヨリが、一瞬で部屋から消える。
「ご飯のときだけ速い」
食卓には、当然のように二人分の食器が並んでいた。
「今日はお魚」
「やった♡」
「さっきまで疲れたって言ってたよね」
「なおった」
「コヨリちゃん、おかわりあるからね」
「うん」
「食べすぎないでよ」
「イズナも」
「私は普通」
「二人とも食べなさい」
「はーい」
二人の声が重なった。
食事の途中。
叔母がコヨリの皿へ、もう少し料理を取り分ける。
「これ好きだったでしょ?」
「うん」
「…………」
その光景を見て。
イズナは――
昔のことを思い出した。
◇
――ずっと前。
まだ、コヨリがこの家へ来たばかりのころ。
小さなコヨリは、イズナの後ろにぴったりと隠れていた。
「…………」
「…………」
叔母をじっと見つめている。
完全に警戒していた。
「この子」
「…………」
「コヨリ」
「コヨリちゃん?」
「…………」
「精霊」
「そう」
「…………」
あまりにも普通の反応だったので、イズナのほうが戸惑った。
「驚かないの?」
「驚いてるわよ」
「見えないけど」
「あなたのお母さんで慣れてるの」
「…………」
「…………?」
コヨリだけが、よく分からないという顔をしていた。
叔母はそれ以上何も言わず、コヨリの前へしゃがみ込む。
「コヨリちゃん」
「…………」
「何が食べられる?」
「…………」
代わりにイズナが答える。
「何でもいいよ」
「ダメ」
「え?」
「この子が食べるんだから」
叔母は、ちゃんとコヨリを見た。
「この子に聞いてるの」
「…………」
コヨリはしばらく黙っていた。
やがて――
小さな、小さな声で。
「…………おさかな」
「お魚?」
こくん。
「分かった」
叔母は笑った。
「じゃあ今日はお魚にしよう」
「…………」
「ほかに嫌いなものある?」
「…………」
「好きなものでもいいよ」
「…………」
少しずつ。
少しずつ。
コヨリは話し始めた。
それが、この家でコヨリが「家族」になっていった最初のころだった。
◇
数日後。
コヨリには、一つの習慣ができていた。
外で見つけたものを、たくさん集めるのだ。
木の実。
きれいな石。
小さな木の枝。
花びら。
全部、コヨリにとっては大切なものだった。
「…………」
今日も両手いっぱい。
「また増えたの?」
「大事なもの」
「全部?」
「全部」
「そっか」
そのとき。
ころっ。
「あ」
木の実が手から落ちた。
ころころころ……。
さらに――
ぽろっ。
今度は石。
「あっ!」
「…………」
「待って!」
たたたっ!
一つ拾う。
すると――
ぽろっ。
別の一つが落ちる。
「…………!」
「…………」
そんなコヨリを、イズナは黙って見ていた。
翌日。
「コヨリ」
「?」
イズナの手には、小さな巾着があった。
赤い組紐のついた巾着。
「…………なに?」
「巾着」
イズナは、それを差し出す。
「これ、あげる」
「いらない」
「即答?」
「…………」
「まあ見て」
イズナは巾着を開いた。
昨日拾った木の実を――
ころん。
きれいな石も――
ころん。
そして、赤い組紐をきゅっと閉じる。
「こうすれば」
「…………」
イズナは巾着を差し出した。
「大事なもの――なくさないでしょ」
「…………」
コヨリは巾着をじっと見つめる。
そして。
そっと両手で受け取った。
「……もらう」
「うん」
「…………」
ぎゅっ。
胸元へ抱きしめる。
「気に入った?」
「普通」
「返して」
「やだ」
「気に入ってるじゃん」
「普通」
ぎゅうっ。
「はいはい」
それが――
コヨリにとっての、最初の宝物になった。
◇
「…………」
気づけば、食事は終わっていた。
部屋へ戻ったコヨリは、いつもの場所へ巾着を置く。
今でもずっと使っている――
あの日の巾着。
「それ」
「?」
「まだ使ってるね」
「うん」
「結構古くなった」
布は少し擦れている。
赤い組紐にも、長いあいだ使われてきた跡があった。
「新しいの作ろうか?」
「…………」
コヨリは巾着を――
ぎゅっ。
「やだ」
「え?」
「新しいの、いらない」
「でも壊れたら――」
「これがいい」
「…………」
「イズナが」
ぎゅっ。
「最初にくれた、これがいい」
「…………」
その瞬間。
イズナの赤いペンダントが――
ほんの少し。
きらっ。
巾着の赤い組紐も、呼応するように淡く光った。
「…………」
イズナは何も言わず、コヨリの頭へ手を置く。
なで。
「?」
「大事にしてくれて――」
にこっ。
「ありがと」
「…………」
コヨリは少し照れたように顔をそむけた。
「別に」
「それ私の真似?」
「別に」
「絶対そうじゃん」
◇
「イズナ」
「ん?」
「今日」
「?」
「ユイ、嬉しそうだった」
「モモンガの子?」
「うん」
「…………」
「イズナも」
「私?」
「嬉しそうだった」
「別に」
「…………」
にやっ。
「なに」
「似てる」
「誰と?」
「ユイ」
「…………」
「困ってる子――放っておけない」
「…………」
「同じ」
「…………」
ぷいっ。
「似てないし」
「似てる」
そのときだった。
こんこん。
「イズナ」
「なに?」
叔母が部屋を覗く。
「そういえば、今日はユイちゃんと一緒だったの?」
「うん」
「元気?」
「元気」
「ちゃんと食べてる?」
「たぶん」
「たぶん?」
「…………」
「今度見てきて」
「はいはい」
横からコヨリが口を挟む。
「食べてたよ」
「そう?」
「うーちゃんもいっぱい食べる」
「…………」
「…………」
沈黙。
「うーちゃん?」
「うん」
「あ」
イズナは今さら気づいた。
「イズナ」
「…………」
「うーちゃんって誰?」
「お姉ちゃんと暮らしてる精霊」
「…………」
少し間があった。
「いつから?」
「最近」
「聞いてないんだけど」
「…………」
「…………」
そして――
イズナの口から自然に出た。
「聞かれてないし」
しーん。
「……あ」
コヨリが肩を震わせる。
「…………っ」
「笑わないで」
「だって……」
ぷるぷる。
「ユイと同じこと言われてる」
「…………」
叔母がくすっと笑った。
「姉妹ねぇ」
「違うから!」
「じゃあ今度――」
「?」
「ユイちゃんとうーちゃんも連れてきなさい」
「うん」
「モモンガの子も」
「モモンガ?」
「…………」
「今日増えた」
「…………」
「…………」
「…………」
長い沈黙。
「ユイちゃん……」
叔母は本気で心配そうな顔になった。
「ちゃんと面倒見られてるの?」
「それは私も心配」
「…………」
◇
夜――。
部屋の明かりを消す。
「おやすみ」
「おやすみ」
しーん……。
「…………」
「…………」
しばらくして。
「イズナ」
「なに?」
「…………」
暗闇の中。
コヨリは、あの巾着を――
ぎゅっ。
「これ」
「うん」
「…………」
少しだけ照れながら。
「もらってよかった」
「…………」
「大事なもの、なくさなくなった」
「そっか」
「でも」
「?」
コヨリは――
巾着そのものを抱きしめた。
「いちばん大事なの――」
少し考えて。
「これかも」
「…………」
イズナはそっと手を伸ばす。
なで。
なで。
「じゃあ」
優しく笑って。
「私も、あげてよかった」
「……うん」
やがて――
コヨリは眠った。
すぅ……。
その小さな手には、今でも――
あの日の巾着。
昔。
大切なものをなくさないようにと、
何気なく贈った――
小さな巾着。
それはいつしか。
二人をつなぐ――
大切な「絆の形」になっていた。
赤いペンダントと。
巾着の赤い組紐が――
夜の中で。
小さく――
きらっ。




