第26話 つばさ
翌朝――。
ちゅん。
ちゅん。
「…………ん」
鳥の声に、ユイはゆっくり目を開けた。
「…………」
まだ少し眠い。
ぼんやりしたまま右を見ると――
「すぅ……♡」
うーちゃんが、ぐっすり眠っている。
小さな手は、いつものようにユイの服を――
きゅっ。
「…………」
ユイは小さく笑った。
そして、反対側を見る。
「…………」
誰もいない。
「……あれ?」
昨夜、そこにはもう一人いたはずなのに。
そのときだった。
外から――
「もういっかーい!」
「…………」
ユイの目が細くなる。
なんとなく。
嫌な予感がした。
◇
庭へ出てみると――
「…………」
やっぱりいた。
モモンガの子が、少し高い場所に立っている。
腕を大きく広げて――
「いくよー!」
「朝から!?」
たっ!
ふわっ――!
小さな身体が宙へ飛び出す。
すーーーっ。
「…………!」
最初は順調。
けれど――
だんだん。
高度が落ちていく。
すーー……。
そして。
ぽふっ。
「大丈夫?」
「うん!」
むくっ!
起き上がると、すぐに元の場所へ戻っていく。
「まだやるの?」
「うん♡」
「疲れない?」
「だって――」
ぱあっ、と笑って。
「とぶの、すき♡」
「…………」
どうやら止めても無駄らしい。
その声を聞きつけたのか。
ぺた。
ぺた。
家の中から、眠そうなうーちゃんが出てきた。
「…………」
「おはよ!」
「おはよ♡」
まだ半分寝ているような顔で、うーちゃんが答える。
その目の前で――
「もういっかい!」
たっ!
ふわっ。
「…………!」
うーちゃんの目が輝く。
そして。
自分も両手を――
ぱっ♡
「ユイ」
「……まさか」
「とぶ♡」
「まだ諦めてなかったんだ」
「いっしょにれんしゅうする?」
「する♡」
「待って待って」
「?」
ユイは少し考える。
「うーちゃんは飛ぶ練習じゃなくて――」
「…………」
「応援係」
「…………」
モモンガの子が、もう一度高いところへ登る。
「もういっかい!」
「がんばれ〜♡」
たっ!
ふわっ!
「とんだ〜♡」
そして――
ぽふっ。
「…………」
うーちゃんは真顔になった。
「おちた。」
「実況になってる」
◇
しばらくして。
三人で朝ごはん。
「おいしい♡」
「おいしい♡」
「…………」
二人が幸せそうに食べている横で。
ユイは、モモンガの子の腕をちらりと見る。
そこにある――
小さな飛膜。
昨夜の言葉を思い出す。
『もっと――』
『とおくまで、とびたい』
「…………」
そして今度は、うーちゃんを見る。
今日も。
ユイからもらったパーカーを、大切そうに着ている。
「…………」
パーカー。
小さな飛膜。
「…………!」
ふと。
一つの考えが浮かんだ。
「ユイ?」
「ん?」
「どうしたの?」
「…………」
ユイは少しだけ笑った。
「ちょっと待ってて」
◇
がらっ。
押し入れを開ける。
奥には、いくつかの古い箱がしまわれていた。
「確か……」
ごそ。
ごそ。
「あった」
一つの箱を、そっと下ろす。
「なにそれ?」
「昔のもの」
「むかし?」
「うん」
ぱかっ。
蓋を開ける。
中には――
古い写真。
小さな思い出の品。
そして。
丁寧に畳まれた、一枚の布。
「…………」
ユイはそれを、そっと取り出した。
少し古くなった――
やわらかなひざ掛け。
「…………」
「ふわふわ♡」
「これね」
ユイは懐かしそうに布を撫でる。
「お母さんが作ってくれたの」
◇
――ずっと昔。
まだ小さかったユイは、ソファの上で眠っていた。
「すぅ……」
「すぅ……」
母はそんな娘を見つめて――
「…………」
ふふっ。
優しく笑う。
そして。
手にしていたひざ掛けを――
ふわっ。
小さな身体へ掛けた。
「…………」
もぞ。
幼いユイが、ひざ掛けを抱きしめる。
「寒くない?」
「…………」
眠ったまま。
小さな声で――
「……あったかい」
「…………」
母の手が、ユイの髪を撫でる。
なで。
なで。
「おやすみ、ユイ」
「すぅ……」
あの日も。
その布は――
ユイを優しく包んでいた。
◇
「…………」
思い出から戻る。
ユイの手の中には――
あの日と同じひざ掛け。
「ユイ?」
「うん」
ばさっ。
ユイはひざ掛けを広げた。
「?」
そして――
モモンガの子を見る。
腕を広げたときに現れる、小さな飛膜。
もう一度。
手の中の布を見る。
「…………」
その端を、モモンガの子の背中へ。
ふわっ。
「?」
「腕、広げてみて」
「こう?」
「うん」
ぱっ。
小さな飛膜。
その外側へ、ひざ掛けが広がる。
「…………!」
ユイの表情が明るくなる。
「これなら――」
「?」
「もう少し、風をつかめるかも」
「…………!」
モモンガの子の目が大きく開いた。
そのとき。
ピンポーン。
「?」
玄関へ向かい、扉を開ける。
「おはよ」
「おはよー」
イズナとコヨリだった。
「どうしたの?」
「昨日のこと、ちょっと――」
そう言いながら部屋へ入ってきたイズナが――
ぴたっ。
立ち止まった。
「…………」
「?」
「それ」
イズナの視線は、ユイが持っている布に向いている。
「…………」
そっと手を伸ばす。
「お母さんのひざ掛け」
「うん」
「…………」
コヨリも。
モモンガの子も。
二人の姉妹を見つめていた。
「なんで出したの?」
「これで――」
ユイはモモンガの子を見る。
「この子の外套を作ろうと思って」
「…………」
イズナの視線が、テーブルへ移る。
裁縫道具。
そして――
ハサミ。
「お姉ちゃん」
「うん」
「これ――」
少しだけ迷ってから。
「切るの?」
「…………」
「うん」
ユイはひざ掛けをテーブルへ置いた。
ハサミを持つ。
すっ。
けれど。
ぴたっ。
「…………」
手が止まった。
眠っていた自分。
優しい母の手。
『おやすみ、ユイ』
「…………」
ハサミを握る手に、少しだけ力が入る。
「…………」
イズナはそんな姉を見ていた。
「無理してない?」
「…………」
「ちょっとね」
ふふっ。
笑ったけれど。
その顔は、少しだけ寂しそうだった。
「ずっと――」
ユイはひざ掛けを撫でる。
「捨てられなくて」
「うん」
「だから、ずっとしまってた」
「…………」
そのとき。
窓の外で――
ふわっ。
風が吹いた。
「…………」
モモンガの子が空を見る。
そして。
小さな飛膜を――
ぱっ。
「…………」
ユイはその姿を見つめた。
「でも」
ひざ掛けを――
ぎゅっ。
そして。
今度はちゃんと笑った。
「ずっとしまっておくより」
「…………」
「誰かをあったかくしてくれた方が、お母さんも喜ぶかなって」
「…………」
「私のことは――」
布を優しく撫でる。
「いっぱい、あったかくしてくれたから」
「…………」
「今度は――」
モモンガの子を見る。
「この子を包んでくれたらいいなって」
「…………」
けれど。
モモンガの子は――
ふるふる。
首を横に振った。
「?」
「だめ」
「え?」
「それ」
ひざ掛けを指す。
「ユイの――」
「だいじなやつでしょ?」
「うん」
「じゃあ――」
小さな声で。
「もらえない」
「…………」
ユイはその子の前へしゃがみ、目線を合わせた。
「大事だよ」
「じゃあ――」
「だから」
にこっ。
「大事だから、あげるんだよ」
「…………」
「お母さんからもらった大事なものを」
小さな手を、そっと握る。
「今度は――」
ぎゅっ。
「私が、大事な子にあげたいの」
「…………」
モモンガの子は何も言わなかった。
イズナも。
コヨリも。
ただ、二人を見つめている。
「…………」
やがて。
モモンガの子の目に――
ほんの少しだけ、涙が浮かんだ。
「……ほんとに?」
「うん」
「…………」
こくん。
「もらう」
◇
「…………」
もう一度。
ハサミを持つ。
すっ。
ちょき。
「…………」
最初の一回だけ。
ユイは少し目を閉じた。
そして――
もう一度。
ちょき。
「…………」
その様子を見ていたイズナが、ユイの反対側へ座る。
「?」
「貸して」
「え?」
「お姉ちゃん、裁縫下手でしょ」
「普通だけど」
「この前ボタン逆につけてた」
「…………」
「つけてた」
「コヨリまで!」
「私もやる」
「…………」
ユイは少しだけ笑った。
「うん」
二人並んで。
ちく。
ちく。
「…………♡」
「…………」
うーちゃんとモモンガの子が、並んでじーーーーっと見ている。
「…………」
コヨリまで――
じーーーーっ。
「見られるとやりづらいんだけど」
「うーちゃんも♡」
「針は危ないからダメ」
「…………」
しゅん。
「あー……じゃあ」
ユイは小さなリボンを渡した。
「これ持ってて」
「!」
ぎゅっ♡
「もつ♡」
「私は?」
「応援」
「…………」
「がんばれー」
「やる気ないでしょ」
「ある」
◇
ちく。
ちく。
そして――
夕方。
「…………」
「…………」
ユイとイズナは、完成したものを広げた。
ふわっ。
「…………!」
柔らかな布でできた――
小さな外套。
身体を優しく包みながら。
腕を広げれば――
小さな飛膜のさらに外側まで、ふわりと広がる形になっている。
「おいで」
「…………」
ぺた。
ぺた。
モモンガの子が、ユイの前へ。
ユイは外套を持ち上げ――
その小さな肩へ。
ふわっ。
「…………」
モモンガの子は外套を――
ぎゅっ。
「…………あったかい」
「…………」
「…………」
その言葉に。
姉妹は顔を見合わせて――
少しだけ笑った。
「そうでしょ」
「うん」
「私も――」
ユイは外套を撫でる。
「そうだったから」
「…………」
◇
モモンガの子が、窓の外を見る。
「…………」
「試してみる?」
「!」
「いいの!?」
「そのために作ったんだから」
「…………!」
みんなで庭へ出る。
いつもの――
少し高い場所。
「…………」
モモンガの子がそこに立つ。
下には。
ユイ。
イズナ。
うーちゃん。
コヨリ。
「怖い?」
「…………」
ふるふる。
外套を――
ぎゅっ。
「だいじょうぶ」
そして。
腕を大きく広げた。
ばさっ。
生まれつき少し小さな飛膜。
その外側へ――
外套がふわりと広がる。
「…………!」
「おお……」
「…………」
「ユイ」
「うん」
「みてて」
「見てるよ」
「…………」
にこっ。
「いってきます!」
たっ!
ふわっ――!
「!」
外套が風を受ける。
ばさっ!
そして――
すーーーーっ!
「…………!」
いつもなら。
ここ。
この辺りから――
少しずつ高度が落ち始める。
けれど。
今日は――
落ちない。
すーーーーっ!
「…………!」
いつも届かなかった木。
何度も。
何度も。
あと少しで届かなかった枝。
その上を――
すっ。
越えた。
「…………!」
「とんだ!」
ぱあっ♡
「とんだ〜♡!」
「すごい!」
「…………!」
「…………」
モモンガの子は――
まだ飛んでいる。
一つ目の木を越えて。
その先へ。
さらに――
その向こうへ。
高いところから見える――
森。
家。
遠くの山。
そして。
夕焼け。
「…………」
その景色を。
大きな瞳いっぱいに映して――
「わぁ……」
やがて。
大きく旋回する。
ふわっ!
「ユイーーー!」
「!」
遠くから見える――
満面の笑顔。
「とべたよーーー!」
「…………!」
「とべた♡」
「とべたね」
「うん」
「…………」
ユイは大きく手を振った。
目元に――
ほんの少しだけ。
きらっ。
「うん!」
そして。
届くように、大きな声で。
「ちゃんと見てるよー!」
◇
すーーーっ。
モモンガの子が戻ってくる。
「ゆっくりね!」
「うん!」
すーー……。
そして――
ぽすっ!
「わっ!」
そのまま。
ユイの胸へ――
むぎゅっ!
「ユイ!」
ぎゅううっ!
「とべた♡」
「うん」
なで。
なで。
「…………」
モモンガの子は外套を――
ぎゅっ。
「これ」
「うん」
「ずっと――」
大事そうに抱きしめる。
「だいじにする」
「…………」
「うん」
少し離れたところで。
イズナは、その光景を見つめていた。
「…………」
夕日に揺れる――
小さな外套。
昔。
母がユイを包んでいた布。
それが今は――
小さな精霊を包んでいる。
「…………」
イズナは、小さく呟いた。
「よかったね、お母さん」
その瞬間だった。
きらっ。
「…………?」
ユイの胸元。
青いペンダントが――
光った。
「!」
そして。
モモンガの子が着ている外套も――
ぽう……。
「…………!」
「イズナ?」
「これ……」
「なに?」
イズナは青いペンダントと、外套を見比べる。
「昨日は――」
「?」
「反応するだけだった」
「うん」
「でも今は違う」
「?」
モモンガの子が、不思議そうに外套を見る。
「お姉ちゃん」
「?」
イズナは――
少しだけ笑った。
「できたんだよ」
「え?」
「この子との――」
外套が。
もう一度――
きらっ。
「絆の形」
「…………」
「きずな……?」
ユイはしゃがみ込む。
少しずれていた外套を――
優しく整えてあげる。
「うん」
「…………♡」
モモンガの子は。
新しい外套を――
ぎゅっ。
ふわっ。
風が吹いた。
母から――
娘へ。
娘から――
新しい、大切な誰かへ。
かつて。
誰かをあたためていた布は――
今日。
誰かを遠くへ運ぶ――
小さな翼になった。
夕暮れの中。
青いペンダントと。
小さな外套が――
並んで。
きらっ。




