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第23話 もっと遠くへ

 翌日――。

 絆守の一室。

 机の上には、昨日見つけた古い資料が広げられていた。

「…………」

 ユイは、一枚一枚めくっていく。

 母が研究していた――

 〈直接同調型〉。

「やっぱり、ほとんど残ってないね」

 イズナがため息をつく。

 ぱら。

 ぱら。

 ところが。

 研究が中止されたと思われる時期から――

 何ページも、丸ごと抜け落ちていた。

「ここだけない」

 みおが、空白になった部分を指でなぞる。

「研究が中止された時期の資料は、ほとんど残っていない」

 カナデが答えた。

「…………」

 ユイは黙って、欠けた記録を見る。

「ただ――」

 カナデが一枚の古い地図を机へ置いた。

「君たちのお母さんが、最後に調査していた場所は分かっている」

「どこですか?」

「ここだ」

 山の中。

 そこに、赤い印が付けられている。

「絆守の旧研究施設」

「聞いたことない」

「かなり前に閉鎖された施設だからな」

「そこなら――」

「何か残っている可能性はある」

「…………」

 ユイは地図を見つめた。

「行きたい」

「うん」

 イズナもすぐに頷く。

「私も行く」

「みおも?」

「私に関係ある研究なんでしょ?」

「…………」

 ルゥがみおの足元へ、

 ぴとっ。

「……そうだね」

     ◇

 その日の午後。

「遠い……」

 山道を歩きながら、ユイが呟いた。

「まだ半分くらい」

「聞かなきゃよかった」

「もう疲れたの?」

「疲れてない!」

 みおに言い返す。

 その少し後ろ。

 ぺた。

 ぺた。

「…………」

 ぺた。

 …………ぺた。

 うーちゃんの歩く速度が、少しずつ落ちていた。

「…………」

 ユイは振り返る。

「うーちゃん」

「?」

「だっこする?」

「!」

 ぱあっ♡

 うーちゃんは両手をいっぱいに広げた。

「だっこ♡」

「聞く必要あった?」

「なかったね」

 ユイは笑って、うーちゃんを抱き上げる。

 ぎゅっ♡

「う〜♡」

 そのまま、一行はさらに森の奥へ進んでいった。

     ◇

 ざわ……。

 ざわ……。

「ここからは気をつけて」

イズナが警戒します。

「フレイ?」

「出てもおかしくない」

 みおの耳が、

 ぴくっ。

 ルゥも周囲を見回している。

 そのとき――

「いっくよー!」

「?」

「上!」

 みおの声に、全員が見上げた。

 高い木の枝。

 そこに、小さな影がいる。

 大きな尻尾。

 小さな身体。

 腕を広げると、身体との間に小さな飛膜が広がった。

「よーし!」

 ぐっ。

 そして――

 たっ!

 ふわっ!

「!」

 小さな身体が宙へ飛び出した。

 すーーーっ。

 風に乗りながら、木々の間を滑っていく。

「…………!」

 ユイの腕の中で、うーちゃんの目がきらきらと輝く。

「とんだ♡」

「ふふーん♡」

 モモンガの精霊は得意げだ。

 すーーーっ。

 ところが。

 少しずつ――高度が落ち始める。

「…………」

「あれ?」

 目標の枝まで、あと少し。

「とどけーっ!」

 すーー……。

 あと――ほんの少し。

 でも。

 ぽすっ!

 茂みの中へ落ちた。

「…………」

「…………」

「…………」

 がさっ。

 葉っぱだらけになった小さな精霊が、むくっと顔を出す。

 全員と目が合った。

「…………」

「大丈夫?」

「いまのは――」

 びしっ!

「かぜ!」

「え?」

「かぜがわるかった!」

「無風だけど」

「イズナ」

「何」

 モモンガの子はすぐに立ち上がった。

「つぎはとべる!」

 するするっ!

 木を登る。

 たっ!

 ふわっ!

 すーー……。

 ぽすっ。

「…………」

「もういっかい!」

 また登る。

 たっ!

 ふわっ!

 すーー……。

 ぽすっ。

「何回やるんだろ」

「頑固だね」

 それでも。

「もういっかい!」

 たっ!

 ふわっ!

 すーー……。

 ぽすっ。

「…………」

 何度落ちても――

 また木へ登る。

     ◇

「…………」

 コヨリが、その様子をじっと見ていた。

「コヨリ?」

「あの子」

「?」

「飛膜が――少し小さい」

「小さい?」

「うん」

 腕から身体へ続く飛膜。

 よく見ると、確かに身体に対して少し小さい。

「たぶん、生まれつき」

「…………」

「今度こそ!」

 モモンガの子がまた飛ぶ。

 たっ!

 ふわっ!

 すーーーっ。

 目標の枝。

 あと少し。

「…………!」

 けれど――

 ぽすっ。

「ねえ」

「?」

「ちょっと休んだら?」

 ユイが心配そうに言いました。

「へーき!」

「でも――」

「とべるもん!」

「うん」

「…………」

「飛べるよね」

「え?」

「さっきから――」

 ユイは笑った。

「ちゃんと飛んでるじゃん」

「…………」

「でも……」

 モモンガの子は腕を広げた。

 小さな飛膜。

「みんなより――」

 ぼそっ。

「ちょっとだけ、とおくまでいけない」

「そっか」

 ユイはそれ以上、否定しなかった。

「飛ぶの好き?」

「…………!」

 ぱあっ♡

「うん!」

「どれくらい?」

「いちばんすき♡」

「そっか」

「だから!」

 モモンガの子は、遠くの枝を指差した。

「あそこまでいく!」

「うん」

「ぜったい!」

「うん」

「……止めないの?」

「なんで?」

「…………」

「行きたいんでしょ?」

「うん」

「じゃあ――」

 ユイは笑う。

「応援する」

「…………!」

     ◇

 その瞬間。

「!」

 みおの耳が、

 ぴんっ!

「……!」

 ルゥも同時に反応した。

「どうした?」

「来る!」

 ざわっ!

 森の奥。

 黒い靄が揺れる。

 ゆら……。

 その中で。

 赤い目が――

 ぎらっ。

「フレイ」

「イズナ」

「うん」

 イズナの赤いペンダントが、

 きらっ!

 ふわあっ!

 コヨリの身体が光へ変わる。

 光がイズナを包み――

 白から狐色の羽織。

 赤い組紐。

 狐火の模様。

 〈モデル・コヨリ〉。

「下がって!」

「――!」

 フレイが飛びかかる。

「遅い」

 すっ。

 イズナがかわす。

 ぽうっ!

 狐火が灯った。

「――!」

 そのとき。

「!」

「……!」

 みおとルゥが同時に上を見る。

「上!」

「え?」

 木々の間から――

 もう一つ。

 黒い影。

「二体!?」

 赤い目が、

 ぎらっ。

 その視線の先には――

「…………!」

 モモンガの子。

「――!」

 ばっ!

「!」

 モモンガの子は、地面を蹴った。

 たっ!

 ふわっ!

 すーーーっ!

「!」

 フレイも、その後を追う。

「……っ!」

 必死に飛ぶ。

 けれど――

 少しずつ高度が落ちていく。

 フレイとの距離も、縮まっていく。

 目の前の木。

「あと……!」

 あと少し。

「とどけ……!」

 でも。

 身体が落ち始めた。

「……!」

     ◇

「うーちゃん!」

「うん!」

 青いペンダントが――

 きらっ!

 ふわあっ!

 うーちゃんの身体が光へ変わる。

 ユイの制服の上に――

 アイボリーのパーカー。

 大きなピンクのリボン。

 小さなにんじん。

 〈モデル・うーちゃん〉。

「――!」

 フレイが迫る。

「ダメ!」

 ユイは手を伸ばした。

 ぱあっ!

 淡い青の光が広がり――

 モモンガの子を包む。

 どんっ!

 フレイの攻撃がぶつかる。

 けれど。

 青い光が、それを受け止めた。

「…………!」

「何、今の?!」

 そのまま――

 モモンガの子の身体が落ちる。

「!」

 ユイが駆ける。

 ばっ!

 ぽすっ!

 腕の中。

「…………」

「大丈夫?」

「……うん」

「…………」

 小さな手が、

 ぎゅっ。

「もっと……」

「?」

「もっと、とべたら……」

「…………」

「でも」

「?」

「ちゃんとここまで、自分で飛んだよ」

「…………」

「届かなかったところだけ――」

 ユイは笑った。

「誰かに手伝ってもらえばいいじゃん」

「…………!」

     ◇

「ユイ!」

 みおの声。

 ばっ!

 みおとルゥが、二体目のフレイへ向かう。

「こっちは任せて!」

「うん!」

「るぅ!」

「右!」

 二人が左右へ分かれる。

「――!」

 フレイの意識が揺れる。

「今!」

 イズナはちからを込める。

「終わり」

 ぼうっ!

 一体目のフレイを狐火が包む。

 さら……。

「次!」

「イズナ!」

「分かってる!」

 ぽうっ!

 ぽうっ!

 狐火が二体目を囲んだ。

「そこ!」

 ぼうっ!!

 黒い靄が――

 さら……。

 消えていった。

     ◇

 しーん……。

「…………ふぅ」

 ユイの身体から青い光がほどける。

 ぽんっ。

「ユイ♡」

「ありがとう」

「うーちゃん、今のは・・・」

「ううん」

 ぎゅっ♡

「う〜♡」

 ユイはもう一度、モモンガの子を見る。

「じゃあ、私たち行くね」

「…………」

「またね」

「ばいばい♡」

「……ばいばい」

     ◇

 再び、旧研究施設へ向かう。

 しばらくして。

 がさっ。

「?」

 ユイが振り返る。

 誰もいない。

 また歩く。

 がさ。

「…………」

「…………」

「…………」

 木の陰から――

 大きな尻尾だけ。

 ふさっ。

「…………」

「おーい」

「!」

 尻尾が引っ込む。

「一緒に来る?」

 しーん。

 少しして。

 木の陰から――

 ひょこっ。

「…………」

「来たい?」

 こくん。

「じゃあ、おいで」

「!」

 ぱあっ♡

 するするっ!

 木を登る。

 たっ!

 ふわっ!

 すーーっ!

「え?」

「ユイー♡」

 ぽすっ!

「わっ!」

 むぎゅ♡

 その瞬間。

 きらっ。

「……!」

 ユイの胸元。

 青いペンダントが――

 ほんの一瞬だけ。

 モモンガの子に反応した。

「…………」

「今、光ったよね?」

「うん」

「じゃあ、この子とも……」

「まだ」

「え?」

「反応しただけ」

「?」

「うーちゃんのときとは違う」

 イズナは、うーちゃんを見る。

「うーちゃんには――」

「?」

「お姉ちゃんからもらったパーカーがある」

「パーカー♡」

 うーちゃんは嬉しそうに胸元をぎゅっとする。

「二人の絆が形になったもの」

「…………」

「私はこれ」

 コヨリが、ひょいっと巾着を見せる。

「イズナにもらった」

「それが、私とコヨリをつないでる」

「…………」

 ユイは腕の中のモモンガの子を見る。

 今日――

 出会ったばかり。

「この子とお姉ちゃんには」

 イズナが少しだけ笑った。

「まだ、絆の形がない」

「……そっか」

     ◇

 さらに森の奥へ。

「そろそろのはず」

「…………」

 木々を抜ける。

 そして――

 全員が足を止めた。

「…………え?」

 そこにあったのは、

 建物ではなかった。

 黒く焼けた柱。

 崩れた壁。

 焦げた瓦礫。

 そして――

 灰。

「これ……」

「…………」

 イズナは古い地図を見る。

 もう一度、目の前を見る。

「場所は合ってる」

「じゃあ……」

「ここだよ」

 静かに答える。

「旧研究施設」

「…………」

 ユイは足元に落ちていた焦げた紙を拾う。

 けれど。

 ぱら……。

 指先で――

 崩れてしまった。

「…………」

「中は?」

「中も何も……」

 イズナが見回す。

 建物そのものが――

 ほとんど残っていない。

「これじゃあ」

「資料が残ってるとは思えない」

 それでも。

「ちょっとだけ、探していい?」

「…………」

「うん」

 みんなで、焼け跡を探した。

     ◇

「…………」

 瓦礫。

 灰。

 焦げた金属。

 何も――

 ない。

 母がここで何を見たのか。

 何を研究していたのか。

 何を残そうとしていたのか。

 それすら――

 分からない。

     ◇

 夕方。

「……もう戻ろう」

「…………」

「ユイ」

「うん」

 ユイはもう一度だけ、焼け跡を見る。

 そして。

 ほんの少し笑った。

「無駄足だったね」

「…………」

 イズナは何も言わなかった。

「帰ろっか」

「うん」

 一行は森へ戻っていく。

 あとに残ったのは――

 夕暮れの中。

 静かに佇む、

 焼け跡だけだった。

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