第22話 消えない耳
「えええええええっ!?」
朝。
みおの悲鳴が、静かな部屋に響き渡った。
鏡の前。
寝起きのみおの頭には――
ちょこんと、オオカミ耳。
そして。
ふさっ。
布団から飛び出しているのは、紛れもなくオオカミの尻尾だった。
「なんで!?」
「!?」
ルゥもびくっと飛び上がる。
「戻って!」
みおは頭の耳を両手で押さえた。
ぎゅっ。
そして――
ぱっ。
ぴょこん♡
「…………」
もう一度。
ぎゅっ。
ぱっ。
ぴょこん♡
「どうしよう、これ」
ぱた。
「…………」
今度は尻尾が動いた。
ぱたぱた♡
「動かないで!」
ぶんぶん♡
「尻尾まで言うこと聞かない!」
「…………?」
ルゥは不思議そうに首を傾げている。
「…………」
みおはルゥを見る。
自分の耳を見る。
もう一度、ルゥを見る。
「……ルゥ」
「?」
「これ、ルゥがやった?」
「!」
ふるふるふる!
ものすごい勢いで首を振る。
「そんな全力で否定しなくても……」
◇
ぷるるる……。
『もしもし?』
「ユイ! 大変!」
『どうしたの!?』
「耳が生えた!」
『…………』
電話の向こうで、少し間があった。
『耳は普通あるよ?』
「増えたの!」
『増えた!?』
◇
しばらくして。
みおの家に、ユイたちが集まった。
「…………」
出迎えたみおは、帽子を目深に被っている。
「みお?」
「見せて」
イズナが単刀直入に言う。
「……笑わない?」
「笑わない」
「と思う」
「ちょっと!?」
イズナを睨んでから、みおは観念したように帽子へ手をかけた。
ぱさっ。
ぴょこん♡
「…………」
「…………」
ユイとイズナが固まる。
「…………!」
対照的に、うーちゃんの顔がぱあっと輝いた。
「おみみ♡」
目をきらきらさせながら近づいてくる。
「さわっていい?」
「ダメ」
「…………」
しゅーん。
長い耳まで垂れてしまった。
「…………」
そんな顔をされると弱い。
「……ちょっとだけね」
「!」
もふっ♡
「もふ〜♡」
「くすぐったいって!」
◇
ひとしきりうーちゃんが満足したところで、イズナがみおの前に立った。
「昨日、換装した?」
「してない、というかやり方知らない」
「触媒は?」
「持ってない」
「ルゥは?」
「…………」
ルゥは、みおの足元にちょこんと座っている。
「……いる」
「いるね」
ユイも頷いた。
「普通の換装なら――」
イズナはコヨリを見る。
「精霊の実体が一時的に消える」
「うん」
「うーちゃんもそうだよね」
「?」
「換装すると、私と一緒になるの」
「いっしょ♡」
うーちゃんは嬉しそうだが、イズナの表情は険しい。
「でも、みおは違う」
一本目の指を立てる。
「触媒なし」
二本目。
「ルゥも消えない」
そして――
ぴくっ。
みおの耳が動いた。
「なのに、精霊の特徴だけが身体に出てる」
「…………」
「たぶん――」
「『たぶん』?」
「こんなの初めて見るんだからしょうがないでしょ」
イズナはみおとルゥを交互に見た。
「二人の同調が――切れずにつながったままなんだと思う」
「つながったまま……」
みおが自分の耳に触れる。
そのときだった。
ぴくっ!
「!」
みおの新しい耳がピコン!
「どうしたの?」
「…………」
みおは玄関を見る。
「誰か来る」
「え?」
数秒後。
ぴんぽーん。
「宅配でーす」
「…………」
全員がみおを見る。
「……ほんとに来た」
さらに――
かさ……。
「…………」
みおの耳がわずかに動いた。
「うーちゃん」
「!」
「今、お菓子開けた?」
「…………」
うーちゃんが、そーっと何かを背中へ隠した。
「うーちゃん?」
「あとで♡」
「うん、あとでね」
ユイに言われ、うーちゃんは素直にお菓子をしまった。
どうやら――
見た目だけではない。
みおの身体には、本当にオオカミの能力が現れ始めていた。
◇
突然。
「!」
ルゥが窓を振り返った。
同時に――
ぴんっ!
みおの耳も立つ。
「…………」
「どうした?」
「何かいる」
イズナの赤いペンダントが、
きらっ。
「……フレイ」
「!」
「近いね」
コヨリの表情からも笑みが消える。
「行こう」
「私も」
ユイが立ち上がる。
「私も行く」
みおも行こうとする。
「ダメ」
「なんで!」
「今のみおがどういう状態か分からないから」
「でも――」
「もし同調が暴走したら?」
「…………」
「ルゥと待ってて」
「……分かった」
納得はしていない。
それでも、今の自分がどうなっているのか分からないのは事実だった。
◇
みんなが出ていくと、家の中は急に静かになった。
「…………」
「…………」
「留守番かぁ」
「……るぅ」
「まあ」
みおはルゥの頭を撫でる。
「ルゥを守るのも大事だよね」
「…………」
その瞬間。
「!」
「!」
二人が同時に反応した。
みおの耳が、
ぴんっ!
「近い……!」
窓の外。
ゆら……。
揺れる黒い影。
その中に浮かぶ、赤い目。
「もう一体……!」
「――!」
フレイの視線が向いた先は――
みおではなかった。
ルゥ。
「……っ!」
「ルゥ!」
みおは咄嗟にルゥを抱きしめた。
「ダメ!」
「――!」
「この子には――」
ぎゅっと、小さな身体を抱きしめる。
「触らせない!」
どくん。
「……!」
「……!」
みおとルゥ。
二人の瞳に――
同じ光が宿った。
◇
ふわあっ!
みおの身体を、淡い光が包み込む。
「…………!」
けれど。
ルゥは――消えない。
みおの腕の中に、確かにいる。
それなのに。
みおの身体が変わっていく。
オオカミの耳。
ふさふさの尻尾。
ここまではさっきまでと一緒。
鋭くなる瞳。
口元から覗く、小さな犬歯。
「…………!」
「――!」
フレイが飛びかかる。
「!」
すっ――!
一瞬だった。
気づいたときには、みおは攻撃の軌道から外れていた。
「…………」
自分自身が一番驚いている。
「速っ……!」
「るぅ!」
「…………」
ルゥの声。
言葉ではない。
それなのに――
分かる。
「右?」
「!」
「……うん」
ルゥが右。
みおが左。
「行くよ、ルゥ!」
「るぅ!」
二人が同時に地面を蹴った。
「――!」
フレイがみおを追う。
その瞬間。
「今!」
「!」
反対側から、ルゥが飛び込む。
フレイの意識が逸れた。
みおが踏み込む。
どんっ!
光が弾け――
黒い靄が、
さら……。
空気の中へ消えていった。
◇
「みお!」
「!」
ユイたちが駆けてくる。
「…………!」
イズナが足を止めた。
そこにいるのは――
オオカミの特徴が色濃く現れたみお。
そして、その隣には。
「…………」
ルゥがいる。
「ルゥが……」
「消えてない」
コヨリも目を見開いていた。
「…………」
「ねえ」
みおは自分の耳に触れる。
「私……換装したの?」
「……たぶん」
「また!?」
「でも」
イズナは、みおの胸元を見る。
そこには何もない。
「普通の換装じゃない」
「…………」
「触媒を通してない」
「…………」
ルゥがみおへ近づき、
ぴとっ。
「ルゥ……」
「みおとルゥは――」
イズナが呟く。
「直接つながってる」
「そんなこと……できるの?」
「分からない」
ユイの問いに、イズナは首を振った。
「でも――昔の記録なら、何かあるかもしれない」
「昔の?」
「絆守へ行こう」
◇
絆守――資料室。
古い本や記録が並ぶ部屋で、手分けして資料を調べていた。
ぱら。
ぱら。
「同調……」
「ないね」
「こっちも」
「…………」
ユイも古い資料を一冊ずつ確認していく。
そして。
「……あ」
手が止まった。
一冊のファイル。
そこには――
見覚えのある名前があった。
「お父さんとお母さん……」
「何かあった?」
「昔の家族関係の記録みたい」
ページをめくる。
そこに記されていたのは、両親が失踪したあとの記録だった。
ユイとイズナは――
親戚に引き取られた。
「…………?」
みおが書類とユイを交互に見る。
「ユイって……ずっと今の家で一人だったわけじゃないんだ」
「うん」
ユイは静かに頷いた。
「お父さんとお母さんがいなくなってから――しばらくは親戚の家で暮らしてた」
「…………」
「家もあったし、ご飯もあったし」
少し笑う。
「ちゃんと大事にしてもらったよ」
「じゃあ……」
みおには、一つ疑問が残った。
「なんで今は一人で暮らしてるの?」
「…………」
イズナもユイを見る。
「高校に入るとき、私が戻りたいって言ったの」
「自分から?」
「うん」
「お父さんとお母さんが残してくれた家だったから」
「…………」
「家もそのまま残ってたし。生活できるだけのお金も――二人が残してくれて、叔母さんが管理してくれてた」
「…………」
うーちゃんも黙って聞いている。
「でも……一人で暮らすの、大変じゃない?」
「大変だよ」
「じゃあ、どうして?」
「…………」
ユイは少しだけ考えた。
「もし」
「?」
「お父さんとお母さんが――帰ってきたとき」
「…………」
イズナの目が、わずかに揺れる。
「誰もいなかったら――」
ユイは少しだけ笑った。
「寂しいかなって」
「…………」
「だから、私があの家にいたかった」
「ユイ……」
「別に」
少し照れくさそうに目を逸らす。
「絶対帰ってくるって思ってるわけじゃないよ」
それでも。
「帰ってくるかもしれないなら」
ユイは静かに続けた。
「帰る場所くらい――残しておきたいじゃん」
「…………」
「…………」
誰もすぐには言葉を返せなかった。
きゅっ。
「?」
小さな手が、ユイの手を握った。
「…………」
「うーちゃん?」
「いまは――」
「?」
「うーちゃんもいる♡」
「…………」
ユイの目が大きくなる。
「ユイが――」
うーちゃんは、にこっと笑った。
「ただいまってするおうち♡」
「…………!」
「ふふっ」
「いいこと言うね」
「……うん」
ユイはしゃがんで、うーちゃんの頭を撫でる。
なで。
なで。
「そうだね」
ずっと。
あの家は――
お父さんとお母さんが帰ってくるのを待つための場所だった。
でも、今は。
自分が「ただいま」と帰れば。
小さな女の子が迎えてくれる。
待つためだけの家ではなくなっていた。
ユイと、うーちゃんの家にもなっていた。
◇
「何をしてる?」
「あ」
資料室の入口にカナデが立っていた。
「ちょうどよかった」
「?」
「聞きたいことがある」
イズナの視線を追って、カナデがみおを見る。
「…………」
ぴくっ。
「…………」
「見ないでください」
「いや、そこじゃない」
「え?」
カナデの表情が変わった。
「その状態――どうやった?」
「触媒なし」
イズナが答える。
「…………」
「換装してもルゥは消えなかった」
「…………」
ルゥは今も、みおのそばにいる。
「知ってるんですか?」
「…………」
カナデはしばらく考え込んでから、
「待ってろ」
資料室の奥へ消えた。
しばらくして。
どさっ。
運んできたのは、埃をかぶった古い箱だった。
「これなら……」
ぱかっ。
中から取り出された資料。
その表紙に書かれていた文字を見て、みおの目が大きくなる。
――《直接同調型》。
「…………!」
「やっぱり……」
「触媒を必要とせず――」
カナデが古い記録を読み上げる。
「精霊の実体を維持したまま、人間側にその特徴と能力を同調させる」
「私だけじゃない……?」
「ああ」
「…………」
「…………」
ルゥがみおへ、
ぴとっ。
「ルゥ……」
「過去にも存在した」
「…………」
ユイも別の資料を手に取った。
研究記録。
観察記録。
ページをめくっていく。
ぱら。
ぱら。
そして――
「…………え?」
ユイの指が止まった。
研究担当者。
その欄に書かれている名前を、ユイは知っていた。
「…………」
「お姉ちゃん?」
「これ……」
声が震える。
「お母さん」
「…………!」
さらにページをめくる。
ぱらっ。
一枚の古い写真が挟まっていた。
若い頃の母。
その周囲には、何人かの人間と精霊たちが写っている。
「…………!」
みおが息を呑んだ。
写真の中の一人。
その頭には――獣の耳。
腰には尻尾。
それなのに。
すぐ隣には、
精霊が実体を保ったまま立っていた。
「…………」
みおは自分の耳を、
もふっ。
そして隣にいるルゥを見る。
「私と……」
「ああ」
カナデが答えた。
「同じだ」
「…………?」
ユイが写真を裏返す。
そこには――
母の筆跡。
『触媒を必要としない子たち。』
「…………」
さらに、もう一行。
『この子たちを、お願い。』
「…………!」
「これ……」
イズナも気づいた。
ユイは鞄から、以前見つけた母の紙を取り出す。
そこにも――
『この子たちを、お願い。』
同じ言葉。
「…………」
二枚を並べる。
「じゃあ……」
「『この子たち』って――」
ユイはみおを見る。
ルゥを見る。
そして、写真を見る。
「私たちのことじゃなかったんだ」
「…………」
ユイはカナデを見た。
「カナデさん」
「…………」
「お母さんは――」
写真の中の、直接同調型の人たち。
「この人たちを――守ろうとしてたんですか?」
「…………」
カナデは答えなかった。
ただ――
写真を見つめている。
「カナデ?」
「…………」
その表情を見れば分かる。
何かを――知っている。
長い沈黙のあと。
カナデが口を開いた。
「……その研究は」
「?」
「途中で――突然、中止された」
「え?」
「どうして?」
「…………」
カナデは答えず――
ユイを見た。
「その直後だ」
「…………?」
「君たちの両親が――」
一拍。
「最後の任務へ向かったのは」
「…………!」
「…………!」
「…………」
母が研究していた――
〈直接同調型〉。
突然、中止された研究。
そして――
両親の最後の任務。
それらは、
本当に偶然なのか。
ユイの胸元。
青いペンダントが――
小さく、
きらっ。




