第21話 ルゥ
森からの帰り道――。
みおの腕の中で、小さなオオカミの精霊は、ぴとっと彼女の胸にくっついていた。
さっきまで森の中で警戒していたのが嘘みたいだ。
「…………」
隣を歩いていたユイが、その様子をじっと見つめる。
「なに?」
「すっごい懐いてる」
「そうかな?」
「そうだよ。だって、ずっとそこにいるじゃん」
言われて、みおは腕の中を見る。
小さなオオカミの精霊も、みおを見上げていた。
「ほら」
試しに少しだけ身体を離そうとすると――
きゅっ。
「…………」
小さな手が、みおの服を掴んだ。
「…………」
「離れたくないみたい」
「……そうみたい」
そう答えたみおの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
その横から、
ぺた。
ぺた。
「…………」
うーちゃんがやってくる。
オオカミの精霊と目が合った。
「…………」
「…………♡」
うーちゃんは嬉しそうに両手を広げた。
「おともだち♡」
「…………」
じーっ。
精霊はうーちゃんを見つめる。
うーちゃんも期待いっぱいの目で見つめ返す。
そして――
「…………」
ぷいっ。
「…………!」
「あ」
ユイが声を漏らす。
「あ」
コヨリも声を漏らした。
うーちゃんの長い耳が、
しゅーん……。
「おともだち……」
「まだ緊張してるだけだよ」
ユイが慰める。
「そうそう」
みおも続いた。
「…………」
うーちゃんはもう一度、精霊をちらっと見る。
「…………」
ぷいっ。
「…………」
へにょ
さらに耳が垂れた。
「まあまあ」
今度はコヨリが前へ出る。
「焦らなくても、そのうち――」
「…………」
ぷいっ。
「…………」
コヨリが固まった。
「私も!?」
「みお以外全滅だね」
イズナが冷静に言った。
「…………」
みおは自分の腕の中にいる精霊を見る。
やっぱり――少しだけ嬉しかった。
◇
「ただいま」
がちゃ。
みおが家の扉を開ける。
「…………」
腕の中の精霊が、きょろきょろと部屋を見回した。
知らない場所。
知らない匂い。
知らないものばかり。
みおはそんな小さな身体を見下ろして――少し照れながら言った。
「今日から――ここにいていいからね」
「…………」
「よいしょ」
そっと床へ降ろす。
「…………」
ちょこん。
精霊はその場に座った。
みおが一歩離れる。
とて。
「?」
もう一歩。
とて。
「…………」
「ついてきてる」
ユイが笑う。
「ここにいていいよ?」
みおは優しく語りかける
「…………」
とて。
とて。
そして、みおの足元へ――
ぴとっ。
「…………」
「完全にみお限定だ」
「すごいね」
イズナまで感心している。
みおは困ったような顔をしながらも、その小さな頭をそっと撫でた。
◇
「そういえば……」
みおがふと呟く。
「この子、何食べるの?」
「…………」
全員が止まった。
「!」
ただ一人。
うーちゃんだけが自信満々に手を挙げる。
「にんじん♡」
「オオカミだよ」
イズナが即答した。
「…………?」
「みんながにんじん好きなわけじゃないからね」
コヨリに言われ、うーちゃんは自分のにんじんを見つめた。
「…………」
そして不思議そうに、
「おいしいよ?」
「うーちゃんにはね」
「ふふっ」
みおが笑った。
結局、イズナが精霊でも食べられるものを取りに行ってくれた。
「これなら大丈夫」
ことん。
「食べていいよ」
「…………」
精霊は食事をじっと見つめる。
しかし――食べない。
「お腹空いてない?」
イズナは心配そうに言いました。
「…………」
「警戒してるのかも」
コヨリの言葉に、みおは少し考える。
そして食べ物をひとつ取り、自分の手のひらへ乗せた。
「お食べ」
「…………」
くん。
くん。
「大丈夫」
「…………」
ぱくっ。
「!」
「食べた!」
ユイが嬉しそうに声を上げる。
もぐ。
もぐ。
「もう一個?」
「…………」
精霊の小さな手が、みおの手を――
ちょん。
「はいはい」
ぱくっ。
「ふふっ」
「もう飼い主みたい」
ユイが茶化します。
「飼い主じゃない!」
みおの声が部屋に響いた。
◇
食事が終わった頃。
「そういえば」
「?」
「この子の名前」
「あ」
言われて初めて、みおも気づいた。
「名前……ある?」
「…………」
精霊は首を、
ふるふる。
「じゃあ、つけてあげようよ」
「おなまえ♡」
「うーん……」
全員で小さな精霊を見つめる。
「…………」
最初に口を開いたのは、やっぱりうーちゃんだった。
「わんちゃん♡」
「それ名前じゃないよ」
ユイはずっこけます。
「…………」
うーちゃんは考える。
「わんわん♡」
「増えただけだね」
「かわいいけど」
続いてコヨリ。
「じゃあ……オオカミ」
「そのまんま」
「…………オオカミちゃん」
「『ちゃん』つけてもだめだから」
イズナに突っ込まれる。
「難しいなあ」
「…………」
みおはみんなのやり取りを聞きながら、腕の中の精霊を見る。
小さな身体。
ふわふわの耳。
そして――自分だけを見つめている瞳。
「…………」
なぜだろう。
ふと、その音が口からこぼれた。
「……ルゥ」
ぴくっ。
「…………!」
精霊の耳が動いた。
「今!」
「反応した」
「ほんと?」
みおはもう一度呼ぶ。
「ルゥ」
「…………」
とて。
とて。
小さな精霊がみおのところへやってくる。
そして――
ぴとっ♡
「…………」
「決まりじゃない?」
「…………」
みおはその頭を撫でた。
「ルゥ」
「…………」
すると。
「……るぅ」
「…………!」
「ルゥ♡」
うーちゃんが大喜びで呼ぶ。
「!」
「ルゥ♡」
「…………」
ぷいっ。
「…………」
「まだダメかぁ」
ユイが苦笑した。
◇
やがて外は、すっかり暗くなっていた。
「じゃあ、そろそろ帰ろっか」
「そうだね」
「またね、ルゥ」
「…………」
「ルゥ、ばいばい♡」
うーちゃんが両手をぶんぶん振る。
「…………」
「みお」
「ん?」
「何かあったらすぐ呼んでね」
「大丈夫だって」
「特にルゥが光ったら」
イズナの言葉に、みおの表情が少し変わった。
「……やっぱり気になる?」
「かなり」
「…………」
「じゃあね」
「また明日」
がちゃ。
ぱたん。
「…………」
ルゥは閉じた扉を、じっと見つめていた。
「……気になる?」
「…………」
「うーちゃんたち」
「…………」
ぷいっ。
「ふふっ」
ところが少しすると――
ちらっ。
また扉を見る。
みおは何も言わずに笑った。
◇
「…………」
「…………」
急に部屋が静かになった。
「みんな帰ると静かだね」
「…………」
「これからよろしくね」
「…………」
ぴとっ。
「……うん」
しばらくして、みおが立ち上がる。
「じゃあ、お風呂入ってこよ」
「!」
とて。
とて。
「ルゥ?」
とて。
「お風呂だから」
「…………」
「ここで待ってて。すぐ戻ってくるから」
優しく諭します。
ぱたん。
扉を閉める。
しばらくして――
かり……。
「…………?」
かり。
かりかり。
「…………」
みおは扉を開けた。
がちゃ。
「…………」
そこには、ルゥ。
扉の前に、ちょこんと座っている。
「ずっとここにいたの?」
「…………」
「…………」
みおはしゃがみ込んだ。
「もしかして」
「?」
「一人になるの、嫌?」
「…………」
ルゥの耳が、ほんの少しだけ下がった。
「…………」
みおの手が、その頭へ伸びる。
「大丈夫」
なで。
「もう置いていかないよ」
「…………!」
「だから――安心して」
「…………」
ぴとっ。
小さな身体が、みおにくっついた。
◇
「できた」
ルゥのために作った、小さな寝床。
ふかふかの布が敷いてある。
「どう?」
「…………」
くん。
くん。
「気に入った?」
「…………」
みおはルゥを寝床へ、
ぽすっ。
「おやすみ、ルゥ」
「…………」
自分もベッドへ入る。
ぱちっ。
部屋が暗くなった。
しーん……。
「…………」
「…………」
しばらくして。
とて。
「…………?」
とて。
とて。
ベッドの横から――
ひょこっ。
「…………」
「…………」
「どうしたの?」
「…………」
暗闇の中で、ルゥがみおを見上げている。
「…………」
みおは少し考えて――
「一緒に寝たい?」
「…………」
こくん。
「…………」
布団を、
ぱさっ。
「おいで」
「…………!」
とてとてっ。
ぽすっ。
「わっ」
そのままルゥは、みおの胸へ――
むぎゅっ♡
「そんなにくっつくの?」
そう言いながらもみおは嬉しそう。
「…………」
さらに、
むぎゅ。
「…………」
なで。
なで。
「警戒してたくせに」
「…………」
「本当は甘えんぼなんだ」
「……るぅ」
「おやすみ、ルゥ」
「…………」
すぅ……。
すぅ……。
二人はそのまま眠りについた。
◇
深夜――。
静かな部屋。
眠ったままのみおの手と、
ルゥの小さな手が――
ぴとっ。
触れた。
きら……。
ルゥの身体から、淡い光が生まれる。
その光はゆっくりと、
みおへ――。
まるで溶け込むように流れていく。
けれど。
ルゥの身体は消えない。
「…………」
「…………」
二人とも、何も知らずに眠っている。
ふわっ――。
みおの髪の上に。
小さな、
オオカミの耳。
ぴくっ。
そして布団の中でも――
ふさっ。
◇
翌朝。
ちゅん。
ちゅん。
「ん……」
みおが目を開ける。
腕の中には――
ルゥ。
ぴとっ♡
「…………」
みおは小さく笑った。
「おはよう、ルゥ」
「…………」
ぱちっ。
ルゥも目を覚ます。
みおの顔を見るなり、
ぴとっ。
「……るぅ」
「ふふっ」
なで。
なで。
そのときだった。
ぴくっ。
「…………?」
ぴく。
ぴくっ。
「…………」
みおは自分の頭へ、そっと手を伸ばした。
もふっ。
「…………」
もう一度。
もふ。
「…………え?」
「?」
ルゥが首を傾げる。
みおはゆっくりと鏡を見る。
寝起きの自分。
ぼさぼさの髪。
そして、その頭には――
ちょこんとオオカミ耳。
「…………」
ぴくっ♡
「…………」
そのとき。
ぱたっ。
「…………?」
布団の中から音がした。
ぱた。
「…………」
みおは恐る恐る布団をめくる。
ぺらっ。
そこには――
ふさふさの、
オオカミの尻尾。
「…………」
頭の耳を、
もふ。
尻尾を見る。
ルゥを見る。
「?」
もう一度、鏡を見る。
「…………」
そして――
「えええええええっ!?」
「!?」
ルゥが、ぴょんっと飛び上がった。
朝の静かな部屋に、みおの声が響き渡る。
――けれど。
みおの胸元には、
ペンダントはない。
昨日も。
今朝も。
一度だって身につけていない。
それなのに――
ぴくっ。
みおの頭のオオカミ耳が、
まるで最初からそこにあったかのように動いた。




