第19話 ペンダント
その日の夜――。
「ただいま……」
「ただいま♡」
がちゃり、と扉が閉まる。
いつもと同じ、自分の家。
見慣れた部屋。 見慣れた家具。
何も変わっていないはずなのに。
「…………」
ユイは胸元へ視線を落とした。
そこにある青いペンダントが、今日は少しだけ違って見えた。
カナデの言葉が、頭から離れない。
『ユイには――』
『青いペンダントを、渡さないで』
「…………」
そっと。
ペンダントを手のひらに乗せる。
青い宝石が、部屋の明かりを静かに映していた。
「なんで……」
母は、渡さないでと言った。
なのに――。
これは今、自分の手元にある。
「…………」
ユイは考えた。
そもそも。
このペンダントを――誰にもらった?
いつから持っていた?
「…………?」
記憶をたどる。
「私……」
もっと前。
もっと前へ。
けれど――。
「いつから持ってたんだっけ……」
思い出せない。
大切なものだった。
ずっと身につけていた――ような気がする。
なのに。
それを手に入れた瞬間だけが、ぽっかりと抜け落ちている。
ずる。
ずる。
「?」
妙な音がして、ユイは顔を上げた。
「…………」
うーちゃんが、自分の小さなクッションを運んでいた。
よいしょ。
よいしょ。
小さな身体で一生懸命引きずりながら、ユイのベッドの隣まで持ってくる。
そして――。
ぽすっ。
クッションを置く。
「…………」
その上へ、ちょこん♡
「うーちゃん?」
「ユイ」
「ん?」
「……げんきない?」
「…………」
ユイは目を丸くした。
それから、小さく笑う。
「分かっちゃった?」
「…………」
こくん。
「ちょっとね」
「?」
「考えごとしてるだけ」
「かんがえごと……」
「大丈夫だよ」
なで。
なで。
「う〜♡」
頭を撫でられて、うーちゃんの表情がふにゃっと緩む。
その姿を見ていると、ユイの気持ちも少しだけ軽くなった。
けれど。
「…………」
もう一度、ペンダントを見る。
ユイはそれを首から外した。
すっ。
そして机の上へ――。
ことん。
「…………」
「?」
うーちゃんが、じっと見ていた。
「うーちゃん?」
「…………」
ぺた。
ぺた。
クッションから降りると、机のところまで歩いていく。
そして。
じーーーーっ。
青いペンダントを見つめた。
「気になる?」
「…………」
返事はない。
うーちゃんは、ただペンダントを見ている。
やがて――。
そっと。
小さな指を伸ばした。
ちょん。
ペンダントに触れる。
その瞬間――。
きらっ!
「!」
「!」
青い光が、ふわっと広がった。
ユイとうーちゃんを包むように、淡く、優しく。
「…………」
ユイは慌てて自分の服を見る。
何も変わっていない。
いつもの服のまま。
そして、うーちゃんも――ちゃんと目の前にいる。
「換装じゃない……」
「…………」
うーちゃんは、まだペンダントを見つめていた。
「うーちゃん」
「?」
「これ、知ってるの?」
「…………」
こてん。
「見たことある?」
「…………」
うーちゃんは一生懸命考える。
そして。
「……なつかしい」
「…………え?」
「?」
「懐かしい?」
「うん」
「どこで見たの?」
「…………」
「誰と?」
「…………」
長い耳が――。
しゅん。
「……わかんない」
「…………」
「あ、ごめん」
ユイはすぐに、うーちゃんの頭を撫でた。
「無理に思い出さなくていいよ」
「…………」
「じゃあ、一つだけ」
「?」
「私と会う前のこと――何か覚えてる?」
「…………」
うーちゃんは目を閉じた。
一生懸命。
一生懸命――。
ずっと昔の何かを探すように。
「…………」
やがて。
「……あお」
「青?」
「うん」
「きらきら……」
「…………」
「あったかい」
「…………!」
ユイは息を呑んだ。
◇ ◇ ◇
次の日。
「それで呼んだの?」
イズナが呆れたように言った。
「朝から何事かと思った」
コヨリもその隣にいる。
「私まで呼ばれたんだけど」
みおもやって来ていた。
「うん」
「みお♡」
「おはよう、うーちゃん♡」
みおが笑いかけると、うーちゃんも嬉しそうに笑った。
全員が揃ったところで――。
ことん。
ユイはテーブルの中央に、青いペンダントを置いた。
「…………」
イズナの目が細くなる。
「これがどうしたの?」
「昨日、うーちゃんが触ったら光った」
「換装したの?」
コヨリが尋ねる。
「ううん」
ユイは首を振った。
「それで――」
うーちゃんを見る。
「うーちゃんが『懐かしい』って」
「…………え?」
「うーちゃんが?」
「…………」
こくん。
イズナの表情が変わった。
「イズナ」
「?」
「このペンダント、どこから来たか知ってる?」
「…………」
「正直に」
「分かってる」
イズナは少し考えた。
「知らない」
「本当に?」
「うん」
そして、青いペンダントを見つめる。
「私がお姉ちゃんのそれを初めて見たのは――うーちゃんと出会ったあと」
「…………」
「それより前は?」
「少なくとも、覚えてない」
「ちょっと待って」
みおが口を挟んだ。
「?」
「ユイ自身も、いつから持ってるのか覚えてない」
「うん」
「イズナちゃんにも、昔見た記憶がない」
「うん」
みおはテーブルのペンダントを見る。
「なのに――今はユイが持ってる」
「…………」
「……おかしいね」
コヨリがぽつりと言った。
「でも……」
ユイは困ったように眉を寄せる。
「誰にもらったか分からないんじゃ、調べようがないよ」
「絆守の記録を――」
「逆じゃない?」
「え?」
「逆?」
みおはペンダントを指さした。
「誰にもらったかを探すんじゃなくて」
「…………」
「ユイが最初にこれを持ってたのが、いつなのか調べればいいじゃん」
「…………!」
ユイとイズナが同時に顔を上げる。
「なるほど」
「写真とか残ってない?」
「ある!」
◇ ◇ ◇
「確か、この辺に……」
ごそ。
ごそ。
部屋中を探し始める。
「…………」
うーちゃんも――。
ごそごそ。
「うーちゃん、それ靴下」
「…………」
そっ。
元の場所へ戻した。
「ふふっ」
みおが笑う。
「あ」
イズナが古い箱を見つけた。
「これじゃない?」
「!」
ぱかっ。
中には何冊ものアルバムが入っていた。
「あった……」
ユイが一冊取り出す。
ぱらっ。
「わっ!」
「なに?」
「ユイちっちゃい!」
「見なくていいから!」
「イズナちゃんもいる!」
「やめて」
「見たい」
「コヨリ!」
思わぬ方向へ盛り上がり始めた三人をよそに、ユイはページをめくっていった。
そこには――。
幼いユイ。
幼いイズナ。
父。
母。
四人揃って、にこっと笑っている。
「…………」
「…………」
ユイとイズナの手が止まった。
うーちゃんも写真を覗き込んでいる。
「ユイ」
「ん?」
「首」
「…………」
みおに言われて、ユイは気づいた。
幼い自分の首には――何もない。
次の写真。
ない。
その次も。
ない。
「ペンダント……」
「ないね」
ぱら。
ぱら。
さらにページをめくる。
父と母が写っている写真。
そのどれを見ても、ユイの首には青いペンダントがない。
やがて――。
あるページを境に。
父と母が、写真からいなくなった。
「…………」
部屋が静かになる。
両親が失踪したあとの写真だった。
ぱらっ。
また一枚。
幼いユイとイズナ。
やはり――。
「ない」
イズナが呟いた。
ユイの首には、何もない。
さらに次。
ない。
その次も――。
ない。
「やっぱり……」
ユイが言いかけた、そのとき。
「待って」
みおの声が変わった。
「え?」
「一枚戻って」
「?」
ぱら。
ユイがページを戻す。
「…………!」
そこにあったのは。
両親がいなくなって、まだそれほど経っていない頃の写真。
幼いユイ。
幼いイズナ。
見慣れた家。
何気ない一枚。
けれど――。
「これ……」
幼いユイの胸元。
そこに。
青いペンダントがあった。
「…………」
誰も喋らない。
イズナが、写真へ顔を近づける。
「……おかしい」
「何が?」
「この頃のお姉ちゃん、覚えてる」
「…………」
「でも――」
イズナは写真の中のペンダントを指さした。
「こんなの、つけてなかった」
「…………!」
ユイは写真を食い入るように見つめた。
「本当に?」
「うん」
「でも、写ってる……」
「だから、おかしい」
みおが次の写真を確認する。
「こっちには?」
「……ない」
「その次は?」
「ない」
さらにめくる。
「これも……ない」
四人の視線が、さっきの一枚へ戻った。
青いペンダントが写っているのは――。
その一枚だけ。
「…………」
コヨリが静かに呟く。
「写真がおかしいのか」
イズナが続ける。
「私たちの記憶がおかしいのか」
みおが、テーブルに置かれた現在のペンダントを見る。
「それとも――」
誰も、その続きを言わなかった。
ユイは自分の青いペンダントを握る。
「…………」
母は言った。
『渡さないで』
イズナには、昔これを見た記憶がない。
昔の写真にも、ほとんど写っていない。
なのに。
たった一枚だけ――。
確かにそこにある。
「じゃあ……」
ユイの声が小さくなる。
「これ、いつから私のところにあるの……?」
答える者はいなかった。
「…………?」
そのとき。
うーちゃんが、アルバムの端を見つめていた。
最後のページから、何かが少しだけ飛び出している。
「ユイ」
「ん?」
「これ」
ぺらっ。
一枚の古い紙。
「…………」
「何それ?」
「分からない」
ユイは紙を開いた。
「…………!」
隣にいたイズナも息を呑んだ。
「これ……」
ユイの指先が、わずかに震える。
「お母さんの字」
「本当に?」
「うん」
間違えるはずがない。
何度も見た――母の字。
そこに書かれていたのは。
たった一言だった。
『この子たちを、お願い。』
「…………」
「この子たち?」
「…………」
イズナが考え込む。
「ユイとイズナのこと?」
コヨリの言葉に、ユイは首を傾げた。
「だったら……」
「?」
「『この子たち』って書くかな」
「…………」
「確かに」
みおも頷く。
「『ユイとイズナをお願い』とか……」
「じゃあ」
イズナが呟く。
「この子たちって――誰?」
「…………」
うーちゃんだけが、紙をじっと見ていた。
「うーちゃん?」
「…………」
小さな指が、母の文字へ伸びる。
ちょん。
その瞬間――。
きらっ!
「!」
「!」
紙と。
青いペンダントが――同時に光った。
ふわあっ――。
淡い青色の光が、部屋を満たす。
「…………!」
「また……!」
そして。
「…………っ!」
「みお?」
「今……」
みおが自分の手を見る。
その手のひらにも――。
ほんの一瞬。
きらっ。
小さな光が宿っていた。
「…………!」
「え?」
すっ――。
光はすぐに消えた。
「…………」
みおは自分の手をじっと見つめる。
「今の何?」
「私も見た」
「光ったね」
「なんで私が?」
「…………」
イズナが、みおを見る。
胸元。
手首。
首元。
けれど――どこにもない。
「みお」
「なに?」
「触媒……」
「?」
「持ってないよね?」
「持ってないけど」
「どういうこと?」
「分からない」
「でも光ったよ?」
「だからおかしいの」
「…………」
イズナの表情が険しくなる。
「触媒がない人間が――」
そこで。
言葉が止まった。
『…………』
「!」
みおが勢いよく振り返った。
窓の方を見る。
「みお?」
「…………」
「どうしたの?」
「今……」
「?」
「誰か……呼ばなかった?」
「ううん」
「私も」
「聞こえなかった」
「…………?」
うーちゃんも不思議そうに首を傾げている。
「…………」
みおは耳を澄ませた。
気のせい。
そう思いかけた――そのとき。
『…………こっち』
「!」
今度は――はっきりと聞こえた。
「…………」
みおが立ち上がる。
「みお?」
「聞こえる」
「何が?」
「声」
窓へ歩み寄る。
さっ。
カーテンを開いた。
外は夕暮れ。
赤く染まった空。
けれど、そこには誰もいない。
「どこ?」
「分からない」
そう答えながらも――。
みおの視線は、もっと遠くを見ていた。
「…………」
そっと胸元へ手を当てる。
そこにペンダントはない。
触媒もない。
それなのに。
「誰かが……」
小さく呟く。
「私を呼んでる」
「…………」
「みお……」
誰も、その意味を説明できなかった。
◇ ◇ ◇
テーブルの上には――。
母の残した紙。
『この子たちを、お願い。』
その隣には、青いペンダント。
きら……。
小さな光が、宝石の奥を走る。
そして――。
そこから遠く離れた、どこか。
暗闇の中。
小さな影が――。
ゆっくりと目を開いた。
『…………みお』
「…………!」
みおだけが、もう一度その声を聞いた。
ペンダントを持たない。
触媒すら持たない、みおにだけ届いた声。
それが――。
新しい絆の始まりだとは。
まだ、誰も知らなかった。




