第18話 最後に見たふたり
絆守の廊下。
ユイの前に、一人の人物が立っていた。
その人はしばらくユイの顔を見つめてから、ぽつりと言った。
「……似ているな」
「え?」
「君――」
ほんの少し、懐かしそうに目を細める。
「お母さんに、よく似ている」
「…………!」
ユイの表情が変わった。
「母を……知ってるんですか?」
「…………」
「あなたは……?」
隣にいたイズナも、黙ってその人物を見つめている。
職員が口を開こうとした。
「こちらは――」
「カナデだ」
本人が先に名乗った。
「カナデ……さん」
その名前に、ユイは引っかかるものを感じた。
手にしていた古い任務記録へ目を落とす。
「もしかして……」
そこに記されている、一つの名前。
「この名前……」
「…………」
「お父さんとお母さんと一緒に――」
「行った」
「!」
カナデは静かに答えた。
「二人の――」
一度、言葉を切る。
「最後の任務にな」
ユイの指に力が入った。
古い資料が、くしゃりと小さな音を立てる。
「教えてください」
「…………」
「あの日――何があったんですか?」
カナデはすぐには答えなかった。
やがて周囲を見回すと、
「ここでする話じゃない」
「……?」
「来なさい」
「私も行く」
イズナが即座に言った。
「もちろん」
コヨリも黙って後に続く。
そして、うーちゃんは――。
きゅっ。
ユイの手を、小さな手で握った。
「いっしょ」
「うん」
ユイも、その手を握り返した。
◇ ◇ ◇
案内されたのは、絆守の古い一室だった。
カナデは棚の奥から、一つの箱を取り出した。
「これは?」
「昔のものだ」
ぱかっ、と蓋が開く。
中に入っていたのは――何枚もの古い写真だった。
「…………!」
ユイが息を呑む。
写真の中にいた。
若い父。
若い母。
そして、その周りにはたくさんの精霊たち。
みんな、笑っている。
「お父さん……」
「お母さん……」
イズナも写真を覗き込んだ。
ユイの知らない両親だった。
「カナデさんは……二人と、どういう関係だったんですか?」
「仲間」
カナデはそう答えてから、少し考えた。
「いや」
写真へ視線を落とす。
「友達だった」
「…………」
ユイが、一枚の写真を手に取った。
母が、小さな精霊を抱いている。
「君のお母さんは、怪我した精霊を見つけると、すぐ飛んでいく人だった」
「…………」
「任務中でも関係ない。『放っておけない』ってな」
「…………」
イズナが、ちらりとユイを見る。
「何?」
「別に」
「今こっち見たでしょ」
「似てるなって」
「私が?」
「うん」
「ははっ」
カナデが吹き出した。
「笑わないでください!」
張りつめていた部屋の空気が、ほんの少しだけ和らいだ。
次の写真には、困った顔をした父が写っていた。
その少し前を、母が歩いている。
「お父さんは逆だった」
「逆?」
「冷静で、慎重。いつも君のお母さんに――」
カナデは昔を思い出すように笑った。
『勝手に行くな!』
『でも怪我してる!』
『だから俺も行く!』
「止めるくせに、結局、必ずついていく」
「ふふっ」
「仲良かったんだね」
イズナの言葉に、カナデは小さく頷いた。
「ああ」
そして、少しだけ寂しそうに。
「……いい二人だった」
ユイは写真をそっと撫でた。
「私……」
写真の中で笑う二人を見つめる。
「こんなお父さんとお母さん――知らなかった」
そう言って、小さく笑った。
「…………」
うーちゃんが、ユイの隣へぴとっと寄り添った。
◇ ◇ ◇
「……あの日」
カナデの声が変わった。
それだけで、部屋の空気が再び張りつめる。
「俺たち三人に、緊急任務が入った」
「フレイの……」
「ああ。大量発生だ」
――数年前。
深い森の中を、三人の絆守が進んでいた。
ユイの父。
ユイの母。
そして、カナデ。
それぞれの傍らには精霊たちがいる。
「最初は――よくある討伐任務だと思っていた」
だが。
木々の向こうに、一つ。
二つ。
三つ。
さらに奥にも――赤い目。
「…………」
「多すぎる」
父が呟いた。
「こんな数……」
「報告よりずっと多い」
森の中を、黒い靄が漂っていた。
ところが――。
「…………?」
「どうした?」
「おかしい」
父の言葉に、母も周囲を見渡した。
フレイたちは、三人を襲わなかった。
ゆら……。
ゆら……。
三人を無視して、森の奥へ進んでいく。
何体も。
何十体も。
すべてが、同じ方向へ。
「追いましょう」
「待て」
「でも」
父はため息をついた。
「……俺も行く」
「相変わらずだな」
「うるさい」
三人はフレイの後を追った。
「進むほど……フレイは増えていった」
カナデはそこで言葉を切った。
「まるで――」
「…………」
「何かに、呼ばれているみたいだった」
そして。
森のさらに奥へ進んだ、そのときだった。
「……っ!」
カナデの相棒が突然、膝をついた。
「!?」
「どうした!?」
「離れて!」
母が叫ぶ。
するり、と。
漂っていた黒い靄が、精霊の身体へまとわりついた。
「……っ!」
「やめろ!」
「触らないで!」
「カナデ、下がれ!」
精霊の身体が揺れる。
そして――一瞬。
その瞳に。
赤い光が灯った。
◇ ◇ ◇
「…………!」
ユイもイズナも、言葉を失っていた。
うーちゃんも、黙ったままカナデを見ている。
「あのとき初めて見た」
「それって……」
「分からない」
ユイの言葉を、カナデは遮った。
「今も断定はできない。ただ――」
写真の中にいる、自分の相棒を見る。
「あのとき俺は、フレイが生まれる瞬間を見たんじゃないかと」
「…………」
再び、カナデの記憶が過去へ戻る。
「ぐっ……」
カナデの腕から血が流れていた。
「カナデ!」
「まだ行ける!」
「ダメだ!」
「二人は!?」
「私たちは残る」
「何言ってるんだ!」
森の奥。
そこには、巨大な黒い靄があった。
どくん。
どくん。
まるで――生きているように。
「…………」
「…………」
母と父が、それを見つめる。
「この先に何かいる」
「何かって?」
「この子たちを――」
母は周囲のフレイを見た。
「こうしているもの」
「原因を突き止めない限り、また同じことが起こる」
「だったら三人で!」
「お前は戻れ」
「嫌だ!」
「カナデ」
「…………」
母が、まっすぐ彼を見る。
「誰かが戻らなきゃ」
「…………」
「ここで起きてることを――伝える人が必要でしょ?」
「でも……」
「頼んだぞ」
父が言った。
母は――。
「大丈夫」
にこっと笑った。
「…………」
カナデは、一人で引き返した。
何度も。
何度も、振り返りながら。
そのたびに見えた。
森の奥へ向かっていく、二人の背中。
黒い靄の向こうへ。
少しずつ。
少しずつ。
そして――。
二人の姿は、見えなくなった。
◇ ◇ ◇
「それが」
カナデは静かに言った。
「俺が最後に見た――二人の姿だ」
「…………」
長い沈黙のあと。
ユイが口を開いた。
「じゃあ……」
声が、少し震えていた。
「二人が死んだところは?」
「…………」
「見たんですか?」
「いや」
「!」
「じゃあ……」
イズナが身を乗り出した。
「勘違いするな」
「…………」
「生きている証拠もない」
ユイの表情が曇る。
「だが」
カナデはユイを見た。
「死んだとも――俺は言えない」
「…………」
ユイは胸元のペンダントを、ぎゅっと握った。
「……そっか」
「ユイ?」
うーちゃんが心配そうに見上げる。
「うん」
ユイはほんの少しだけ笑った。
「まだ、分からないんだ」
それは小さな言葉だった。
けれど。
ずっと閉ざされていた扉に、ほんのわずかな隙間ができたようにも思えた。
◇ ◇ ◇
「でも」
ユイが顔を上げた。
「どうして任務記録が消されてるんですか?」
「…………」
「そう」
イズナも続ける。
「昨日調べたら削除されてた」
「…………」
「……そうか」
「え?」
「やっぱり消されていたか」
「やっぱり?」
「知ってたんですか?」
「確信はなかった」
カナデは腕を組んだ。
「俺は帰還して――全部報告した」
フレイの異常。
精霊に起きた変化。
森の奥にあった黒い靄。
そして――二人が戻らなかったこと。
「全部だ」
だが、数日後。
絆守の上層部に呼び出されたカナデは、そこで命じられた。
『この件について――今後、一切口外するな』
「理由を聞いても、何も教えられなかった」
「…………」
「じゃあ」
イズナの声が低くなる。
「絆守が何か隠してるってこと?」
「分からない」
「でも!」
「決めつけるな」
「…………」
「だからこそ――」
カナデは二人を見た。
「自分たちで確かめろ」
◇ ◇ ◇
話を終え、ユイたちが部屋を出ようとした、そのとき。
「ユイ」
「?」
「……待て」
「どうしました?」
「もう一つ」
「?」
カナデは何かを迷っているようだった。
「君に伝えるべきか――ずっと分からなかったことがある」
「私に?」
「ああ。正確には――」
カナデは言った。
「君のお母さんからだ」
「…………!」
「お母さんから?」
「あの日。別れる直前に言われた」
◇ ◇ ◇
「カナデ」
「?」
「もし――私たちが戻れなかったら」
「縁起でもないこと言うな」
「聞いて」
いつになく真剣な表情だった。
「…………」
「ユイとイズナには――できるだけ普通に暮らしてほしい」
「…………」
「だから――」
母は一瞬、自分の胸元へ触れた。
そこには――青いペンダントがあった。
「ユイには――」
「…………」
「青いペンダントを、渡さないで」
◇ ◇ ◇
「…………」
ユイも。
イズナも。
コヨリも。
何も言えなかった。
「それが――彼女から聞いた、最後の頼みだ」
「…………」
ユイの手が、ゆっくりと自分の胸元へ伸びた。
指先が、青いペンダントに触れる。
「でも……」
きゅっ。
握りしめる。
「これ……」
青い宝石が、きらりと光った。
「私が……持ってる」
「…………」
カナデも答えない。
イズナも、初めて聞いたという顔をしていた。
「カナデさん」
「?」
「じゃあ――」
ユイはペンダントを握ったまま尋ねた。
「これを私に渡したのは……」
しん、と。
部屋が静まり返る。
「…………」
「…………」
そして。
「誰なんですか?」
誰も――答えられなかった。
ただ一人。
うーちゃんだけが。
ユイの胸元にある青いペンダントを、じっと見つめていた。
「…………」
やがて。
なぜか、うーちゃんは――。
そっと。
自分の胸へ、小さな手を当てた。
その瞬間。
青いペンダントが――。
きらっ。
母が、
『渡さないで』
と言い残したペンダント。
それがなぜ――今、ユイの手にあるのか。
そしてなぜ――。
そのペンダントが、ユイとうーちゃんをつないでいるのか。
答えは、まだ分からない。
新しい謎が――。
また一つ、生まれた。




