第17話 知らなかったこと
絆守を出たあとの帰り道は、いつもよりずっと静かだった。
ユイも。
イズナも。
コヨリも。
そして、うーちゃんも。
誰も口を開かない。
四人分の足音だけが、夕暮れの道に小さく響いていた。
ユイの頭から、どうしても離れない言葉があった。
――消息不明。
今日、絆守で初めて知った事実。
父と母は死んだと確認されたわけではない。
けれど、生きていることも確認されていない。
ただ――消えた。
その事実だけが、胸の奥に重く残っていた。
「イズナ」
「……うん」
前を歩いていた妹の背中に、ユイは声をかける。
「さっき約束したよね」
「…………」
「全部、教えて」
イズナの足が止まった。
少し遅れて、コヨリも止まる。
うーちゃんも、ユイの隣でぺた、と立ち止まった。
「…………」
「お父さんとお母さんのこと」
しばらくの沈黙のあと、イズナは小さく息を吐いた。
「……お父さんも」
「うん」
「お母さんも」
イズナは振り返った。
「絆守だった」
「…………」
分かっていた。
ここまで聞けば、きっとそうなのだろうと思っていた。
それでも。
妹の口からはっきり聞くと、その言葉は思っていたよりも重かった。
「二人とも換装者」
「……やっぱり」
「お母さんは――」
イズナの視線が、ユイの胸元へ向かう。
青いペンダント。
「お姉ちゃんと同じ系統の触媒を使ってた」
「これ……」
ユイは無意識に、胸元のペンダントを握った。
「お母さんと同じ……」
ずっと身につけていたもの。
自分とうーちゃんをつないでくれたもの。
その向こうに、知らなかった母の姿がある。
「お父さんは?」
「お父さんも換装者」
「どんな精霊と?」
「…………」
イズナは首を横に振った。
「そこまでは知らない」
「…………」
「私が知ってることも、全部じゃないから」
ユイは唇を結んだ。
「二人は……どうしていなくなったの?」
「…………」
イズナはすぐには答えなかった。
夕暮れの風が、四人の間を抜けていく。
やがて。
「任務」
「任務?」
「二人は、ある場所へ向かった」
「どこ?」
イズナが一瞬ためらう。
「フレイが――大量発生した場所」
「…………!」
ユイの脳裏に、あの夜の光景がよみがえった。
赤い目。
黒い靄。
こちらへ襲いかかってきた異形。
「フレイ……」
「うん」
イズナは静かに続けた。
「その任務に出て――二人とも、帰ってこなかった」
「…………」
「捜索もされた。でも……」
イズナは首を振る。
「見つからなかった」
「…………」
それだけ。
たったそれだけで、二人の人生は途切れている。
けれど――。
「……それだけ?」
「え?」
「イズナが知ってるの、本当にそれだけ?」
イズナの表情が固まった。
「…………」
「まだ何か隠してるんじゃないの?」
「お姉ちゃん」
「だって!」
自分でも、声が大きくなったのが分かった。
「ずっと隠してたじゃん!」
「…………」
「絆守のことも! 換装のことも!」
止められなかった。
「お父さんとお母さんのことも!」
「…………」
「今さら『知らない』って言われても……」
「……知らない」
静かな声だった。
ユイは言葉を止めた。
「本当に」
「…………」
「隠してたことはある。でも――」
イズナは逃げずに、まっすぐ姉を見る。
「知らないことは、知らない」
その目を見て。
ユイも、それ以上は言えなかった。
「じゃあ……なんで?」
「…………」
「なんで私に黙ってたの?」
ユイの声が少し震える。
「私だけ何も知らないまま――イズナはずっと戦ってた」
「……怖かったから」
「え?」
そのとき初めて。
イズナが視線をそらした。
「お姉ちゃんが知るのが」
「…………」
「絆守のこと。換装のこと。二人のこと」
「どうして……」
「お姉ちゃんだから」
「?」
「知ったら絶対、調べるでしょ」
「…………」
「危ないって言っても」
「…………」
「止めても」
「…………」
「行くでしょ」
「…………」
ユイは黙った。
イズナがじっとこちらを見る。
「ほら」
「まだ何も言ってない!」
「顔に書いてある」
「…………」
少しだけ考えて。
「……行くけど」
「でしょ」
横で黙って聞いていたコヨリが、ぽつりと言った。
「似た者姉妹」
「似てない!」
二人の声がぴったり重なる。
コヨリが瞬きをした。
「そこは合うんだ」
「…………」
「…………」
ほんの少しだけ。
張りつめていた空気が緩んだ。
けれど。
「……それで」
イズナの声が、再び小さくなる。
ぎゅっ、と拳を握った。
「お姉ちゃんまで――」
「…………」
「お父さんとお母さんみたいに、いなくなったら」
ユイは息を呑んだ。
「私……」
そこで、イズナの言葉が止まった。
「…………」
続きを言えない妹のそばへ、コヨリが静かに近づく。
ぴとっ。
小さな身体を寄せた。
「イズナ……」
その姿を見ながら。
ユイは、思い出していた。
あの夜。
フレイが自分へ飛びかかってきたとき。
イズナは迷わなかった。
ユイを突き飛ばして――代わりに傷ついた。
――あのときも。
同じだったんだ。
「……ごめん」
「なんでお姉ちゃんが謝るの」
「だって。そんなこと考えてたなんて、知らなかったから」
「言ってないし」
「…………」
「…………」
「今のは許す」
「ふふっ」
イズナが、ほんの少し笑った。
「でも」
「…………」
「それでも、私は知りたい」
「お姉ちゃん」
「二人が何をしてたのか。何があったのか」
そして。
「本当に、もう帰ってこないのか」
「…………」
「消息不明なんでしょ?」
「うん」
「だったら――」
ユイはイズナを見る。
「いないって決まったわけじゃない」
「…………」
「私、探したい」
そのとき。
きゅっ。
「?」
小さな手が、ユイの指を握った。
見下ろすと、うーちゃんがそこにいた。
「……いっしょ」
「うーちゃん」
「うーちゃんも、いく」
「…………」
今度は、別の小さな声。
「私も」
イズナが振り返る。
「え?」
「何?」
コヨリが不思議そうに首を傾げた。
「いや……」
「イズナだけ置いていく?」
「行くよ!」
「じゃあ決まり」
「勝手に決めないで」
「ふふっ」
ユイは思わず笑った。
ユイ。
イズナ。
うーちゃん。
コヨリ。
四人で顔を見合わせる。
「……無茶はしない」
「うん」
「一人で行動しない」
「うん」
「絶対だからね」
「分かってるって」
「心配……」
イズナのその一言だけは、最後まで消えなかった。
◇ ◇ ◇
翌日。
四人は再び、絆守を訪れていた。
「昨日の任務について調べたいんです」
受付の職員が顔を上げる。
「任務?」
「両親が最後に参加した任務です」
「…………」
イズナが横から付け加える。
「フレイの大量発生」
「少々お待ちください」
職員が端末へ向き直った。
カタ。
カタカタ……。
「…………」
「…………」
しばらくして。
「……あれ?」
「?」
「おかしいですね」
職員の手が止まった。
「該当する任務記録が――ありません」
「……え?」
「そんなはずない」
イズナがすぐに反応する。
「二人が任務に出た記録は残ってるはず」
「ですが……」
再び、カタカタと音が響く。
そして。
職員の表情が変わった。
「……違う」
「?」
「何?」
「記録がないんじゃない」
しん、と室内が静まり返る。
職員が画面を見つめたまま言った。
「これは――削除されています」
「削除……?」
「誰が?」
「分かりません」
「そんなことできるの?」
「通常はできません」
「じゃあ……」
ユイの胸に、嫌な感覚が広がっていく。
「誰かが消したってこと?」
「…………」
職員は答えなかった。
その沈黙が、何よりも答えに近かった。
「古い紙資料なら、何か残っているかもしれません」
案内された資料庫には、古びたファイルが棚いっぱいに並んでいた。
「いっぱい……」
うーちゃんが棚を見上げる。
「これは大変そう」
コヨリも珍しく困った顔をする。
「探そう」
「うん」
ぱら。
ぱら。
「違う」
ぱら。
「これも違う」
「ないね」
その横で。
「…………」
うーちゃんが一冊の分厚いファイルを抱えようとしていた。
「よいしょ……」
ずる。
ずる。
「うーちゃん、それ重いよ」
ユイが手を伸ばそうとした、そのとき。
ぱさっ。
「!」
ファイルの隙間から、一枚の古い紙が床へ落ちた。
「?」
ユイが拾い上げる。
「…………!」
そこに書かれていた名前を見た瞬間。
心臓が跳ねた。
「あった……」
「見せて」
四人で紙を覗き込む。
任務地。
日時。
フレイ異常発生。
そして――参加者。
「お父さん」
「お母さん」
確かに二人の名前があった。
だが。
その下に――もう一つ。
「……この人は?」
「…………」
知らない名前だった。
ユイにも。
イズナにも。
けれど、その人物の名前の横には。
はっきりと記されていた。
――〈帰還〉。
「…………」
「この人だけ……」
イズナも気づいた。
「帰ってきてる」
職員が記録を確認する。
「この方なら――」
「知ってるんですか?」
「はい」
ユイは身を乗り出した。
「今、どこに?」
「現在も――」
職員は少し間を置いてから答えた。
「絆守に所属しています」
「…………!」
「会わせてください」
「しかし――」
「お願いします」
「お姉ちゃん」
「この人なら知ってるかもしれない」
ユイは紙を握りしめた。
「お父さんとお母さんに――何があったのか」
そのときだった。
こつ。
「?」
廊下の奥から、足音がした。
こつ。
こつ。
こちらへ近づいてくる。
「…………!」
職員の表情が変わった。
「?」
イズナも振り返る。
やがて廊下の向こうから現れた人物が、ユイたちの前で足を止めた。
「…………」
「…………」
ユイと、その人物の目が合う。
相手は驚いたようにユイの顔を見つめていた。
そして――。
「……似ているな」
「え?」
その目が。
ほんの少しだけ、懐かしそうに細められる。
「君――」
静かな声が告げた。
「お母さんに、よく似ている」
「…………!」
イズナも息を呑む。
両親とともに最後の任務へ向かい――
ただ一人、帰ってきた人物。
その人が今。
ユイの目の前に立っていた。




