第4話 前編 白衣の娘
翌朝――。
セリスは外套の襟を整え、ザクザクと雪を踏みしめて歩く。念のため正装をしてきたが、かなり窮屈だ。
寒風に身震いしつつ、『ギルド』と記された木札の前で立ち止まる。『ハンターギルド・ドラセナ』、それが今日からセリスが働く場所だ。
建物は石造りで、壁の一部は煤けて窓は薄く凍りついている。あまり大きい建物ではないが、それでも一軒家の倍はあるだろう。
クロッカスの領都に建っているだけあって、それなりに立派だ。
(ふー、緊張するわね)
深呼吸してから扉を押すと、温かな空気が押し返してくる。剣や槍を壁に立てかけた数名の男たちが、暖炉の火を囲んで談笑していた。
室内に入ったセリスに気づいたハンターの一人が――彼女の連れている精霊を見て、ギョッとした顔になる。精霊を連れているということは、貴族であり魔法使いであるということであり……しかもその精霊が、通常と違って三体もいるからだ。
ハンターの男たちは目くばせしあった後、そのうちの一人がすっと立ち上がって話しかけてくる。
「もしかして、領主様の使いですかい?」
「いえ、違いますけど……」
セリスが首を振ると、全員がホッと胸をなでおろした。
「なんだ、良かった。領主様の使いだったら下手なこと言ったら殺されちまうからな」
「馬鹿! 余計な事言うんじゃねえ!」
ぼかっ、と隣から殴られる男。
あまりにも過敏な反応に、怪訝な顔をするセリス。
「……そこまで、怖れるものですか?」
「そりゃあ……」
「なぁ……」
顔を見合わせるハンターの男たち。どうやらクロッカスの領主は、領民から相当恐れられているようだ。
セリスは眉に皺を寄せつつも、長く息を吐いてから受付へ向かう。そして受付に封筒をバン! と置いた。
「紹介状を持って参りました!」
セリスが少し声を張ってそう言うと、カウンターの奥から丸みを帯びた中年女性が現れた。髪を後ろで束ね、手には羊皮紙の束を抱えている。
彼女は封筒を開け、一読して小さく頷いた。
「ようこそ、ドラセナへ。あたしはトーセ、このギルドの事務方全般を担当してる。えーっと、ノーグレン子爵令嬢……ってお呼びすればいいかい?」
「あ、普通にセリスでお願いします。教わる立場ですから」
セリスがそう言うと、トーセは苦笑して手を差し出してくる。
「じゃあ、お言葉に甘えて。セリスさん、話は聞いてるよ。今日からよろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
手袋を取って彼女の手を取ると……トーセは少しだけ驚いたように眼を見開き、セリスの手をしげしげと眺めた。
「……セリスさん、本当に貴族様かい? 随分とその……固い手、だねぇ」
言葉を選ぶように彼女にそう言われて、セリスは苦笑する。
「母の庭を手入れしたり……後はお勉強も頑張っていましたから」
少々手荒れしており、マメも出来ている手。貴族の淑女としてはあまり褒められた物ではないかもしれないが……母に褒められた手は、彼女にとって誇りだった。
トーセは柔らかな笑みを浮かべると、セリスの手をほんの少し強く握る。
「そいつは頼もしい。経理と救護班の手伝いをしてくれるって聞いているけど、合っているかい?」
「はい。文字も書けますし、計算も出来ますから。なんなら、力仕事だって出来ちゃいますよ」
ふんす、と腕を曲げて力こぶを作るセリス。
そんな彼女を見て、トーセはくつくつと笑った。
「助かるよ。帳簿付けは去年から滞りっぱなしだし、見ての通り男はバカしかいないからね。何か無礼があったら言っとくれ、シメとくから」
「おいおい、やめてくれよ。いくらオレらでも、貴族サマに手ェ出すほど馬鹿じゃねえよ」
「無礼ってのは手を出すかどうかだけじゃないよ、ミンゾ。さ、散った散った。今からこの子にいろいろと教えなくちゃいけないんだから」
しっしっと手を振るトーセ。
ミンゾはセリスにパチッとウインクしてから去っていく。なるほど、確かにくぎを刺されないとダメなタイプのようだ。
「こんなところだ、貴族の女の子にゃあ慣れるまで時間がかかるだろうが……焦らずやっとくれ。そうだ、精霊を三体も連れてるってことは、魔法の心得もあるんだろう?」
セリスは頷く。
「治療の魔法も使えますよ」
「そうかい! そりゃあ凄く助かる。まさかうちの救護班で、治療の魔法を頼める日が来るとはね。――それじゃあ、案内するよ。こっちにおいで」
トーセは、裏手の事務室へ案内してくれる。
そこは書棚と帳簿が並ぶ狭い部屋だった。煤けたランプの明かりの下で、紙の匂いと薬草の匂いが混ざり合っている。
「ここが今日からあんたの職場。で、これが制服だ。外で待っとくから、着替えたら言っておくれよ」
差し出されたのは白い上着だった。厚手の布で仕立てられており、ポケットがたくさんある。内ポケットは少し大きく作られており、どうやらここに魔法書を仕舞えるらしい。
袖口には申し訳程度に銀の糸が縫い付けられており、どうやらごく初歩の治癒魔法の呪文が書かれているようだ。つまりこれを着ていれば、仮に魔法書が使えない状態でも応急手当くらい出来るようになっていると。
「……そこまで高価じゃないけど、どこでこんな服手に入れたんだろう」
ばさりと羽織ると、少しサイズが大きいからか……ワンピースのように膝上まで裾がきてしまった。しかしそれでも――貴族らしい、堅苦しい衣装に比べたらはるかに着心地が良い。
正装から着替えたばかりだからというのもあるかもしれないが……息が、しやすい。
(ああ、なんだか落ち着く)
顔をあげやすい、息が吸いやすい。
追放されてからドンドン、前向きになれている気がする。それが凄く嬉しい。
「……ん?」
コンコン、と窓をノックする音が。
そちらを見てみると、なんと昨日の置き引きから助けてくれた男性が窓の外に立っていた。セリスは少々驚きつつも、そっと窓を開ける。
「え、あ、あの……ドラセナにご用件があるなら、表に回っていただけると……」
「いや、ドラセナじゃなくてお前に用があってな。うちの精霊、スコールが、お前に会いたいと」
そう言った彼の足元には、狼の精霊が。
スコールはぴょんと窓枠に飛び乗ると、セリスの首元をスンスンと嗅いでくる。
「えーっと、スコールさん。どうしました?」
『るるる……』
スコールは満足そうにうなずくと、今度はシル、コルト、ゴールに挨拶するように声をかける。シルたちも少しテンションが上がったのか、スコールと遊びだした。
精霊たちが仲良くしているのを見て……青年が、少しだけ口の端を上げる。
「スコールが気にするだけはあるな。まぁ精霊を『真化』させていたし、そりゃよい関係は築けているか」
「ええ、まぁ……。彼らのことは信頼していますし、コミュニケーションも取っていると思います」
「いやなに、疑ったわけじゃない。スコールがどうしても会いたがったから、来ただけなんだ」
精霊に好かれやすい人と、そうでない人がいる。セリスは割と、精霊に好かれやすい方だ。そしてどうやら、目の前にいる青年も精霊に好かれやすいタイプに見える。
セリスの知る限り、そういうタイプは精霊が好きで、その頼みごとを優先出来る人だ。スコールのためにここまで来ているのだから、彼もまた結構精霊のことが好きなんだろう。
昨日は怖くて仕方がなかったが、こうして精霊と触れ合っている姿を見ていると……なんだかもう少し、彼のことを知りたくなってきた。
「あの、良ければお名前を――」
「――セリスさーん、そろそろ入っていいかい!?」
――扉の向こうから聞こえる、トーセの声。
それを聞いた青年は、スコールを呼び寄せてひらひらと手を振る。
「すまない、仕事の邪魔をした。オレも仕事の合間を縫ってきているからな、そろそろ戻ろう」
「あ、はい……」
そう言った青年は、風のようにさっそうと去って行ってしまった。
名前を聞きそびれてしまったが、あれほど強力な精霊を連れている人だ。街などで出会えば、すぐに分かるだろう。
「すいません、トーセさん着替え終わりました」
そう言って扉を開ける。
これから始まる新しい生活に、期待で胸を膨らませながら。
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