第3話 野蛮な辺境と無骨な男
セリスが王都を出て、おおよそ一週間――ついに、クロッカスの街が見えてきた。
この街は、美しい名前とは裏腹に……花の気配はどこにもない。雪深く、冬の長いこの地では……花どころか作物すら満足に育たない。
しかしセリスには関係ない。新天地なのだ、どうしても浮足立ってしまう。
「お嬢様、あんまり身を乗り出さないでくだせぇ」
「あっ、ご、ごめんなさい」
慌てて窓から首を引っ込める。
窓の向こうから見えた景色は、今はもう使われていない砦跡。そして前に見えるのは、大きい門。どの領地にも必ずある関所、クロッカスの玄関。
「つきましたよ、お嬢様」
馬車が止まり、セリスは慣性で少しだけ傾く。完全に止まったのを見計らって、小さく息を吐きながら扉を開けた。
空気は鉄のように冷たく、肺に吸い込むと痛みが走る。三体の精霊たちが長旅から解放されたからか……ビュン! と嬉しそうに空に飛びあがった。
セリスはその様子を見ながら、自身の腕をさする。それなりに防寒対策はしてきたつもりだったが、足りてないらしい。
後ろを振り向くと、雪の上に車輪の跡がずっと続いている。セリスの乗る馬車以外、何も走っておらず……耳を澄ますと、遠くから聞こえてくるのは何かの叫び声。
「魔物の声……たぶん、フロストロールですな」
「よく知ってるわね、マルコ」
「はっはっは、そりゃまぁ御者なんてやってりゃあ詳しくもなりますよ。でもフロストロールなんて物騒ですなぁ……。人里に降りてきたら、百人単位で死人が出ますよ」
声の主は相当強い魔物のようだ。
そんなのがすぐ近くの森の中にいる……それを想像しただけで、ぶるっと体が震えてしまう。でも今日からこの街に住まなくてはいけない。早く慣れねば。
「じゃあマルコ、ここまで送ってくれてありがとう」
「ここまでしかお供出来ず申し訳ありません、お嬢様。また王都に戻る時は、連絡をください。私が一目散に飛んできますから」
「そうね、その時はお願いするわ」
帽子を取り深々とお辞儀をするマルコに、手を振って別れる。彼の乗る馬車が見えなくなったのを確認してから、改めて関所に入った。
中はところどころ老朽化しており、受付にいるのも老人が一人。セリスは彼から書類を受け取り、慣れない葦ペンで必要事項を埋めていく。
「おや、精霊? ……ほー、子爵家のご令嬢さんですか。こりゃまた、どうしてこんな所に」
老眼鏡を持ち上げ、眉に皺を寄せて首を傾げる受付の老人。
セリスは苦笑しつつ、彼に書類を提出した。
「見識を深めようと思いまして。クロッカスは、懐の広い街と聞いておりますから」
「ふぉっふぉっふぉ、良いように言いますなぁ。実際はこの関所を通らないで中に入るヤツが多い、物騒な街だっていうのに。そこの道、綺麗に雪が積もっていたでしょう。正門を潜る輩が殆どいないからでしてな」
大笑いした老人は、書類を一通り眺めた後にハンコを押した。
「それじゃあ、良い旅路を。クロッカスなんて名前に反して花なんてどっこにも無い、一年の殆どが雪に覆われてる街ですが……王都とは違う経験が出来ることは保証しますよ」
「ええ、ありがとうございます」
彼にお辞儀をしてから、セリスは荷物を持ってクロッカスに入る扉を開く。門の外とは打って変わってたくさんの人が行き来する大通りが目に飛び込んできて、その様子にセリスは目を白黒させてしまった。
(……こ、こんなに人が多いのね。王都のメインストリート並じゃない)
雪国、ということで勝手に静かな街をイメージしてしまっていた。
少し離れたところに見える市場では、干し肉と薬草が並び、値札の代わりに傷んだ石板がぶら下がっている。
初めて見る物に心を躍らせ、ついそちらへ行ってしまいそうになるが、我慢してカバンから滞在予定の別荘までの地図を取り出す。
カバンを置き、地図を広げた――そのときだった。
「きゃっ」
何かが背後でぶつかり、肩に衝撃が走る。振り向くと、そこには走り去る少年が。どうやら彼とぶつかったらしい。
「謝りもしないなんて……って、あら?」
ため息をついて、自分の足元を見ると……そこにあるはずの鞄がなくなっていた。
置き引きだ。
「ちょっ……ま、待ちなさい!」
慌てて顔を上げると、小柄な人影が人混みの間をすり抜けていくのが見えた。今から走っても間に合わない。セリスは魔力を引き上げると、シルを『真化』させた。
「どいてくださいッ!」
魔法書はカバンの中だ。やむなくセリスは、シルを犯人の方へ飛ばす。体当たりさせて、転ばせるしかない。
――だがシルがぶつかるよりも速く、大きい手が盗人の腕を掴んだ。ぐるんと一回転した盗人は、雪解けでぐしゃぐしゃの地面に叩きつけられる。
「ぐふっ……」
セリスは慌ててシルを元の姿に戻し、止めてくれた男の元へ駆け寄る。盗人の少年を組み伏せているのは、黒い外套を纏った二十代くらいの精悍な青年だった。
ただ者ではない眼光に、頬に残る傷跡と、分厚い胸板、広い肩幅。腰から提げた剣は明らかに『実用品』で――美術品しか見たことが無かったセリスは、少しだけ怯む。
彼の足元には、青白く光る狼型の精霊。その精霊はセリスを一瞥し、それから背後の三体の精霊を見て……少しだけ感心したように頷いた。
「は、放せよ!」
男の下で、犯人の少年が甲高い声でギャンギャンと騒ぐ。青年は手袋をはめた手で少年の口を塞いだ。
「黙っていろ、死にたいのか?」
少年は苦しそうに藻掻くが、青年の力が強くて一切動かせないようだ。初めて見る『訓練ではない暴力』に、セリスは言いようのない恐怖感を覚える。
少年の抵抗の力は徐々に弱まっていき……セリスは思わず、青年の手を掴んだ。
「あ、あの……く、苦しそう、ですよ……? そ、その辺でおやめになっては……い、いかが、ですか?」
セリスに言われた青年は、少しだけ意外そうに目を見開く。そしてパッと手を離すと、代わりに少年の腕を掴んだ。
「そうか、珍しい貴族もいるもんだ。犯罪者を殺せと言わないなんてな」
青年はそう言って、少年が持っていたカバンをセリスに手渡す。
「ちゃんと持っていろ。生憎、この街じゃこれは日常茶飯事だ」
「……と、取り返してくださりありがとうございます」
セリスが頭を下げる。青年はさらに拍子抜けしたような顔で、ポリポリと自分の頬をかいた。
「三体も精霊を連れているからどんなヤバいヤツかと思えば……まともに礼が出来るとは」
「し、失礼ですね。こう見えて、王都では淑女として教育を受けてきておりますから……最低限の礼節は備わっていると自負しています」
「そうか、それは失敬した。……この街はこんな有様だが、悪いところばかりでもない。ゆっくりしていってくれ」
そう言った青年は、盗人の少年の手を掴んで連れて去って行ってしまった。
セリスは何とも言えないモヤモヤに襲われながらも、もう一度彼の方に頭を下げる。そして念のためカバンの中身を確認するが、特に何か盗られた様子はない。財布の中身も魔法書も無事だ。
「……それにしても、ヤバいヤツだなんて失礼な。ヤバいのはどっちよ」
正直、かなり怖かった。
第二騎士団の副団長まで務めたセリスの祖父が纏っていた雰囲気が、彼のそれに近い。まだ若いが、この地で務めている騎士の中でも相当上の階級なのだろう。
「はー、怖かった」
セリスは胸の前で手を組み、深くため息をつくのだった。
▽▲▽▲▽▲
夕刻――。
地図に記された屋敷は、小高い丘の上にあった。石造りの外壁はところどころに亀裂が走り、あまり手入れはされていない様子。シルーナの別荘という話だが、これでは殆ど廃墟のようなものだ。
それでも、生まれて初めての一人暮らしには少しワクワクする。
扉を叩くと、年老いた管理人が出てきた。今日来ると知って、慌てて掃除などをしてくれたらしい。セリスはお礼を伝え、彼からカギを受け取る。
「これからも、週に二度はお掃除に伺います」
「ありがとうございます。……確かに、この大きさを一人でお掃除するのは大変ですし助かります」
鍵を開けて中に入り、真っ先にベッドのある寝室へ。決して広くはないが、掃除されているし快適に過ごせそうだ。
窓からは街の灯が遠く見える。セリスは机の上に荷を置くと、さっそく精霊用の皿を並べた。シル、コルト、ゴールが嬉しそうに集まってくる。
今日は移動で疲れてしまったので、自分もご飯を食べたらすぐ寝てしまおう。
「さっき買ってきたパンと……ベーコン、あと……えーい、お酒も飲んじゃお」
セリスはベッドの上であぐらをかき、カバンの中身を整理する。こんなはしたない恰好、屋敷じゃ絶対にできなかった。
「ふぅ……」
――生まれて初めて置き引きされたことを思い出し、セリスは苦笑する。
ここには王都の秩序も礼節もない。だが同時に――人々が必死に生きようとする意志がある。
「なんてね」
セリスは小さく息を吐き、欠伸をする。明日からは働かなくてはならない、生まれて初めて誰かの元で働くが……果たして上手くやれるだろうか。
なんて思いつつ、ご飯の用意を始めるセリス。
――なぜか、今日置き引きから助けてくれた彼の顔が忘れられなかった。あの時は、怖かったはずなのに。
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