第2話 追放令嬢と三つの灯火
翌朝――。セリスは小鳥の囀りを聞きながら起きると、ぐるぐると頭を回した。そして今日のミュースのスケジュールなどを思い出そうとして……もうその必要が無いと気づく。
彼との婚約は解消。スケジュール管理や、仕事の補佐など全て不要になったのだ。
「……あー、久しぶりにバタバタしない朝」
少し気分が軽くなる。昨日のうちに纏めていた荷物をもう一度確認する。三体の精霊のための食事と、古びた魔法書が二冊、財布と身分証。そしてクロッカスまでの道中で着る衣服。
その他の衣類などは、別荘に送るよう使用人にお願いしたので……持っていくものはボストンバッグ一つで収まった。
「シル、コルト、それと……ゴール。いきましょっか」
白銀色の鳥の精霊、シル。群青色のモグラの精霊、コルト。そして――金に光る狐の精霊、ゴール。三体の名前を呼ぶと、彼らは楽し気にセリスの周囲を回る。
特にコルトは生まれた時からの付き合いであるためか、自身で契約したシルよりも特にセリスに懐いている。三体のおかげで、こんな日だというのに笑みが漏れる。
「じゃあ皆さん、行ってまいります」
仲の良かった使用人や、父に挨拶をして屋敷から出る。
幼い頃からずっと過ごしてきた、ノーグレン家の屋敷。こんな形でここを出たら、もう二度と社交界には戻ってこられないだろう。
ただそれを差し引いても……セリスは二度と婚約者の機嫌を伺わなくていいし、周囲の貴族に気を遣って魔法を堪えなくてもいい。
「……ふふっ」
精霊たちに魔力を渡し、彼らを本来のサイズ――即ち、大型犬よりも大きいサイズに戻す。この姿に出来ることがバレていたら、あのプライドばかり高い元婚約者はその場で婚約を破棄していたか……もしくは騎士団にセリスのことを売っただろう。精霊を本来の姿に戻す技能は、それほど貴重だ。
ただまぁ、結果は同じになってしまったし、最初から隠さなくても良かったのかもしれない。
「今日からは自分の身は自分で守らないといけないからね。頼りにしているわよ皆」
精霊たちに食事を食べさせながら、セリスは微笑む。
カバンをかけて、馬車の停めてある方へ行こう――としたところで、人影が。慌てて精霊たちを手のひらサイズに戻すと……そこには、幼馴染のソニエが立っていた。
「な、なんだソニエだったのね。……どうしたの?」
「どうしたのじゃないって! ってかまだ王都なのに精霊を『真化』させてどうするの! バレたら騎士団行きよ!?」
「う……ご、ごめん。ちょっとテンションが上がって……」
「迂闊ねぇ……。って、そうじゃない! セリス、貴方……大丈夫なの?」
心配そうにセリスの肩を掴んでガクガクと揺らしてくるソニエ。大丈夫とは口が裂けても言えない状況であることは、彼女も知っているわけで……すぐに彼女は、鞄から一通の手紙を差し出してきた。
「クロッカスに行く……で、合ってるよね?」
「え、ええ。……昨日決まったことなのに、よく知ってるわね。父様が暫く身を隠せと」
「身を隠す場所にしちゃ最悪よ、あそこ。……ちょっとそれ、中身見てみて」
彼女に促されるまま開くと、そこには『ハンターギルド・ドラセナ』と書かれていた。
「急いでお父さんに書いてもらった紹介状。アンタのお父さん、ほんと人使いが荒いわ。『シルーナにはバレないように、食い扶持を紹介してくれ』って言われたの」
「まぁ……父様ったら、言ってくれたらよかったのに」
働き口も自力で探すつもりだったセリスにとっては朗報だ。
彼女は手紙を開けて紹介状を読む。どうやらその『ドラセナ』というのは、魔物を倒すハンターたちのギルドで……事務と治療の仕事をすればよいらしい。
「貴方、治療魔法は大丈夫よね?」
「もちろん。なんなら魔物も倒せると思うわ」
「知ってる。……でもまぁ、こんなことになるなら最初っから全部隠さなければよかったのに」
はぁー、と大きくため息をついて呆れた様子のソニエ。
「でもだって、母様が『ノーグレン家を頼むわよ』って言っていたから。……女だてらに武功で身を立てるよりも、有力家に嫁いだ方がいいもの」
「そりゃお母さんのことが大好きなのは知ってたけど、だからって家のために全部我慢しなくていいじゃない」
そこまで言ったソニエは、ニヤッと笑みを浮かべる。
「でもまぁ、憑き物が落ちたみたいね。やっぱアンタ、アタシと一緒でご令嬢は向いてないわよ」
「失礼ね、これでも社交界では素敵な令嬢って有名だったのに」
セリスがそっぽを向きながら言うと、ソニエはクスクスと笑う。
そしてしばらくは澄ました顔をしていたセリスも、堪えきれず笑い出した。
「ふふ。……ま、でもこれで自由になれたんだし。こっからはアタシみたいに好きに生きなよ?」
「……ええ」
彼女から受け取った紹介状をカバンにしまうと、セリスは優雅にお辞儀する。十九年間、キッチリと『貴族のご令嬢』として教育を受けてきた彼女の礼は、見惚れるほど美しい。
「たまには戻ってきなさいよ。手紙書くから」
「ええ。ごきげんよう、ソニエ」
「ごきげんよう」
ひらりと馬車に乗り込むと、御者が馬車を走らせる。
ここから暫くは、自分のゴシップが王都の夜会で持ち切りになるだろう。事実なんて無関係に、人々にとって面白い方に面白い方に噂が広まっていく。
セリスは何度も見てきた光景、しかしまさか自分がその立場に置かれるとは。
ほとぼりが冷めても、果たしてこの町に自分の居場所はあるだろうか。
▽▲▽▲▽▲
朝に王都を出て、陽が沈むころ。
すっかり雪が降り積もった道を進み、とある宿場町に辿り着いていた。精霊たちは寒さに震え、いつの間にかカバンの中に潜り込んでいる。
「あー、寒い……」
クロッカスはまだまだ先。何度か馬を換えながら休みなく走っても、あと数日はかかるだろう。
「お嬢様、本当に大丈夫ですかい? 宿屋なんかじゃなくて、他の貴族の屋敷に泊まる方が……」
「その貴族社会からほとぼりが冷めるまで身を隠すためにこうして動いてるんだから、バレるようなことをしてどうするのよ」
「しかし、ここは王都じゃないんですぜ? クロッカスほどじゃあないですが、治安がいいってわけでもない」
心配そうに言う、御者のマルコ。
しかし彼女は首を振ると、自分の精霊たちを指さした。
「大丈夫よ、この子たちもいるし。それに知らないかもしれないけど、私って魔法が得意なのよ」
ふふ、と得意げに笑うと……マルコは複雑そうな顔をしながらも、形だけ納得して引き下がってくれた。
セリスは普通ぐらいのグレードの宿屋に入ると、そのままチェックインして部屋に向かう。精霊たちの食事を用意した後、自分はさっき買った固いパンを噛みちぎる。
「……それにしても、治安が悪いというのは本当なようね」
既に二回、窓の向こうから怒号が聞こえてきている。セリスは念のため魔法書を取り出し、ぺらっとめくる。ここから先は自分の力で生き延びねばならないのだから、すぐに魔法を使えるようにしておかないと。
(不安はあるけれど、楽しみね)
誰もいない、誰の目も無い。セリスは誰にも守られず、セリスは自らの足で立つ必要がある。
それがどれほど心地よいか。
クロッカス領では、未だに魔物の被害が出ているという。野蛮で危険な、おおよそ貴族の令嬢が一人で行くような土地ではない。
しかしそれが近づくにつれ、セリスの心は不思議と軽くなっていった。自分らしさを、少しずつ取り戻しているような気がして。
部屋の灯火を見つめながら、セリスは心の中にも小さな灯がともっているのを感じていた。
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