第1話 婚約破棄と三つの精霊
「セリス、お前との婚約を破棄させてもらう」
華やかな夜会、貴族子女の交流の場で――セリスの婚約者、ミュース伯爵子息が唐突にそんなことを言いだした。
その言葉は思いの外、会場に通ったらしく……先ほどまでの楽し気な雰囲気から一転、困惑したようにざわざわと小声でセリス達に注目している。
各人の足元にいる、精霊たちも宝石のような瞳をセリス達に向けている。
「何を言い出すんですかミュース様。魔法の試しあいで負かしてしまったことは謝ったじゃないですか」
苦笑しながら、セリスはミュースの手を取る。
しかしミュースは手を振り払うと、金髪をかき上げてセリスを指さした。
「複数の精霊を連れるなんて、規律違反だろうが!」
彼が指さした先にいるのは、セリスの精霊。白銀に光る鳥型のシルと、コバルト色に光るモグラ型のコルト。今は魔力を抑えているので子犬くらいのサイズになっている二体は、指さされたからか威嚇するようにミュースを睨みつけた。
その様子を見て、さらにミュースは機嫌を悪くする。
「……で、ですがミュース様。以前もお話しました通り……コルトは、母の形見でして」
「形見だろうと関係あるか!」
ミュースのボルテージが上がっていく。
セリスはだんだんと、これがいつもの癇癪じゃないと察する。ミュースがわざわざ、形骸化している規律まで持ち出してきているのがその証左だ。
「お前のせいで、俺の精霊だって言うことをあまり聞かない!」
「……それはミュース様がゴールのお世話を私に任せるからです。魔法が上達しないのもそのせいですよ」
嘆息。ミュースの足元では、淡く金に光る狐姿の精霊……ゴールが怯えたように主人を見上げていた。
普段から、お世話はセリスの役目。精霊用の食事を与え、果実水を飲ませ……調子が悪ければ、魔力歌でその体調を整える。
精霊は、餌をもらう相手に懐く。言葉を発さない彼らにとって、それが愛情の尺度だから。
だが婚約してからずっと、面倒だからとミュースはその世話を拒み精霊を遠ざけていた。
貴族は……魔法を使用するか否かに関わらず、精霊と共に育ち生きていく。だからその世話を放棄することの方が、はるかに規律違反だ。
「黙れ! 精霊を二体も連れているなんて、戦場で戦うつもりか!? 精霊は武器のようなものだぞ!」
確かに精霊がいなければ魔法は使えないが、武器のようだと言うだなんて旧時代的な主張だ。
セリスは流石にイライラしてきて、声を荒げる。
「だからミュース様! ……いい加減、変なことを怒鳴るのは辞めてください」
セリスがそう言った時――ミュースの後ろから、すっと女が出てきた。貴族の夜会の場であるというのに、背中ではなく谷間を強調した淫靡な格好をした女が。
彼女は――エルネ男爵令嬢。二年前に商人の父親が爵位を貰ったばかりで、あまりマナーのなっていない女性。彼女はくすっと微笑むと、セリスの前に立った。
「ごきげんよう、セリス・ノーグレン様。新しく婚約しましたので、そのご報告をと思いまして」
そう言って、ミュースの腕を取るエルネ。その自信満々の顔と、谷間を覗き込むミュースを見て……セリスは理解する。
この男は、この女に篭絡されたのだ――と。
「……ミュース様、私は貴方の浮気は今更咎めません! ですが、立場という物があるでしょう!?」
「立場も何も! ……言っておくが、お前の精霊複数所持に関しては、既に貴族議会に議題として取り上げられることになっている。騎士爵を持たない令嬢にあってはならない武力! 魔法規制法違反だ! どんな処分が下るか今から楽しみだ!」
ミュースの発言を受け、遠巻きに見ていた貴族たちが一斉にざわめきだす。
その程度で魔法規制法違反だなんて、聞いたことが無い。しかしそれが議題として取り上げられてしまえば、たとえ不問となったとしても……少なくとも、このまま王都にはいられないだろう。
それを理解しているから、周囲の貴族たちは大変なことになっている……という目を向けてくる。
「そんなことが、通るわけが無いでしょう!? というか、そんなことされたら私は……私はどうすればいいんですか!?」
「知ったことか! とにかく、婚約は破棄する!」
まさかここまで馬鹿だとは思ってもいなかった。セリスはグッと唇を噛むと、ミュースに頭を下げた。
「すいません、ミュース様。私が間違っていました、今後は……魔法の練習もしません。だからどうか、それだけは取り下げて貰えませんか?」
深々とお辞儀をする。
しかしミュースはさらに唇を震わせると、セリスの頬を叩いた。
「ほら見ろ! 第一声は自分の保身だ! 婚約者に戻してくれとは言わない! お前が、俺のことを見下している証拠だ! ……エルネは、俺に土下座をしてまで婚約者になって欲しいと言ったぞ? ほら、お前にその覚悟はあるか? 人前で土下座をする覚悟はあるか!? ああ!?」
――狂っている。
セリスは背筋がゾッと凍り、首を振った。
ノーグレン子爵家の令嬢として……自分自身の保身のために、そこまでプライドを捨て去ることは出来なかったからだ。
「分かりました。……婚約者に叱られへそを曲げたからといって、他の女に尻尾を振るようなプライドの無い男は願い下げです!」
そう吐き捨てて、セリスはその場を後にする。周囲の貴族たちも、誰もセリスに話しかけようとはしない。子爵令嬢と伯爵子息、どちらにそっぽを向かれたら困るかは……明白だからだ。
セリスは怒りと屈辱でどうにかなりそうな気持をグッと抑えながら、会場を後にするのだった。
▽▲▽▲▽▲
屋敷へ戻ると、既に父も二人目の母もこの報せをすでに受け取っていた。特に義母は立腹した様子で、セリスのことを鬼のような形相で睨みつけた。
「何度も言っただろう、メイリンの精霊は世界に還せと」
父であるレストア子爵は大きくため息をつくと、肩を落とす。
「……ですがお父様、母様が最期に私に頼むと言い残して……」
「それは分かっている。だがその程度のことで足元を掬われ、こうして婚約を打ち切られたんだ。お前は来年、二十歳になるのだぞ? どうやって暮らしていくつもりだ」
「そうよっ! ……他に良い縁談は、リリラに回すつもりですからね。貴方は自力でどうにかなさい!」
激昂する二人目の母、シルーナ。レストアは彼女を宥めると、頭を抱えた。
「とにかく、新しく婚約するにせよ、修道女になるにせよ……ほとぼりが冷めるまではどこかに身を隠さんといかん」
「あら、でしたらクロッカスはどうでしょうか。知っていますか? セイヴェル辺境伯が治める土地です」
シルーナがニッコリと笑みを浮かべて提案してくる。
「え、ええ……。強力な魔物が出てくる『魔窟』からの侵攻を砦で食い止めている土地と。治安もあまり良くないと聞きますが……」
「わたくし、あそこに別荘を持っておりますの。ねぇ、レストア様……よいでしょう?」
厄介払いできるとウキウキなシルーナ。彼女にとって、前妻の娘であるセリスが目障りだったというのは理解していたが……まさかここまで露骨にしてくるとは。
しかし、抗う術はない。罪によって婚約破棄されたことは、明日には王都中に広まるだろう。
そうなってしまえば……仕事も、立場も、行き場もない。
「……分かりました」
それだけ言って、部屋を出ようとする。するとレストアが追いかけてきて、セリスの肩に手を置いた。
「それで、彼には何か言い返したのか?」
「え? ……ええ、プライドの無い男はこちらから願い下げだと」
セリスが答えると、レストアがプッと笑って肩を叩いた。
「それでこそ、私の娘だ」
父はそれだけ言うと、室内に戻っていく。
セリスは少しだけ長く息を吐くと、自室に戻った。すると、窓の向こうにふわふわと何かが浮かんでいるのが見える。淡く光る精霊――ミュースの精霊、ゴールだ。
「貴方……またご飯を貰えなかったの? ちょうどいいし、皆ご飯にしましょうか」
セリスは窓を開けると、皿を三枚用意して……そこに精霊用の食事を盛りつけた。シルとコルト、そしてゴールが嬉しそうにそれを食べだす。
セリスはそれを見つめながら、再び怒りが沸いてくるのを感じた。別にあの人の婚約者でありたいと思ったことは無いが、顔を潰されたのは我慢ならない。
だからセリスは、悔しまぎれにゴールに語り掛けた。
「……私と一緒に来る?」
ゴールはパッと笑顔になると、こくんと頷いた。
――精霊を失った貴族なんて、聞いたことも見たことも無い。ここでこの子を連れて行けば、ミュースはこっぴどく叱られるだろう。
「じゃあ、今日から仲間ね。さっそく、一緒に魔法を練習しましょう」
嬉しそうに頷くゴール。セリスは苦笑し、その子の頭を撫でる。ほんの少しだけ、胸がすく思いだ。
明日、セリスは王都を離れ、クロッカスという辺境へ向かう。
雪の積もるその地で、何かが自分を待っている気がしていた。
*===================================================
「面白い!」、「続きを読みたい!」などと思った方は、是非ブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします!
していただいたら作者のモチベーションも上がりますので、更新が速くなるかもしれません!
是非よろしくお願いします!




