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女領主セレナ ~悪女じゃありません、少し腹黒いだけです~  作者: 岡悠


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第7話 掘られた山 ― The Hidden Vein

 アルヴェイン家の紋章を刻んだ木札が森の荷置き場へ置かれてから、二日が過ぎた。


 その間、セレナのもとへ届いたのは、木札を見た三人が森を出たあと二手に分かれたという報告と、そのうち山側へ向かった者をエドガーが追っているという知らせだけだった。残る者についてはマルクが西へ続く宿場や荷運び人へ話を聞いており、ローヴェル自身も双方を行き来しながら情報をつないでいるらしい。


 もっと早く知りたい、という気持ちはあった。


 相手はこちらが見ていることを知ったのだから、今度こそ大きく動くかもしれないし、痕跡を消して逃げる可能性だってある。それでもセレナは城兵を増やさず、北街道の巡回もこれまで通りに続けさせ、自分は午前中からオットーと排水路の浚渫に必要な人足数や、ルーヴ橋へ追加する木材の量を確認していた。


 領内のどこかで怪しい者が動いているからといって、ほかの仕事が消えてなくなるわけではない。


 むしろ、そういう時ほど普段通りに領地を回しておかなければならないのだと、最近は少しずつ思うようになっていた。


 昼を過ぎた頃、執務室の窓から見える空は薄く曇り、海から入り込む風には湿った冷たさがあった。セレナが排水路工事の日当についてミレイユと話していると、扉が叩かれ、ハロルドが入ってくる。


「ローヴェルが戻りました」


 その一言で、セレナの手が止まった。


「呼んで」


 ほどなく入ってきたローヴェルは、いつにも増して山を歩いてきたことが分かる姿をしていた。外套の裾には泥だけでなく細かな枯れ草や木の葉が絡み、革靴の側面には乾ききっていない赤茶色の土が厚く付着している。室内へ入ると、湿った土と革、それにわずかに汗の混じった匂いが暖炉の薪の香りへ重なった。


 ただ、顔には疲労こそ見えるものの、急を知らせる緊張はなかった。


「何か見つけた?」


「はい」


 ローヴェルはそれだけ答えると、肩から下げていた小さな袋を外した。


 机の上へ置かれた袋から、鈍い音がした。


◇


 話は、前日の早朝から始まった。


 ローヴェルとエドガーは、木札を見た男たちのうち山側へ向かった一人が残した痕跡を追い、西の森をさらに奥へ進んでいた。森の奥は領内の者でもほとんど用のない場所で、木こりが入る区域を過ぎると、道らしい道は次第に消えていく。雨の名残を吸った腐葉土は柔らかく、踏み込むたびに靴底が少し沈み、濡れた苔や枯れ葉から立ち上る土臭い匂いが冷たい空気の中に濃く漂っていた。


 先を歩いていたエドガーが、途中で何度か足を止めた。


「こっちです」


 低くそう言いながら、斜面へ伸びる細い獣道を指して、エドガーはしゃがみ込むと、地面ではなく腰ほどの高さにある枝へ指を触れた。


「切ってます」


 枝の先が刃物で斜めに落とされており、切り口はまだ白っぽい。さらに進むと同じような枝が何本もあり、狭い獣道が、人ひとりなら荷を背負って通れる程度の幅に広げられていた。


「山仕事の人間か?」


 ローヴェルが聞く。


「この辺まで木こりは来ません」


 エドガーは周囲を見回し、苔の付いた岩へ手を置いた。


「猟師なら枝をこんなに切らない。獲物に気づかれます」


 人が通るために作った道。


 ただし、道と呼べるほど大きくはない。


 見つけられたくない者が、必要な分だけ森へ手を入れたように見えた。


 二人はそこから歩調を落とし、さらに一時間ほど山へ入って先に異変へ気づいたのは、今度はローヴェルだった。


 地面に、小さな鉄片が落ちている。


 拾い上げると、指二本ほどの長さしかなく、一端は潰れ、もう一端には石へ強く打ちつけたような傷が残っていた。


「楔か」


 エドガーが覗き込む。


「たぶん」


 その先では、さらに別のものが見つかった。


 折れた鶴嘴の先。

 曲がった鑿。

 細い棒鉄。

 麻縄。

 新しい釘。


 どれも大量ではないが、これまで北から入りながら城下市場には出てこなかった鉄材の行方を考えれば、無視できない量だった。


 ローヴェルは折れた鶴嘴を手に取り、泥を親指で拭った。鉄肌には新しい傷が無数に付き、先端は岩を叩き続けたためか丸く潰れ始めている。


「……鉄はここへ来てたのか」


「山を掘る道具ですね」


 エドガーが答えた。


 だが、少し先まで進んだところで、それだけではないことも分かった。木の根元へ油布をかけて隠すように、短槍が数本置かれている。その横には弓と矢筒、それに革張りの小盾が二枚あり、いずれも新品ではなかったものの、すぐ使える状態に整えられていた。


 ローヴェルは油布を元に戻し、周囲の足跡を確認した。


「全部が掘るための鉄じゃないな」


「盗賊ですかね」


「それにしては、山の奥すぎる」


 武器は多くない。


 十人程度を完全武装させるほどでもなく、まして戦を始める規模ではない。しかし、見つかった時に何もせず捕まるつもりもない。その程度の備えには見えた。


 二人はそこでさらに慎重になった。


◇


 山腹を回り込んだところで、木々の間から土とは違う色が見えた。


 灰色の岩肌だった。


 本来なら灌木や苔に覆われているはずの斜面の一部だけが削られ、岩が剥き出しになっている。その手前には砕いた石がいくつも転がり、まだ新しい破片の角は鋭く、表面にも泥や苔がほとんど付いていなかった。


 エドガーが足を止めた。


「こんなの、前はありませんでした」


「来たことがあるのか?」


「この辺りまでは。何年か前に鹿を追ってます」


 ローヴェルはしゃがみ、転がっている石を一つ拾った。


 ただ砕いているわけではない。その場から少し離れた場所には、色や重さの違う石だけが意図的に選り分けられ、小さな山になって積まれていた。


 二人は岩肌へ近づいた。そこには人一人が屈めば入れる程度の浅い穴が三つ掘られ、最も深いものでも数歩入れば奥へ手が届きそうだった。坑道と呼べるほどではなく、岩のどこに目的のものがあるのか探すように、場所を変えながら少しずつ掘っている。


 岩肌には鉄楔を打ち込んだ跡が新しく残り、足元には砕けた岩粉が薄く積もっていた。指先ですくうとざらざらとした細かな粒が皮膚に張りつき、石を割った時に出た乾いた粉の匂いが湿った森の空気に混ざっている。


 ローヴェルは穴の奥を覗き込んだ。


「石を取ってる?」


 エドガーは選別された岩片へ目を向けたまま、首を横に振った。


「取ってるっていうより……探してるんじゃないですかね」


 その言葉の方が、目の前の光景には合っていた。


 本格的に採掘しているなら、もっと多くの人間と道具が必要になる。鉱石を運び出すための荷車も、作業するための場所も要るはずだ。


 ここにあるのは、浅い穴と、数人分の道具と、選り分けられた石だけ。


 何かがあるかどうかを確かめている。


 試しに掘っているのだ。


「向こう」


 エドガーが声を低くした。


 少し離れた岩陰に、古い石積みの跡があった。


 崩れて苔に覆われ、長い年月の間に半分ほど土へ埋もれている。近くの岩には、自然にできた傷とは明らかに違う、直線を組み合わせた古い刻み目が残されていた。


 ローヴェルは指で苔を少し払い、その跡を見る。


「最近のものじゃないな」


「ずっと前から誰かがここを知ってた?」


「少なくとも、一度は人が調べてる」


 それ以上は二人にも分からなかった。


 誰が。

 いつ。

 何を探していたのか。


 ただ、今ここを掘っている者たちが、偶然山を歩いていてこの場所を見つけたわけではなさそうだった。


◇


「人は?」


 報告を聞いていたガレスが尋ねた。


 ローヴェルは執務室の机に広げた地図へ指を置いた。


「現場で確認できたのは七人です。掘っている者が四人、荷や道具を扱っている者が一人。それから周囲を見ていた者が二人」


「武装は?」


「あります。ただ、戦をする人数ではありません」


「護衛か」


「そう見えます。見つかった時に追い払うか、逃げる時間を作るためでしょう」


 ガレスは腕を組み、低く息を吐いた。


「前に見た、兵隊上がりらしい動きの者もそこに?」


「一人は同じ男だと思います」


 セレナはここまで黙って聞いていたが、ローヴェルが持ち帰った革袋へ目を向けた。


「それで、その中は?」


 ローヴェルは袋の口を開いた。机の上に置かれたのは、拳より少し小さい石だった。


 灰色を基調にしながら黒っぽい筋が入り、持ち上げたセレナは予想していたより重いことに少し驚いた。表面はごつごつとして冷たく、指先を滑らせると砕いたばかりの鋭い角が皮膚へ引っかかる。


「……石?」


「選り分けて積んであったものです」


「これを探してる?」


「たぶん」


 セレナは石をもう一度見た。


 見ても何も分からない。


 道端に落ちていれば、そのまま跨いで通り過ぎていたような石だった。


「オットーは分かる?」


「私より鍛冶屋の方がましでしょう」


 オットーはそう言ったが、やはり石を手に取って重さを確かめ、表面の筋をしばらく眺めていた。


「鉱石なのは間違いなさそうですが」


「価値がある?」


「……それは何とも」


 結局、城下から鍛冶屋を呼ぶことになった。


◇


 呼ばれた鍛冶屋は事情をすべて聞かされることなく、ただ「山で見つかった石を見てほしい」とだけ言われて執務室へ入った。


 彼は石を受け取ると、まず掌で重さを確かめ、次に窓際へ持っていって表面を光へ向けた。そのあと小さな金槌と鑿を借り、布を敷いた机の隅で角を少しだけ割る。


 硬い音が一度響いた。


 割れた断面を見た鍛冶屋は、眉間へ皺を寄せた。


「鉛の鉱石に見えます」


「鉛?」


「……たぶんですが」


 セレナには、それがどの程度の価値を意味するのか分からない。


「高いもの?」


「鉛そのものにも使い道はあります。ただ……」


 鍛冶屋は割った断面をもう一度覗き込んだ。


「こういう石には銀が混じることもあります」


 部屋の空気が変わった。

 ガレスが鍛冶屋を見る。

 ミレイユも羽根ペンを止めた。


「銀?」


 セレナが聞き返す。


「可能性です。これ一つだけ見て、銀が取れるとは言えません。混じっていたとしても、ほんの少しかもしれません」


「調べられる?」


「きちんとやるなら、鉱石を扱える者が必要です。それに、一個二個では山全体のことなんて分かりません。場所を変えて掘って、石を集めて、それを調べないと」


 それを聞いたセレナは、むしろ少し安心と残念な気持ちがした。


 目の前の石一つで突然領地が豊かになるような話ではないらしい。


 しかし同時に、別の疑問が重くなった。


「じゃあ、向こうもまだ分かってない?」


 ローヴェルが頷く。


「あの掘り方を見る限り、おそらく」


 つまり、誰かは確信してここへ来たのではない。


 何かがある可能性を知っていて、それを確かめている。


 そのために人を入れ、道具を運び、護衛まで置いた。


 セレナは机上の地図へ目を落とした。


 北街道から人を遠ざける噂。

 市場へ出てこなかった鉄材。

 森を通る荷。

 移動する荷置き場。

 山中の鶴嘴と鉄楔。

 浅く掘られた試掘穴。


 それまで別々に見えていたものが、ようやく一本につながった。


「……盗賊の噂は、街道を封鎖したりするためじゃなかったのね」


 セレナがゆっくり言う。


「人を近づけないため?」


 ローヴェルが少し考え、それから頷いた。


「その可能性はかなり高いと思います」


「人通りを減らして、その間に道具を山へ入れる」


「そして石を調べる」


 セレナは地図の西側へ指を置いた。


「全部、うちの領地よね?」


 ハロルドが地図を確認する必要すらなく答えた。


「間違いなくアルヴェイン領内です」


 セレナの指が止まった。


 不思議なほど声は荒れなかった。


「……だったら、誰の許可で掘ってるの?」


 誰も答えられない。


 もちろん、答えられる者がこの部屋にいないことは分かっていた。それでも、その一言を口にした瞬間、これまで感じていた不気味さとは違う感情が胸の奥へ浮かんだ。


 怒りだった。


 噂を流されたことよりも、街道を乱されたことよりも、自分の領地へ勝手に入り込み、山を掘られていることの方が腹立たしかった。


「今度こそ押さえますか」


 ガレスが尋ねる。


 セレナはすぐには答えなかった。机の上の石を手に取り、掌の中でゆっくり転がす。石は冷たく、重く、その重さだけが妙に現実的だった。


「……まだ」


 ガレスが眉を寄せる。


「……理由を聞いても?」


「何を探してるのかは分かった。でも、誰が探させてるのかは分からない」


 セレナはローヴェルを見る。


「現場の人を捕まえたら、そこまで辿れる?」


「可能性はあります。ただ、こちらが鉱石まで気づいたことも相手に伝わります」


「だったら、まだ教えたくない」


 ローヴェルの目が少し細くなる。


「では?」


「次は、石じゃなくて人を追って」


「誰まで?」


 セレナは掌の石を机へ置いた。


 鈍い音がした。


「この人たちに、山を掘れって言った人まで」


 ローヴェルは静かに頷いた。


「分かりました」


◇


 話が終わり、家臣たちが執務室を出たあとも、セレナは一人で机の前に残っていた。


 窓の外では雲の切れ間から夕方の光が差し始め、西の山並みが淡い橙色の縁取りを帯びている。暖炉から漂う薪の香りの中で、机の上の石だけが場違いなほど無骨に見えた。


 手に取れば重い。


 見た目は、ただの石。


 だが、その石のために誰かが噂を流し、商人を街道から遠ざけ、鉄を森へ運び、武装した者まで山へ入れている。


「これ一つのために……?」


 思わず呟くと、まだ書類を片づけていたハロルドが顔を上げた。


「おそらく、一つではないのでしょうな」


 セレナは石から視線を上げ、西の山が描かれた地図へ目を向けた。


 鉛なのか。

 銀なのか。

 どれほどあるのか。

 そもそも本当に採算が取れるものなのか。


 まだ何一つ分からない。


 ただ一つだけ確かなのは、セレナより先に、誰かがその山の価値を確かめようとしていたということだった。


「……うちの山に、何が埋まってるの?」


 答えのない問いを残したまま、窓の外では西の山がゆっくりと夕闇へ沈んでいった。


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