3-3) 百円玉から始まる恋
SIDE神代冬真
夜の9時を少し過ぎていた。駅前は昼間の賑わいはもうない。春の夜風は少しだけ冷たかった。
駅前の立体駐輪場は嫌いだった。あの100円を入れるタイプのゲートが面倒臭い。
「・・・令和だぞ」
俺はぼそっと呟いた。電子マネーくらい対応しろよ、と思う。財布から100円玉を取り出しながら、自転車を押してゲートに向かう。その時だった。
困ったような泣きそうな、同じ学校の制服の女子生徒が精算機の近くで固まっていた。俺は視線だけを向ける。財布を開いては、閉じて、また開いている。明らかに困っている。
俺は少しだけ眉をひそめた。別にかかわりたくはない、知らない女子だし。しかも可愛い。こういうタイプは苦手だ。なんというか、存在そのものが眩しい。俺みたいなのとは住む世界が違う。
放って帰ればいい。実際、周りの人間は皆そうしている。困っているのは分っている。でも関わらない。それが普通だ。
俺もそのつもりだった・・・・だったのに。女子生徒が、小さく心細そうに
「どうしよう・・・・・」
と呟いた瞬間。なぜか足が止まった。
「・・・あの~」
気が付けば声を掛けていた。「何やってんだ俺・・・」女子生徒がピックッと振り向く。近くで見ると、かなり可愛かった。思わず視線を逸らす。
俺はポッケトを探り、100円玉を取り出た。一瞬だけ迷う。別に渡さなくてもいい。でも、帰れないのは普通に可哀想だった。
「100円玉ないの?使いなよ。」
なるべく無表情で言う。
「えっ・・・?」
「使って」
女子生徒は慌てていた。
「で、でも・・・」
「帰れないでしょ?両替できる場所、夜だと遠いいし・・・」
「それはそうですけど・・・・・」
「いいよ、使ってよ」
俺は少し気まずくなって視線を逸らした。なんか感謝されるのが苦手だし、たった100円だし。そんな大した事じゃない。でも女子生徒は、もの凄く申し訳なそうな顔をしていた。きっと律儀な人なんだろうな、と思った。
「ありがとうございます・・・!」
深く頭を下げながら100円玉を受け取る。その仕草が妙に丁寧で、俺は少しだけ驚いた。
ガコン。ゲートが開く。
女子生徒の表情が、ぱっと明るくなった。なんか犬みたいだなと思った。小型犬。人懐っこそうな。・・・いや何考えているんだ俺。
「じゃ・・・」
さっさと帰ろうとする。すると後ろから声が飛んできた。
「あ、あの!」
「・・・?」
「お名前・・・!」
俺は固まった。「無理・・・」女子に名前を聞かれる耐性がない。何故か別に悪い事をしてないのに、もの凄く逃げたくなる。
「・・・別にいいよ」
「え?」
「名前とか」
「でも、お礼したいです!」
「いや、いい」
本当にいい。むしろ勘弁して欲しい。たった100円で名前交換とか、コミュ力高すぎる。俺には無理だ。女子生徒は食い下がる。真っ直ぐだった。だから余計に困る。でも、リア充ぽい女の子と関わりたくない。俺は数秒考えてから、小さく息を吐いた。
「・・・じゃあさ」
「はい」
「今度、君みたいに困ってる人いたら、その100円で助けてあげて」
自分でも、ちょっと格好つけ過ぎだと思った
「・・・え?」
「俺に返さなくていいから」
うわ、今の絶対キモかった。俺は内心で頭を抱えた。なんだその台詞。三流ラノベか?絶対痛いやつじゃん。しかも女子生徒、固まっているし。「終わった・・・黒歴史確定だ・・・」と思った瞬間。女子生徒がじっと、こっちを見ていた。照明を受けた瞳が綺麗だなと少し思った。
「じゃ」
俺は耐え切れず背を向ける。逃げるように歩き出す。すると。
「あ、あのっ!」
また呼び止められた。振り返る。女子生徒は顔を赤くしていた。
「わ、私っ・・・!」
「?」
「絶対、忘れませんから!」
「・・・・・」
そんな大袈裟な。100円だぞ。いや100円は大事だけど。でもそこまで言われるほどの事じゃない。
「大袈裟・・・」
思わず小さく笑ってしまう。女子生徒はなぜがそれだけで更に顔を赤くした。「なんなんだ・・・?」俺にはよく分からなかった。ただ帰り道、自転車を漕ぎながら、さっきの女子生徒の顔を思い出していた。凄く嬉しそうだったな、と。それだけだった。
SIDE小坂日菜
友達と勉強という名のお喋りの帰り、私は立体駐輪場の精算機の前で固まっていた。
「・・・え」
財布を開く。もう一度見る。小銭入れを見る。「無い・・・」何度見ても100円玉が無い。昼に学校でジュースを買ったのを思い出す。普段なら絶対に確認するのに。今日に限って忘れていた。
「どうしよう・・・」
と呟く。この駅は東京なのに駅前にコンビニも無く、両替できる所が遠い。スマホはある。電子マネーもある。でもこの駐輪場は現金しか使えない。令和なのに。
胸の奥が不安になる。自転車を置いて歩いて帰るのは道が暗くて怖い。お母さんにも心配かける。何より、この時間ここに立ち尽くしている状況が心細かった。
誰もこっちを見ない。助けを求める勇気もない。財布を開いては閉じる。意味がないと分かっていても繰り返してしまう。
「あの」
不意に声を掛けられた。驚いて振り返る。そこにいたのは同じ学校の制服の男子生徒だった。
背は少し高め。特別目立つタイプじゃない。でも不思議と目を引く人だった。どこか近寄りがたい雰囲気。少し眠そうな目。人付き合いが得意には見えない。けれども、その目だけは優しく見えた。
「100円玉ないの?使いなよ。」
差し出された100円玉。
「えっ・・・?」
理解が追いつかかった。
「使って」
あまりにも自然だったから。
「で、でも・・・」
「帰れないでしょ?両替できる場所、夜だと遠いいし・・・」
「それはそうですけど・・・・・」
「いいよ、使ってよ」
そう言って視線を逸らす。何でもない事みたいに。大した事じゃないみたいに。私は少し驚いた。困っている人を助ける人はいるでも、見返りもなく、名前も知らない相手に、こんな風に自然にできる人は少ない気がする。その言い方が妙に自然だった。恩着せがましくもなく。恰好つける訳でもなく。当たり前みたいに差し出されたから。
「ありがとうございます・・・!」
頭を下げながら100円玉を受け取る。胸の奥が少し温かかった。
ガコン。ゲートが開く。
ほっと息を吐く。思わず顔が明るくなる。帰れる、その安心感もあった。でも、それ以上に嬉しかった。知らない誰かが助けてくれた事が。
「じゃ・・・」
顔を上げると、彼はもう帰ろうとしていた。
「あ、あの!」
「・・・?」
「お名前・・・!」
ちゃんとお礼がしたかった。だから聞いた。でも彼は明らかに困った顔をした。
「・・・別にいいよ」
「え?」
「名前とか」
「でも、お礼したいです!」
本心だった。100円の問題じゃない。困っていた時に助けてくれた。それが嬉しかった。その人は少し考えてから、小さく息を吐いた。
「・・・じゃあさ」
「はい」
私は背筋を伸ばす。彼の言葉を聞き逃さないように。
「今度、君みたいに困ってる人いたら、その100円で助けてあげて」
私は言葉を失った。
「俺に返さなくていいから」
その瞬間だった。顔が熱くなり、胸の奥で何かが跳ねた。
ドクン、と大きくはっきりと。
今まで感じた事の無いくらい。心臓が鳴った。格好いいとか、イケメンとか、そういうのとは少し違った。ただ、凄く優しい人なんだと思った。だから、もっと知りたくなった彼の事を。
たった100円なのに。
どうしてこんなに胸が苦しくなるんだろう?何か言わなきゃ。そう思うのに言葉が出てこない。彼はもう帰ろうとしている。
嫌だ。このまま終わるのは嫌だ。名前も知らないままなんて嫌だ。
だけど引き止める理由がない。勇気もない。それでも、どうしても伝えたくて。
「あ、あのっ!」
彼が振り返る。顔が熱い。心臓がうるさい。
何を言えばいいのか分からない。それでも。
「わ、私っ・・・!」
声が震える。情けないくらい。だけど。
「絶対、忘れませんから!」
それだけは言えた。彼は少し驚いた顔をした後、小さく笑った。
「大袈裟・・・」
その笑顔を見た瞬間。私は理解した。
ああ、私、彼のことを好きになったんだ。
たった今。
本当に今。
彼はそのまま去っていく。名前も知らない。学年もクラスも知らない。
でも私はずっとその背中を目で追っていた。春の夜の夜風が吹く、でも不思議と寒くはなかった。きっと、また学校で会える。自転車置き場で始まった。
たった100円の初恋だった。




