5-13)せんぱいのお誕生日
バイトが終わる頃には、外はもう夕方だった。
秋の空は、夏よりもずっと早く色を変える。
ファミレスの裏口から出た冬真は、制服の上に上着を羽織りながら、少し冷えた空気に息を吐いた。
「お疲れ様です、せんぱい」
声をかけられて振り返る。
小坂日菜が、両手で小さな紙袋を持って立っていた。
いつもの明るい笑顔。
けれど今日は、どこかそわそわしている。
その左手首には、冬真が誕生日に渡したG-SHOCKが、当たり前みたいにつけられていた。
「お疲れ、小坂」
冬真がそう返すと、日菜はそれだけで嬉しそうに笑った。
その笑顔を見ると、冬真は少し困る。
最近、小坂日菜は分かりやすい。好意を隠していない、というより、隠す気がない。
それでも、無理に迫ってくるわけではない。
ただ、近くにいたがる。隣を歩きたがる。声をかけられるだけで、嬉しそうにする。
だから冬真は、余計に雑に扱えなかった。
「せんぱい、今日って、この後少しだけ時間ありますか?」
「少しなら」
「じゃあ、公園寄りませんか?」
「今から?」
「はい。すぐそこですし」
日菜は紙袋を胸の前で抱え直した。
「渡したいものがあるんです」
冬真はその紙袋を見た。
「渡したいもの?」
「はい」
日菜は少しだけ目を逸らす。
「一日遅れに、なっちゃったんですけど」
その言い方で、冬真は気づいた。
昨日は、自分の誕生日だった。
十一月二十九日。
「誕生日プレゼントか?」
冬真が聞くと、日菜はぱっと顔を赤くした。
「・・・はい」
小さく頷く。
「本当は昨日渡したかったんですけど、昨日はタイミングが合わなくて」
「別に、気にしなくていいのに」
「気にします」
日菜は即答した。
「先輩の誕生日ですから」
その言葉が、あまりにも真っ直ぐで。
冬真は少しだけ視線を逸らした。
「一日遅れでも、渡したかったんです」
日菜は紙袋をぎゅっと抱えた。
「だから、少しだけ時間ください」
冬真は少し迷ってから頷く。
「分かった」
「はいっ」
日菜は嬉しそうに笑った。
二人はファミレスから少し離れた公園へ向かった。
夕方の公園には、人が少なかった。
遊具の近くでは、小学生が数人、帰りたくなさそうにボールを蹴っている。
ベンチの近くには、犬の散歩をしている老人が一人。
木々の葉はすっかり色づき始めていて、風が吹くたびに乾いた音を立てた。
日菜はベンチを見つけると、少し得意げに座った。
「ここ、空いてます」
「別に席取りしなくても空いてるだろ」
「いいんです。せんぱいの席ですから」
「……そうか」
冬真は少し距離を空けて隣に座った。日菜はその距離をちらりと見た。
少しだけ、頬を膨らませる。
けれど、何も言わなかった。
その代わり、膝の上に置いた紙袋を開ける。
「まずは、これです」
中から出てきたのは、小さな箱だった。リボンがかけられている。市販品ではない。
少しだけ不格好なラッピング。
でも、それがかえって丁寧に見えた。
日菜は両手で箱を差し出した。
「一日遅れの、誕生日プレゼントです」
そして、少し照れたように笑う。
「お誕生日、おめでとうございます。せんぱい」
冬真は少しだけ動きを止めた。その言葉は、昨日も聞いた。
けれど、日菜から真正面に言われると、どう返せばいいのか分からなくなる。
日菜は、両手で箱を差し出したまま、じっと冬真を見ている。
不安そうで。期待していて。それでも、笑おうとしていた。
「ありがとう」
冬真は箱を受け取った。
「開けてもいいか?」
「あ、はい」
冬真がリボンをほどくと、中にはクッキーが入っていた。
丸いもの、星型のもの、少し焦げたもの、形は揃っていない。
けれど、袋を開けた瞬間、甘い匂いがした。
「手作りか?」
「はい」
日菜は少し緊張した顔で頷いた。
「初めてちゃんと作りました」
「初めて?」
「はい。お母さんに教えてもらって。何回か失敗して、これが一番まともにできたやつです」
「失敗したのか」
「しました。めちゃくちゃしました」
日菜は真面目な顔で言った。
「最初のは石でした」
「石?」
「クッキーの形をした石でした。せんぱいの歯を破壊するところでした」
冬真は思わず吹き出した。日菜がぱっと顔を輝かせる。
「笑った」
「いや、石は笑うだろ」
「やった。今日の目標一個達成です」
「目標?」
「せんぱいを笑わせることです」
そう言われて、冬真は少し黙った。日菜は、たまにこういうことを真っ直ぐ言う。冗談みたいに。
でも、きっと本気で。冬真はクッキーを一つ取った。
丸い、少しだけ焼き色の濃いクッキー。
口に入れると、思っていたよりちゃんと甘かった。
バターの匂いがする。少しだけ固い。でも、悪くない。
「うまい」
その一言で、日菜の顔が一気に赤くなった。
「ほ、本当ですか?」
「うん」
「気を遣ってません?」
「遣ってない」
「本当に?」
「本当に」
「じゃあ、もう一個食べてください」
「分かった」
「できれば星のやつを」
「指定あるのか」
「星のやつが一番かわいくできたので」
冬真は言われた通り、星型のクッキーを取った。
日菜はその様子をじっと見ている。
まるで試験結果を待つ受験生みたいだった。
冬真が食べ終えると、日菜は小さく息を吐いた。
「よかったぁ・・・」
「そんなに緊張するなら渡さなきゃいいのに」
「渡したかったんです」
即答だった。冬真は何も言えなくなる。日菜は少し俯いた。
けれど、すぐにまた紙袋へ手を入れた。
「あと、もう一個あります」
「まだあるのか?」
「はい」
出てきたのは、マフラーだった。
柔らかそうな濃いグレーのマフラー。
派手すぎず、冬真が普段使ってもおかしくない色だった。
「これも?」
「はい」
日菜は両手でそれを差し出した。
「最近、夜寒いので。せんぱい、バイト帰りいつも首元寒そうだなって思って」
「・・・高かったんじゃないか?」
「そんなに高くないです」
「でも」
「いいんです」
日菜は少し強めに言った。それから、照れたように声を落とす。
「私が、あげたかっただけなので」
冬真はマフラーを受け取った。柔らかい感触が指先に伝わる。
きっと、日菜は何度も店で迷ったのだろう。
冬真に似合う色。冬真が困らない値段。冬真が使ってくれるかどうか。
そんなことを考えながら選んだのだと思うと、軽く受け取ることはできなかった。
「ありがとう」
冬真は静かに言った。
「大事に使う」
日菜の目が揺れた。嬉しそうで。泣きそうで。
でも、泣かないように笑っている。
「はい」
小さく頷いてから、日菜は少しだけ身を乗り出した。
「巻いてみてもいいですか?」
「今?」
「はい。今」
「まだそこまで寒くないだろ」
「寒いです」
「小坂が?」
「私は寒くないです。せんぱいが寒そうなんです」
理屈が通っていない。
けれど、日菜は真剣だった。
冬真は諦めて、少しだけ首を傾ける。
「じゃあ、頼む」
「はいっ」
日菜は嬉しそうに立ち上がり、冬真の前に回った。
マフラーを広げる手が、少し震えている。
夕陽がその横顔を照らしていた。
明るい茶色の髪が、柔らかく光る。
日菜は慎重に、冬真の首へマフラーを回した。
距離が近い。
冬真は思わず視線を逸らす。日菜も顔を赤くしていた。
それでも手は止めなかった。
「苦しくないですか?」
「大丈夫」
「変じゃないですか?」
「変じゃない」
「似合ってますか?」
「・・・自分では分からない」
「似合ってます」
日菜は即答した。
「すごく、似合ってます」
そう言って笑う日菜は、本当に嬉しそうだった。
冬真は首元に触れる。少し暖かい。
ただの布なのに、不思議とその暖かさが残った。
「ありがとう、小坂」
そう呼ばれた瞬間、日菜は固まった。それから、ゆっくりと頬を赤くする。
「・・・もう一回」
「え?」
「もう一回、言ってください」
「何を」
「今のです」
冬真はすぐに理解して、少し困った顔をした。
「小坂」
「はい」
日菜は幸せそうに笑った。
その笑顔は、秋の夕陽よりも眩しかった。
けれど、日菜はふと、空を見上げた。
公園の向こう側。
低くなった太陽が、木々の隙間から赤く滲んでいる。
綺麗だった。
胸が痛くなるくらい、綺麗だった。
秋の夕陽は、静かに沈んでいく。
まだ明るいのに、もう終わりが近いと分かってしまう。
だからだろうか。
日菜は少しだけ、切なくなった。
こんなに楽しいのに。
こんなに嬉しいのに。
せんぱいが自分を呼んでくれたのに。
この時間が、ずっと続く気がしなかった。
冬真の隣に座っている。
冬真が、自分の作ったクッキーを食べてくれている。
冬真が、自分の選んだマフラーを巻いている。
それだけで、日菜は泣きたくなるくらい幸せだった。
でも同時に、分かってしまう。
せんぱいは優しい。優しいから、受け取ってくれる。優しいから、笑ってくれる。
優しいから、自分を呼んでくれる。
その優しさが、自分だけに向いているものなら、どれだけよかっただろう。
「小坂?」
冬真の声で、日菜ははっとした。
「どうした?」
「・・・いえ」
日菜は笑った。いつも通りに。できるだけ明るく。
「夕陽、綺麗だなって思って」
冬真も空を見る。
「ああ。綺麗だな」
同じものを見ている。同じベンチに座っている。
それなのに、日菜は少しだけ遠く感じた。
冬真の横顔は、夕陽に照らされている。
「せんぱい」
「ん?」
「一日遅れでも、迷惑じゃなかったですか?」
冬真は少し驚いたように日菜を見た。
「迷惑なわけないだろ」
その言葉は、短かった。
けれど、日菜には十分だった。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「・・・よかったです」
日菜は小さく笑った。本当に、それだけでよかった。
今日、渡せた。
今日、受け取ってもらえた。
今日、せんぱいが隣にいてくれた。
それだけで、十分なはずだった。十分すぎるくらい、幸せなはずだった。
それなのに、秋の夕陽は少しだけ意地悪だった。
綺麗すぎる景色は、今この瞬間がいつか終わるものだと教えてくる。
日菜はそれが、少し怖かった。
「せんぱい」
「ん?」
「クッキー、また作ってきてもいいですか?」
冬真は少し驚いた顔をしたあと、穏やかに頷いた。
「うん。楽しみにしてる」
その言葉だけで、日菜の胸はまた温かくなった。
単純だと思う。ちょろいと思う。
でも、仕方ない。好きなのだ。この人が。どうしようもなく。
秋の夕陽が、ゆっくり沈んでいく。
綺麗で。切なくて。少しだけ、怖い。
それでも日菜は、冬真の隣で笑った。
一日遅れでもいい。
少しだけでもいい。
この夕陽が沈みきるまでの間だけは。
自分が、せんぱいの隣にいる女の子でいたかった。
いつも『君の笑顔が、本当になるまで。』をお読みいただき、ありがとうございます。
2026年9月より、更新日を毎週月曜日・金曜日とさせていただきます。
更新時間は19時10分頃を予定しております。
これからも楽しんでいただけるよう更新していきますので、引き続きよろしくお願いいたします。




