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君の笑顔が、本当になるまで  作者: 兎の毛


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5-9)「放課後サイダー」で打ち上げ

文化祭の翌日。


学校は代休だった。


けれど、俺の耳の奥には、まだステージの音が残っていた。


観客の声、ドラムの音、水城の歌声、自分のギターの音。


そして、最後に聞こえた拍手。


『放課後サイダー』。


水城と蓮でつけた、少しふざけたみたいな名前のバンド。


最初は文化祭の人数合わせみたいなものだった。


蓮に巻き込まれて、水城に押し切られて、気づけばステージに立っていた。


正直、今でも何が起きたのかよく分からない。


昨日の夜は、家に帰ってからもなかなか寝つけなかった。


恥ずかしかった。疲れていた。


でも、不思議と嫌な疲れではなかった。


指先にはまだ、弦を押さえた感覚が残っている。


そんな文化祭の翌日の午後。


俺は駅前のカラオケ店の前に立っていた。


「冬真」


先に来ていた蓮が、店の前でスマホをいじりながら顔を上げた。


「遅い」


「時間ちょうどだろ」


「打ち上げに時間ちょうどは遅刻だ」


「意味が分からない」


蓮は楽しそうに笑った。


昨日のステージが終わった後、片付けで学校に残っているうちに、水城が言い出したのだ。


明日、打ち上げしよう。カラオケ行こう。


放課後サイダーの初ライブ記念だから絶対来て。


そう言われて、俺は断りきれなかった。


というより、蓮が勝手に「行く行く」と返事をしたせいで、ほぼ決定していた。


「神代君! 蓮君!」


少し遅れて、水城が手を振りながら走ってきた。


昨日あれだけ歌って、片付けまでしていたはずなのに、今日も妙に元気だった。


「ごめん、待った?」


「今来たところ」


蓮がさらりと言う。


「俺は待った」


「神代君、細かい」


「時間通りに来た俺が細かいのか」


水城は気にした様子もなく、にこにこと笑っていた。


「今日は打ち上げだからね。いっぱい歌おう」


「昨日、散々歌っただろ」


「昨日はライブ。今日は打ち上げ。全然違うよ」


「何が違うんだ」


「気持ち」


「適当だな」


蓮が俺の肩を軽く叩く。


「諦めろ。今日は柚葉の日だ」


「昨日も水城の日だった気がする」


「よく分かってるね、神代君」


水城が親指を立てた。


その顔があまりにも楽しそうだったから、俺はそれ以上文句を言えなかった。


受付を済ませ、三人で部屋に入る。


少し広めの部屋だった。


テーブルの上にメニューを広げ、水城がドリンクバーの場所を確認している間、蓮は勝手に端末を操作し始めた。


「まず何歌う?」


「いや、まず飲み物だろ」


「神代君、常識人ぶってる」


「ぶってない。常識だ」


「でも昨日、ステージでめちゃくちゃ歌ってたよね」


水城が笑いながら言った。


「すごかったよ、神代君。本当に」


その言い方が、いつもより少しだけ真面目だったから、俺は返事に困った。


「・・・俺は、別に」


「別にじゃないよ」


水城はソファに座ると、両手でマイクを握るみたいな仕草をした。


「私ね、昨日、今まで音楽やってきた中で一番楽しかった」


その言葉に、蓮が端末から顔を上げた。


俺も、水城を見る。水城は少しだけ照れたように笑っていた。


いつもの勢いだけの笑顔ではなかった。


ステージの上で、観客の声を浴びて、音が一つになって、三人で曲を鳴らした。


その時の熱が、まだ水城の中に残っているのだと分かった。


「軽音部ってさ、正直、名前だけみたいなところもあったじゃん」


水城はそう言って、苦笑した。


「幽霊部員しかいないし、ちゃんとバンド組めるとも思ってなかったし。文化祭も、一人でどうにかするしかないかなって思ってた」


「そうだったのか」


俺が言うと、水城は頷いた。


「うん。でも、蓮君が来て、神代君も来てくれて。練習して、曲作って、ステージ立って。昨日、みんなが本当に楽しそうにしてくれて」


そこで一度、言葉を切る。


「私、音楽やっててよかったって思った」


部屋の中が、少しだけ静かになった。


外の廊下から、別の部屋の歌声がうっすら聞こえてくる。


蓮が、ふっと笑った。


「そりゃよかったな」


いつもの軽い言い方だった。けれど、声は少し優しかった。水城はその顔を見て、にこっと笑う。


「だからさ」


嫌な予感がした。水城の目が、明らかに次の何かを狙っていた。


「二人とも、軽音部に入らない?」


俺は即座に視線を逸らした。


蓮は面白そうに口元を緩めた。


「軽音部か」


「そう。ちゃんと入部。名前だけじゃなくて、本当に部員として」


「いや、俺は帰宅部なんだけど」


「知ってる」


「知ってるなら誘うなよ」




「帰宅部なら兼部できるじゃん」


笑いながら水城が言う


「そういう問題じゃない」


水城はまっすぐ俺を見た。


「神代君」


「・・・何だよ」


「来年も、放課後サイダーやろ?」


今度は、俺もすぐには返せなかった。水城の声が、さっきより真剣だったからだ。


「三年生の文化祭。最後だよ? 高校生活最後の文化祭だよ? 軽音部として、放課後サイダー、もう一回やろ?」


「いや、受験あるだろ」


俺は思わず言った。


「それに、昨日だって相当恥ずかしかったし。軽音部に入るとか、そういうのは・・・」


「神代君、めちゃくちゃ盛り上がってたじゃん」


「盛り上がってたのは客だ」


「神代君もギターソロの時ちょっと笑ってた」


「笑ってない」


「笑ってたよ」


蓮が言った。


「俺も見た」


「お前はドラム叩いてただろ」


「親友の輝きは見逃さない」


「気持ち悪い言い方するな」


蓮は声を出して笑った。その笑い方が、何だか少しだけ楽しそうで。


本当に少しだけだけど、蓮もまた昨日のステージを気に入っているように見えた。


水城はそれを見逃さなかった。


「蓮君は? 軽音部、入ってくれる?」


「まあ、俺は別に」


蓮は肩をすくめた。


「冬真が入るなら」


「おい」


「俺は付き合いがいいからな」


「嘘つけ。絶対面白がってるだけだろ」


「まあな」


水城はぱっと表情を明るくした。


「じゃあ、あとは神代君だけだね」


「いや、勝手に包囲するな」


「神代君」


水城が急に姿勢を正した。


妙に真剣な顔だった。


「どうしても駄目?」


「駄目っていうか……受験もあるし、練習時間だってそんなに取れないだろ。あと単純に、ああいう注目されるのが苦手なんだよ」


「それは分かる」


蓮が頷いた。


「冬真、目立つと魂抜けるからな」


「抜けてない」


「昨日のアンコール終わった後、顔が土偶みたいになってた」


「なってない」


水城が吹き出した。


「土偶って」


「ひどい言い方だな」


「でも神代君、ちょっとなってた」


「水城まで」


二人に笑われて、俺はため息をついた。


そんな俺を見ながら、水城はしばらく考え込むように顎に手を当てた。


そして、妙に明るい声で言った。


「じゃあ、土下座でお願いすればいい?」


「何でそうなる」


「私が神代君に、軽音部に入ってください。来年も放課後サイダーやってくださいって、土下座する」


「やめろ」


「この場で?」


「駄目だ」


「じゃあ明日、教室で」


「もっと駄目だろ!」


俺は思わず声を上げた。水城はきょとんとした顔で続ける。


「みんなの前で、神代君お願いしますって土下座すれば、断れないかなって」


「そんなことされたら俺が社会的に死ぬ」


その瞬間、蓮が腹を抱えて笑い出した。


「社会的に死ぬって」


「笑い事じゃない」


「いや、想像したら無理だろ。教室の真ん中で水城が土下座して、冬真が青ざめてるんだぞ」


水城も耐えきれなくなったらしく、ソファに倒れ込むみたいに笑った。


「神代君、絶対すごい顔する」


「するに決まってるだろ。冗談でもやめろ」


「じゃあ、入ってくれる?」


「話がつながってない」


「土下座しない代わりに」


「脅迫だろ、それ」


蓮が笑いながら、端末をテーブルに置いた。


「決定だな」


「何がだよ」


「冬真、軽音部入部」


「決定してない」


「ついでに、来年も放課後サイダー」


「だから決定してない」


「いや、今のでほぼ決まった」


「決まってない」


水城がにこにこと笑いながら、俺の方に少し身を乗り出した。


「神代君。軽音部に入って。来年も一緒にやろ?」


その声は、ふざけているようで。けれど、少しだけ本気だった。


俺は返事に詰まった。正直、恥ずかしい。目立つのは苦手だ。


文化祭のステージなんて、もう二度と立たなくてもいいと思っていた。


軽音部に入るなんて、今まで考えたこともなかった。


でも、昨日の水城は、本当に楽しそうだった。


蓮も、いつも通り軽口ばかり叩いているけれど、満更でもなさそうだった。


そして俺自身も。嫌だったかと聞かれたら、たぶん違う。


「・・・考えとく」


俺がそう言うと、水城の顔がぱっと明るくなった。


「それ、ほぼオッケーだよね!」


「違う」


「冬真の考えとくは、だいたいやる時のやつだ」


蓮が余計なことを言う。


「お前、黙ってろ」


「はいはい」


水城は満足そうにマイクを手に取った。


「じゃあ、軽音部入部記念と、来年の決起集会も兼ねて、歌おう!」


「もう入部したことになってる・・・」


そこからのカラオケは、完全に水城の独壇場だった。


文化祭で歌った曲。


練習中に何度も候補に上がった曲。


全然関係ない流行りの曲。


水城は次々に入れて、歌って、笑って、時々蓮にマイクを押しつけた。


蓮は文句を言いながらも、意外とちゃんと歌った。


声質は軽いのに、リズム感がある。


ドラムをやっているせいか、テンポが崩れない。


派手に上手いわけではないけれど、聞いていて楽しい歌い方だった。


「蓮君、歌うとちょっとチャラいね」


「明るくて、カッコいいと思う」


「お、分かってるじゃん」


蓮が得意げに笑う。その顔を見て、水城も笑った。


水城は、蓮のそういうところを嫌がってはいないように見えた。


軽口を叩いて、場を明るくして、誰かが重くなりすぎる前に笑いに変える。


適当に見えて、ちゃんと周りを見ている。


そういう明るさは、たぶん水城にとっても悪くないものなのだと思う。


もちろん、本人に言いすぎると調子に乗るから、水城もほどほどにしているのだろうけれど。


「次、神代君ね」


「俺はいい」


「駄目。精密採点入れてるから」


「何で入れた」


「勝負だから」


「何の勝負だよ」


「来年のメインボーカルをかけた勝負」


水城はそう言って、いたずらっぽく笑った。


「いや、何で勝手に来年のメインボーカル争いが始まってるんだよ」


「だって神代君、昨日のライブでかなり歌えてたし」


「水城がメインボーカルだろ」


「それはそれ。これはこれ」


「雑だな」


「神代君が勝ったら、来年は神代君メインボーカルね」


「絶対に嫌だ」


即答すると、水城は楽しそうに笑った。蓮も隣で肩を震わせている。


「冬真、頑張れよ。メインボーカル」


「お前も乗るな」


「いや、親友の晴れ舞台は応援するだろ」


「応援しなくていい」


水城が勝手に曲を入れる。俺は諦めてマイクを持った。歌い出すと、部屋の空気が少し変わった。


自分ではよく分からない。ただ、音程を外さないように。歌詞を追うように。


余計なことを考えないように。そう思って歌った。曲が終わる。


画面に採点結果が表示された。


九十八・四二点。


「うわ、高っ!」


水城が立ち上がった。


「神代君、すごっ!」


「・・・たまたまだろ」


「たまたまで九十八点台出ないって!」


蓮が少し悔しそうに笑う。


「冬真、お前そういうところ本当に腹立つな」


「知らないよ」


「しかも、本人が一番ピンと来てない顔してるのが腹立つ」


「だから知らないって」


水城は興奮したまま、自分の曲を入れた。


「じゃあ次、私!」


そして水城も、当然みたいに歌い切った。


表示された点数は、一〇〇・〇〇〇点。


今度は俺と蓮が黙った。水城は胸を張る。


「ふふん」


それから、誇らしげにマイクを掲げた。


「じゃあ、私がメインボーカルね」


「ちょっと待った〜」


蓮が笑いながら、片手を上げた。


「何で蓮君が止めるの?」


「いや、まだ俺が歌ってないだろ」


「蓮君、ドラムじゃん」


「ドラムボーカルという道もある」


「あるけど、放課後サイダーでそれやる?」


「やってやれないことはない」


蓮が大げさに胸を張る。俺は思わず口を挟んだ。


「そうだな」


「神代君まで?」


水城が楽しそうに目を丸くした。


「蓮の点数が出るまでは決まってないだろ」


そう言うと、水城は一瞬だけきょとんとして、それから笑った。


「神代君、変なところで律儀だよね」


「変なところって何だよ」


「そういうところ」


水城がくすくす笑う。


その顔は、少し悔しそうで、でもかなり楽しそうだった。


「じゃあ、蓮君も百点出してよ」


「任せろ。ここから伝説が始まる」


蓮はマイクを持ったまま肩をすくめ、適当に曲を入れた。


けれど、歌い始めると、思ったよりちゃんとしていた。


軽い声なのに、テンポがいい。聞いていて、嫌な感じがしない。蓮らしい歌い方だった。


そして、曲が終わる。


画面に表示された点数は、九三・十六点。


一瞬、蓮が黙った。それから、わざとらしく膝から崩れ落ちる。


「惜しかった……!」


「いや、七点差あるだろ」


俺が言うと、蓮は胸を押さえながら顔を上げた。


「冬真、こういう時は惜しかったって言うんだよ」


「惜しかったな」


「心がこもってない」


水城が耐えきれなくなったみたいに笑い出した。


「蓮君、惜しかったね」


「柚葉、その優しさが逆に刺さる」


「でも九十三点、普通に高いよ」


「百点と九十八点に囲まれる九十三点の気持ち考えろ」


蓮が悔しがるフリをしながら、ソファに倒れ込む。


その大げさな動きがあまりにも馬鹿馬鹿しくて、水城はさらに笑った。


俺も、つられて笑ってしまった。笑うつもりなんてなかったのに。


気づいたら、普通に笑っていた。


蓮はソファに寝転がったまま、満足そうに片目を開ける。


「まあ、今日は柚葉の勝ちってことで」


「じゃあ私がメインボーカルね」


「はいはい、メインボーカル様」


蓮が投げやりに言うと、水城はまた誇らしげに胸を張った。


「任せなさい」


「調子に乗るなよ」


俺が言うと、水城は楽しそうに笑った。


「神代君も、来年いっぱい歌ってもらうからね」


「話が戻ってる」


三人で笑った。


その後、画面にキャンペーンの表示が出た。


精密採点で百点達成。


室料無料。


さらに、期間限定キャンペーンで飲食代も無料。


水城が一瞬固まった。


蓮も画面を見たまま黙った。


俺も、理解するのに少し時間がかかった。


「・・・つまり?」


水城が言う。蓮が真顔で答えた。


「今日の打ち上げ、タダ」


次の瞬間、水城が両手を上げた。


「放課後サイダー最高!」


蓮も笑いながら手を上げる。


「百点の部長に感謝だな」


「部長って私?」


「軽音部、一応お前しかまともに動いてないだろ」


「じゃあ部長命令。二人とも入部ね」


「権力の使い方が雑すぎる」


俺が言うと、水城は満面の笑みを浮かべた。


それから、ふざけているような顔のまま、少しだけ真面目な声で言った。


「神代君、来年も使えばいいよ」


「何を」


「その歌とギター」


俺は、一瞬だけ返事に詰まった。


からかわれているだけなら、すぐに言い返せたと思う。


でも、水城の声が、ほんの少しだけ真面目だったから。


「……だから来年はまだ決まってない」


「決まってるって」


水城が笑う。蓮も笑う。


俺は否定しようとして、結局、言葉を飲み込んだ。


窓のないカラオケの部屋。少し安っぽい照明。テーブルに並んだ空のグラス。文化祭は終わった。


けれど、昨日の熱は、まだ終わっていない気がした。


水城がマイクを握り直す。


「じゃあ最後、三人で歌お」


「何を?」


蓮が聞く。


水城は当然みたいに言った。


「放課後サイダー」


俺は思わず顔をしかめた。


「ここで自分達の曲歌うのかよ」


「いいじゃん。打ち上げだもん」


「カラオケに入ってないだろ」


「伴奏なしでいいよ。神代君、ギターあるし」


「持ってきてないの知ってるだろ」


「じゃあアカペラ」


「無茶苦茶だな」


蓮が笑って、手拍子を始めた。


水城も乗る。


俺は呆れながら、それでも少しだけ笑ってしまった。


本当に、無茶苦茶だった。


でも、その無茶苦茶さが、今日だけは悪くなかった。


「軽音部、入ってね」


水城が小さく言った。


「それで、来年も」


蓮が手拍子をしながら、何でもないことみたいに続けた。


「放課後サイダーだな」


俺は返事をしなかった。


けれど、その沈黙を、二人は勝手に都合よく受け取ったらしい。


水城が笑う。蓮が笑う。俺はまた、ため息をつく。


たぶん来年も、こうやって押し切られるのだろう。


軽音部なんて、自分には関係ない場所だと思っていた。


文化祭のステージなんて、一度きりの事故みたいなものだと思っていた。


それなのに。


不思議と、嫌ではなかった。



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