5-8)まだアイツなんだな
文化祭二日目夜
後夜祭のキャンプファイアは、屋上からでもよく見えた。
校庭の中央に組まれた木が赤く燃えている。
その周りを、生徒達が笑いながら囲んでいた。音楽が流れている。誰かの声がする。
文化祭の終わりらしい、少しだけ浮ついた空気が、夜の学校全体を包んでいた。
俺は屋上のフェンス越しに、それをぼんやり眺めていた。
体育館の歓声は、まだ耳に残っている。
指先には、ライラックのイントロを弾いた感覚が残っていた。
喉には、『斜陽と黎明』を歌った時の震えが残っていた。
終わった。
そう思うのに、何かが終わった感じはしなかった。
「こんなとこにいたのか」
背後から声がした。振り向かなくても分かる。
蓮だった。
「探した?」
「少しな。柚葉が打ち上げ行くぞって騒いでる」
「水城らしいな」
蓮は俺の隣に並び、校庭を見下ろした。
「すごかったな」
「何が」
「ライブ」
「・・・まあ、失敗はしなかった」
「いや、大成功だろ。あれで失敗じゃないなら、何なら成功なんだよ」
蓮は笑った。俺は返事をしなかった。校庭では、キャンプファイアの火が高く揺れている。赤い光が、生徒達の顔を照らしていた。
「ライラックのイントロ、決まってたぞ」
「死ぬほど練習したからな」
「知ってる」
蓮は軽く言った。それから、少しだけ間を置いた。
「斜陽と黎明も、よかった」
俺はフェンスを握る手に力を入れた。
「・・・そうか」
「あの歌詞、まだ七瀬なんだな」
息が止まった。蓮はこっちを見ていなかった。
校庭の火を見たまま、当たり前みたいに言った。
「別に、答えなくていいけど」
「だったら言うなよ」
「聞いたんじゃない。確認しただけ」
「便利だな、親友」
「便利だろ」
蓮は笑った。軽い声だった。
けれど、その軽さの奥に、少しだけ違うものが混ざっている気がした。
怒り、というほど分かりやすくはない。
苛立ち、というほど乱れてもいない。
ただ、冷えていた。
七瀬の名前が出た時だけ、蓮の声は少し冷たくなる。俺はそれに気づいていた。
けれど、聞かなかった。蓮も、言わなかった。
「・・・告白じゃない」
「ああ」
「ただの曲だ」
「ああ」
「文化祭の一曲だ」
「ああ」
蓮は全部、否定しなかった。それが少しだけ腹立たしくて、少しだけありがたかった。
「でもさ」
蓮が言った。
「お前、ちゃんと歌ってたよ」
「何を」
「好きだって」
俺は何も言えなかった。校庭の火が揺れる。歓声が遠くから聞こえる。
俺達のいる屋上だけが、少し静かだった。
蓮はフェンスにもたれたまま、いつもの軽い声で言った。
「まあ、今日はよくやったんじゃね?」
「上からだな」
「俺、ドラムだから。後ろから全部見えてる」
「関係あるか?」
「ある」
蓮は笑った。それから、ふっと真面目な声になる。
「冬真」
「何だよ」
「お前、ちゃんと前向けよ」
「・・・ああ」
「ならいい」
蓮は短く言った。それから、少しだけ校庭の火を見る。
「でも、お前が歌ったことまで、なかったことにするな」
胸の奥に、何かが落ちた。重いような。少しだけ軽くなるような。変な感じだった。
「・・・分かってる」
「ならいい」
蓮はそれ以上、何も言わなかった。七瀬がどう思ったのか。七瀬が何を選ぶのか。
それを蓮は口にしなかった。
たぶん、言いたいことはあったのだと思う。でも、言わなかった。
俺が七瀬を好きだと知っているから。
俺が一度、ちゃんと振られたことも知っているから。
それでも、まだ七瀬を想っていることも、今日の歌で分かってしまったから。
だから蓮は、七瀬のことを責めなかった。俺のことも、笑わなかった。
ただ、俺が歌ったことだけを、なかったことにするなと言った。
校庭では、キャンプファイアの火が少しずつ小さくなっていく。
文化祭が終わっていく。
けれど、本当に終わったものが何なのかは、まだ分からなかった。
ただ一つだけ分かっていた。俺は今日、逃げなかった。
少なくとも、歌っている間だけは。
七瀬を好きになった自分から、逃げなかった。




