4-10) 神代君、歌うの?
八月中旬。
夏休みのファミレスは、平日でも妙に忙しかった。
昼のピークを過ぎても、客足は完全には途切れない。部活帰りらしい高校生、買い物途中の親子連れ、涼みに来た年配の客。冷房の効いた店内には、グラスの氷が鳴る音と、注文を取る声が混ざっていた。
「神代君、五番テーブルお願い」
「はい」
冬真はトレーを持ち、ホールへ出る。その後ろを、小坂日菜が少し早足でついてきた。
「せんぱい、七番テーブルのお水、私やります」
「助かる」
「はいっ」
日菜は嬉しそうに返事をして、グラスを手に取る。仕事にもかなり慣れてきた。
最初の頃より動きに迷いがない。注文の聞き間違いも減ったし、客への笑顔も自然になっている。冬真はそれを少し感心しながら見ていた。
その時だった。入口のベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
反射的に声を出して、冬真は顔を上げた。
そして、少しだけ目を細める。
「……蓮?」
入ってきたのは柏木蓮だった。隣には、水城柚葉がいる。
夏休みだから制服ではない。柚葉は明るい色のトップスに短めのスカートを合わせていて、いつもより少し大人っぽく見えた。蓮はいつも通り、どこか力の抜けた格好をしている。
二人は並んでいた。
それだけなら別におかしくない。けれど、柚葉の距離が近い。
少し歩くたびに肩が触れそうになるくらい近く、蓮もそれを特に避けていなかった。
「冬真じゃん」
蓮が片手を上げる。
「……お前、何してんの」
「客」
「それは分かる」
冬真が小さく返すと、柚葉がにこっと笑った。
「神代君、やっほー」
「水城も。二人?」
「うん。二人」
柚葉は楽しそうに答える。その横で蓮が肩をすくめた。
「誘われた」
「へえ」
冬真はそれ以上聞かなかった。聞いたところで、蓮はまともに答えない気がした。
「空いてる席、案内する」
「お願いしまーす」
二人を窓際の席へ案内する。
注文を取るのは冬真ではなく、少し後に日菜が行った。
「ご注文がお決まりになられましたら、お伺いします」
日菜はいつも通り丁寧に言う。
蓮はメニューを閉じた。
「ドリンクバーでお願い」
「はい。ドリンクバーですね」
柚葉は少し悩んでから言った。
「私はドリンクバーと、ポテト」
「かしこまりました」
日菜は伝票に書き込み、軽く頭を下げて戻っていく。
その背中を見送りながら、柚葉が小さく言った。
「今の子、可愛いね」
「神代のバイトの後輩」
蓮が答える。
「ふーん」
柚葉は少しだけ意味ありげに笑った。けれど、その話を広げるつもりはなかったらしい。
すぐに身を乗り出し、蓮の方へ向き直る。
「で、本題なんだけどさ」
「やっぱ本題あったんだ」
「あるよ。なかったら蓮君をファミレスに誘わないって」
「なんだ、デートの誘いかと思ってたよ」
蓮が軽く言う。冗談のつもりだった。いつもの軽口。大抵の相手なら、そこで笑うか、少し照れるか、軽く流す。
けれど、柚葉は違った。にこっと笑って、あっさり返す。
「蓮君、カッコいいから、デートの誘いでも全然いいよ」
蓮は一瞬だけ黙った。それから、参ったように肩をすくめる。
「・・・水城、そういうとこ強いな」
「褒めてる?」
「半分くらい」
「じゃあ、半分喜んどく」
柚葉は楽しそうに笑った。蓮も、少しだけ笑う。会話のテンポは悪くない。むしろ、かなり噛み合っていた。
「で? 本題って?」
蓮がアイスコーヒーのストローを袋から出しながら聞く。
柚葉は待ってましたと言わんばかりに、身を乗り出した。
「文化祭のバンド」
「へえ」
「メンバー探してるんだよね」
「水城、バンドやんの?」
「やる。青春っぽいじゃん」
「理由が軽い」
「でも楽しそうでしょ?」
「まあな」
蓮はストローで氷を軽く回した。からん、とグラスの中で音が鳴る。
「で、何人集まってんの?」
少しだけ真面目な声だった。柚葉は悪びれもせず、胸を張った。
「私と蓮君」
「俺、まだオーケーしてないけど」
蓮はまた肩をすくめた。
「え、してくれないの?」
「その前提で話すなよ」
「だって、蓮君できそうだし」
「何を?」
「楽器」
「適当だな?」
蓮は呆れたように言いながらも、完全に嫌そうではなかった。少し考えてから言う。
「まあ、ドラムとベースとコーラスくらいならできるけど」
柚葉は目を輝かせた。
「知ってる」
「知ってる?」
「蓮君と同じ中学だった子から聞いた。軽音部じゃないのに、助っ人でいろいろやってたって」
「誰だよ、それ言ったの」
「内緒」
柚葉は人差し指を唇に当てた。蓮は少しだけ目を細める。
「情報収集済みか」
「もちろん。私、やる時はやる女だから」
「その割に、メンバー二人だけどな」
「そこは今から増やすの」
「順番おかしいだろ」
蓮はため息をついた。けれど、口元は少し笑っている。
しばらく考えてから、蓮は言った。
「条件付きなら、ギター兼ボーカルを紹介できる」
「ほんと?」
柚葉が身を乗り出す。
「条件は?」
「まず話を最後まで聞くこと」
「土下座?」
「違う」
「じゃあ、一週間アイス奢り?」
「安いな」
「じゃあ、蓮君の言うこと一回だけ聞くとか?」
「言い方が危ない。話聞け」
蓮が少し強めに言うと、柚葉は
「はーい」
と笑った。その軽さが、逆に蓮にはやりやすかった。変に重くならない。
踏み込んでくるけれど、空気は読める。柚葉はそういう距離感を持っている。
蓮はストローから口を離し、少しだけ声を落とした。
「絶対に、七瀬のことを話題に出さないこと」
その一言で、柚葉の表情が少し変わった。笑顔は消えない。けれど、目だけが真面目になる。
「・・・なるほど」
「紹介する奴、七瀬のこと好きだから」
「澪のこと、その子、好きだったんだね」
蓮は答えなかった。
けれど、その沈黙が答えだった。柚葉は少しだけ視線を伏せる。
「そっか」
「だから、バンドの話だけにしろ。余計なこと聞くな。気まずくなる話もするな」
「分かった」
柚葉は、今度は軽く言わなかった。短く、きちんと頷いた。
「そういうの、私しないよ」
「ならいい」
蓮はそう言って、アイスコーヒーを一口飲んだ。柚葉は少し考えるように、ポテトを一本つまむ。それから、ふと顔を上げた。
「で、そのギター兼ボーカルって誰?」
「神代」
「え?」
柚葉の目が丸くなる。
「神代君?」
「そう」
蓮は当たり前のように言った。柚葉は思わず、少し離れたところで皿を下げている冬真を見た。
いつも通り無表情に近い顔で、黙々と仕事をしている。
どう見ても、文化祭のステージでギターを弾いて歌うタイプには見えない。
「・・・神代君、歌うの?」
「歌う」
「ギターも?」
「弾ける」
「意外すぎるんだけど」
「だろ」
蓮は少し得意げに笑った。
「冬真、ああ見えて歌うと結構すごいぞ」
「へえ・・・」
柚葉は興味深そうに冬真を見る。その視線に気づいたのか、冬真が少しだけこちらを見た。蓮は軽く手を上げる。
そして、タイミングを見て冬真を呼んだ。
「冬真」
「何?」
冬真が少し警戒したような顔で近づいてくる。
「今日、バイト何時まで?」
「十七時」
「じゃあ、上がった後、久しぶりにカラオケ行こうぜ」
「・・・は?」
冬真は露骨に怪訝な顔をした。
「なんで急に」
「夏休みだから」
「理由になってない」
「いいだろ、たまには」
「お前、水城と来てるんだろ」
「柚葉も行く」
「は?」
冬真の眉間に皺が寄る。
柚葉はにこっと笑って、軽く手を振った。
「神代君の歌、聞きたいなーって」
「なんでそうなる」
「蓮君がすごいって言うから」
冬真は蓮を見る。蓮は悪びれもせず、肩をすくめた。
「言った」
「言うな」
「減るもんじゃないだろ」
「減る」
「何が」
「気力」
柚葉がくすっと笑った。
冬真はますます嫌そうな顔になる。
「俺、バイト終わったら帰るつもりだったんだけど」
「一時間だけでいいから」
蓮が言う。
「久しぶりだろ。お前とカラオケ行くの」
「・・・・・」
冬真は少しだけ黙った。
蓮の声が、いつもの軽口より少し柔らかかったからだ。
それに気づいて、冬真は小さく息を吐く。
「一時間だけな」
「よし」
蓮は満足そうに頷いた。柚葉は嬉しそうに手を合わせる。
「やった。楽しみ」
「期待するなよ」
冬真が釘を刺すように言うと、蓮は横から口を挟んだ。
「いや、期待していい」
「蓮」
蓮は柚葉の方を見た。そして、片目を軽く閉じる。
「柚葉、冬真の歌聞いて、ビビるなよ」
柚葉は一瞬きょとんとした。それから、楽しそうに笑った。
「うわ、蓮君のウインク初めて見た」
「安売りはしないからな」
「じゃあ、今日めっちゃ得した」
「そこじゃない」
冬真は心底面倒くさそうに二人を見る。
「・・・俺、仕事戻っていい?」
「どうぞ、ギター兼ボーカル」
「勝手に決めるな」
冬真は低い声でそう言って、ホールへ戻っていった。
その背中を見送りながら、柚葉は小さく笑う。
「神代君、面白いね」
「面倒くさいだろ」
「うん。でも、いい人そう」
「いい奴だよ」
蓮は何でもないことのように言った。その声だけは、少しだけ真面目だった。柚葉はそれに気づいたが、茶化さなかった。代わりに、ポテトを一本つまんで言う。
「じゃあ、文化祭バンド、ちょっと希望出てきたね」
「まだ冬真はオーケーしてない」
「でも、蓮君はもう参加でしょ?」
「俺もまだオーケーしてない」
「えー」
柚葉はわざとらしく不満そうな顔をした。蓮はそれを見て、呆れたように笑う。
「・・・ドラムならやってもいい」
「やった」
「小さく喜べ」
「無理。嬉しいから」
柚葉は素直に笑った。蓮は、また参ったように肩をすくめた。




