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君の笑顔が、本当になるまで  作者: 兎の毛


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18/32

3-12) 八位の君と九十五位の俺

期末テストが終わり一学期の成績結果が貼り出される日、二年の廊下はいつもより騒がしかった。


掲示板の前には、すでに人だかりができている。


赤点を回避したかどうかで騒ぐ者。


上位者の名前を見て感心する者。


自分の順位を確認して、分かりやすく落ち込む者。


俺は少し離れた場所から、その人だかりを見ていた。


正直、あまり見たくはなかった。


一学期の成績発表。


手応えは、悪くはなかった。少なくとも赤点はない。


平均より少し上くらいなら取れていると思っていた。


けれど、それ以上ではない。


「行かねぇの?」


横から蓮が声をかけてきた。


「混んでる」


「お前、そういうところだけおじいちゃんだよな」


「人混みが嫌いなだけだ」


「はいはい」


蓮は軽く笑いながら、掲示板の方へ歩いていく。俺は仕方なくその後ろについていった。


人の隙間から、順位表が見える。


二年一学期・考査総合順位。


上から順に名前が並んでいた。


一位、二位、三位。


何となく、そのあたりを流し見る。自分の名前があるわけがない。


けれど、すぐに目が止まった。


八位 七瀬 澪。


その名前は、そこに当然のようにあった。


「……八位」


思わず小さく呟く。


分かっていた。七瀬が頭がいいことくらい、分かっていた。


だから、上位にいること自体は驚かない。


でも、実際に数字で見せられると、少し違った。『八位』


二百十人中、八位。遠い。そう思った。


ただ綺麗なだけじゃない。ただ優しい笑顔を浮かべているだけじゃない。


七瀬は、ちゃんと努力している人間だった。


俺がぼんやり見つめていると、近くで女子たちの声が聞こえた。


「澪、八位じゃん。すご」


「ひかりも九位だよ。やば」


「いや、澪の下なの悔しいんだけど」


黒田が、冗談めかしてそう言う。その隣で、七瀬は困ったように笑っていた。


「ひかりも十分すごいよ」


「一個下っていうのが絶妙に悔しい」


「次は抜かされそう」


「言ったね? 次、本気出すから」


黒田は明るく笑う。七瀬もそれに小さく笑った。


二人の会話は軽い。でも、その場所が俺には少し眩しかった。


八位と九位。同じ高さにいる人間同士の会話。


自分の名前を探した。五十位までにはない、七十位にもない、八十位にもない。


ようやく見つけたのは、九十五位だった。


神代冬真。


二百十人中、九十五位。


悪くはない。たぶん、普通より少し上。赤点とは無縁。


先生に怒られるような順位でもない。


けれど、八位の名前を見た後では、ひどく中途半端に見えた。


「お、俺四十六位」


蓮が隣で言った。俺は表情を変えずに、蓮の名前を見る。


柏木蓮、四十六位。


「普通にいいじゃん」


「まあな。俺、やればそこそこできる男だから」


「腹立つ」


「お前は?」


「九十五」


「悪くないじゃん」


蓮はあっさり言った。実際、悪くはない。俺自身も、昨日までならそう思えた。


九十五位なら十分。真ん中より上。バイトしながらなら、まあこんなもの。


そうやって納得できたはずだった。でも今は違う。


視線の先に、七瀬の名前がある。


八位。


その数字が、妙に重かった。


「……悪くない、か」


冬真は小さく呟いた。


蓮がちらりと見る。


「何だよ」


「別に」


俺は順位表から目を離した。


廊下の向こうで、七瀬が水城に何かを言われて笑っている。


いつもの綺麗な笑顔。


その笑顔を見ていると、胸の奥が少し苦しくなった。


七瀬は遠い。


それは最初から分かっていた。


学校で一番綺麗で、男子から人気があって、誰にでも穏やかで、それでいて誰にも簡単には近づかせない。


そんな人だ。


自分とは違う世界にいる。そう思っていた。


けれど、今感じた距離は少し違った。


顔や人気や雰囲気の話ではない。七瀬は、ちゃんと積み上げている。


毎日を雑に過ごしていない。何となくで上にいるわけじゃない。


それなのに、自分はどうだ。バイトがある、人付き合いが苦手、どうせ自分なんて。


そんな言い訳を、心のどこかで並べていた。


もちろん、誰にも迷惑はかけていない。成績だって悪くない。


でも、悪くないだけだ。七瀬の隣に立てるほどではない。


別に、七瀬に認められたいわけじゃない。そう思おうとした。


違う、認められたい。少なくとも、笑われたくない。


届かない場所にいる人を、ただ遠くから見ているだけの自分でいたくない。


八位の七瀬と、九十五位の自分。


その差が、数字になって目の前に貼り出されている。


言い訳の余地がなかった。


「冬真?」


蓮が呼ぶ。


「帰るぞ」


「……ああ」


俺は短く答えた。


もう一度だけ、順位表を見る。


七瀬澪。八位。


黒田ひかり。九位。


柏木蓮。四十六位。


神代冬真。九十五位。


その並びを、静かに頭に刻んだ。次は、もう少し上に行く。


いや、もう少しじゃ駄目だ。


七瀬に追いつくなんて、簡単に言えるほど甘くない。でも、せめて遠すぎると思わない場所まで行きたい。


七瀬の隣に立つ資格が欲しい。そんな言葉は、恥ずかしくて誰にも言えない。


蓮にも言えない。もちろん七瀬本人になんて、絶対に言えない。


だから俺は、心の中でだけ決めた。


勉強する。今までみたいに、ほどほどで済ませない。


バイトを言い訳にしない。自分はこの程度だと決めつけない。


七瀬が遠いなら、少しでも近づくしかない。


廊下を歩き出すと、前方で七瀬が一瞬だけこちらを見た。


目が合った。


七瀬はいつものように、柔らかく微笑んだ。


ただ、それだけ。会話はない。


七瀬は水城たちと一緒に教室へ戻っていく。


俺は蓮と反対側へ歩く。すれ違っただけ。


何も変わっていない。けれど、俺の中では何かが変わっていた。


八位。


その数字と、澪の笑顔が頭から離れない。


追いつけるかどうかは分からない。


たぶん、簡単には無理だ。


でも、何もしないまま遠いと言っている自分は、もっと嫌だった。


俺は廊下の窓に映る自分をちらりと見た。


冴えない顔、普通の成績、中途半端な自分。


その自分に、心の中で言う。――次は、変えろ。誰にも聞こえない決意だった。


けれど、その日から少しずつ変わり始める。まだ誰も気づかないくらい静かに。


それでも確かに、七瀬のいる場所へ近づこうとしていた。

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