3-9)無意識の二歩
木曜日。
普段は体育館裏のベンチ――冬真が勝手に「隆中」と呼んでいる場所で昼を食べている。
だが木曜日だけは違う。週に一度だけ学食で蓮と昼飯を食べる日だった。
「お前、そのうち仙人になるだろ」
向かいで唐揚げ定食を食べながら蓮が言う。
「ならない」
「昼休みまで一人とか修行僧じゃん」
「静かだから好きなんだよ」
「陰キャだな」
「うるさい」
いつもの会話。騒がしい学食の中で、その時間だけは妙に落ち着いた。
少し離れた席では澪、柚葉、ひかりの三人が昼食を取っていた。
「やっぱ学食混むね」
柚葉が言う。
「うん」
澪は小さく頷く。
何気なく視線を動かした先に神代君が見えた。向かいには柏木君。
最近知った、毎週木曜日この二人は学食で昼を食べるらしい。
特に会話が弾んでいる訳ではない。それでもどこか居心地が良さそうだった。
そして更に少し離れた場所。一年生の小坂日菜もいた。
友人達と食事をしていたが、学食にいる先輩を見つけてしまう。
ぱっと顔が明るくなる。声を掛けたい。でも柏木先輩もいる。邪魔になるかもしれない。
『どうしよう』そんな事を考えながら席を立とうとした時だった。
「っ……」
近くで女の子の嗚咽が聞こえた。皆がそちらを見る。一年生の女子生徒だった。目を真っ赤にして泣いている。学食の空気が変わる。全員の視線が集まる。
そしてその先には柏木先輩。ざわつきが広がる。
「柏木じゃね?」
「泣かせたの?」
「最低だな」
好き勝手な声が飛び始める。冬真は眉をひそめた蓮は黙ったままだった。
「何したんだよ」
「女の子泣かせるとかないわ」
「やっぱチャラいし」
声は大きくなる。蓮は反論しないで、ただ黙っている。
冬真は小さく声を掛けた。
「……蓮」
「いい」
短い返事。
「放っとけ」
「でも」
「面倒になるだけだ」
冬真は黙る。
だが表情はどんどん険しくなっていく。それを見ていた日菜は拳を握った。
(違う)
先輩の顔を見れば分かる、本当に怒っている。先輩の親友の柏木先輩が悪い人とは思えない。なのに何も出来ない。悔しい、先輩の役に立ちたいのに足が動かない。
一方。
黒田ひかりは別のものを見ていた。柏木君ではない、騒いでいる男子達でもない澪だった。澪は柏木君を見ていない神代君を見ている。その事に黒田は気付いていた。
そして。
神代君が立ち上がる。ガタン、椅子が鳴る。
「お前らさ」
学食が静まり返る。神代君の声。その瞬間だった。
澪が立ち上がった。
「え?」
思わず声が漏れそうになる。柚葉も驚いている。澪は前を見ていた、神代君を見ていた。
焦ったように、困ったように。そして歩き出す。
一歩。
二歩。
黒田の目が大きくなる。
普段なら絶対に動かない、男子同士の揉め事なんて近付かない。
なのに、考えるより先に身体が動いている。
本人も気付いていないのに。
その時だった。
「違う!違うの!」
泣いていた女子生徒が叫んだ。
全員の動きが止まる。
「柏木さんは悪くないです!」
静まり返る学食。
「私が告白して振られただけです!」
空気が変わる。
「ちゃんと断ってくれました!」
「だから柏木さんは悪くないんです!」
深く頭を下げる女子生徒。
周囲の男子達は気まずそうに黙り込んだ。冬真は大きく息を吐く。
蓮は呆れたように笑った。
「だから言ったろ」
「……そういうの先に言えよ」
「面倒だから嫌だったんだよ」
「余計面倒になってるじゃん」
「お前が勝手に突っ込んだからな」
二人はいつもの調子に戻っていく。
日菜は胸を撫で下ろした。
先輩が悪者にならなくて良かった。柏木先輩も悪くなくて良かった。
でも、やっぱり先輩は格好良かった。友達の為にあそこまで怒れる人だから。
澪も何事もなかったように席へ戻る。
「どうしたの?」
黒田が聞く。
「何でも無い」
澪は何故動いてしまったのか本当に分かっていない顔をした。演技ではない、本気だ。黒田は思わず笑いそうになる。
本人は気付いていない。神代君が無茶をしそうになった瞬間。
反射みたいに立ち上がった事を。あの二歩の意味を。
冬真は蓮しか見ていなかった。日菜は冬真しか見ていなかった。
澪は無意識に冬真を見ていた。
そして黒田だけが、その全部を見ていた。
黒田は心の中で呟く。
(澪、それ絶対、神代君だからだよ。)本人はまだ知らない。




