3-6)たぶん、妄想じゃない
いつもの釣堀。少し濁った水、魚の跳ねる音。常連達の雑談。夕方の風。高校一年から通い続けている、いつもの場所だった。
冬真と蓮は並んで竿を出している。浮きが静かに揺れる。
「……」
「……」
しばらく無言。別に気まずくはない。この二人は無理に話さなくても成立する。先に口を開いたのは冬真だった。
「昨日さ」
「ん?」
「七瀬が家に来た」
蓮が真顔のまま浮きを見ている。
三秒。五秒。十秒。
「病院行った方がいいぞ」
「何でだよ」
「ついに現実と妄想の区別が出来なくなったか」
「出来てるわ」
「重症じゃん」
「違う」
蓮は小さく笑った。
「七瀬だぞ?」
「知ってる」
「学校の七瀬?」
「学校の七瀬」
「二年A組の?」
「二年A組の」
「七瀬澪?」
「そう」
「お前の家?」
「そう」
「へぇ」
蓮は淡々と頷く。
「妄想だな」
「だから違うって」
冬真は軽く眉をひそめた。
「本当に来たんだよ」
「証拠は」
「ない」
「妄想だな」
「お前なぁ……」
冬真はため息を吐いた。
そして最初から説明を始めた。祖母の八重と七瀬の祖母の志乃が病院で仲良くなった事。
神代家と七瀬家の交流。誕生日会。旅行の話。昨日の出来事。蓮は途中から少しずつ表情を変えた。
「待て」
「何」
「その話マジ?」
「だから最初からそう言ってるだろ」
「いや、流石に盛ってると思った」
「盛ってない」
「七瀬がお前の家に?」
「来た」
「普通に?」
「普通に」
「お前の部屋にも?」
「入った」
蓮の動きが止まった。
「……」
「……」
「それ先に言えよ」
「言っただろ」
「いや違う違う」
蓮は額を押さえた。
「お前、何でそんな大事な所をサラッと流すんだよ」
「そんな大事か?」
「大事だろ」
「そうか?」
「そうだよ」
冬真は首を傾げる。本気で分かっていない。蓮は呆れた顔になった。
「お前さ」
「ん?」
「七瀬がどれだけ男子避けてるか知ってるよな」
「そうなのか?」
「気が付いて無いのか。まあいいや。」
「その七瀬がお前の部屋に入った」
「うん」
「結構凄い事だからな」
「そうなのか」
「そうなの」
蓮は断言した。冬真は少し考える。だが結論は変わらない。
「でも八重ばあちゃんいたし」
「そこじゃない」
「志乃さんもいたし」
「そこでもない」
「俺も緊張してたし」
「お前はもう黙れ」
蓮は笑った。冬真は納得していない。
その時だった。浮きが沈む。軽く合わせる。魚が跳ねる。
「一」
「相変わらず無駄に釣るな」
「釣り堀だからな」
「俺も釣り堀だけは負けたくない」
蓮も合わせる。魚が上がる。
「一」
同点。
しばらく二人は釣りに集中した。やがて蓮が口を開く。
「でもまぁ」
「ん?」
「良かったじゃん」
「何が」
「七瀬と話せて」
冬真は少しだけ黙った。水面を見る。
夕方の光が揺れている。
「……まぁ」
「お」
「楽しかった」
蓮が笑う。
「素直じゃん」
「別に」
「その顔で?」
「どんな顔だよ」
「ちょっと嬉しそうな顔」
冬真は無意識に口元を触った。蓮は肩を震わせる。
「分かりやす」
「うるさい」
「いや、良かったなって思っただけ」
蓮は浮きを見ながら言った。
「お前さ」
「ん?」
「高校入ってから楽しそうな話ほとんど無かったじゃん」
冬真は少し黙る。否定出来なかった。
「だからまぁ」
蓮は小さく笑った。
「その話してる時のお前、結構好きだぞ」
「気持ち悪い事言うな」
「友情だよ」
「いらん」
「酷い」
二人は笑った。
風が吹く。水面が揺れる。浮きも揺れる。いつもの釣堀。いつもの親友。
ただ一つだけ違うのは――
今日の冬真は、とても機嫌が良かった。




