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第三章「独占」

 距離は、縮まるだけじゃない。


 近づけば近づくほど、

 それ以外のものが、少しずつ遠ざかっていく。


 最初は気づかない。


 ただ一人、そばにいてくれる存在が増えただけ。


 それだけのはずなのに。


 いつの間にか――

 他の選択肢が、見えなくなっている。


 優しさに包まれているはずなのに、

 どこかで感じる、わずかな息苦しさ。


 それは、本当に心地いいものなのか。


 それとも。


 この章では、

 “二人だけの関係”が形を持ち始めます。

 それから数日。


 その距離は、当たり前みたいに続いていた。


 朝、教室に入れば彼女がいる。

 昼になれば隣に座る。

 帰る頃には、気づけば一緒にいる。


 最初に感じていた違和感は、少しずつ薄れていた。


 肩が触れることも。

 手が触れることも。

 視線が絡むことも。


 全部、少しずつ。

 “普通”に変わっていく。


 それが正しいのかどうかも、分からないまま。


 ただ。


 ひとつだけ、確実に変わったことがあった。


 彼女は――

 私以外と、ほとんど関わらなくなっていた。


「ね、今日さ」


 昼休み。


 いつものように、彼女が隣に座る。


 その動きは自然で、もう誰も止めない。


 いや。

 止められないのかもしれない。


 周りの視線はある。


 でも、誰も近づかない。

 遠巻きに見るだけ。


 まるで、そこだけ空気が違うみたいに。


「……いいの?」


 思わず、口に出していた。


「なにが?」


「その……私とばっかり一緒にいて」


 言ってから、少しだけ後悔する。


 でも、聞かずにはいられなかった。


 彼女はきょとんとしてから、ふっと笑った。


「ばっかりってなに?」


「だって……」


 言葉が詰まる。


 周りを見れば分かる。


 彼女は本来、誰とでも話せる人で。

 誰からも好かれる人で。


 こんなふうに、一人にだけ付きっきりになる人じゃない。


「他の人といた方がいいんじゃないの」


 ようやく出た言葉は、思っていたよりも弱かった。


 でも、それでも。

 聞きたかった。


 彼女は、少しだけ黙って。


 それから――


「やだ」


 あっさりと。


 迷いもなく。

 軽く。

 でも、はっきりと。


「……え」


「なんでそんなこと言うの?」


 不思議そうに、首を傾ける。


 その仕草は、いつも通り可愛いのに。


 言葉だけが、少し違った。


「だって」


 少しだけ、顔が近づく。


 もう慣れているはずなのに。


 息が詰まる。


「私が一緒にいたいの、あなただけだもん」


 さらっと言う。


 特別なことでもないみたいに。


 でも。


 その一言は、確実に重かった。


「……それって」


 続けようとして、言葉が止まる。


 何を言えばいいのか分からない。


 その間を埋めるみたいに。


 彼女の手が、動いた。


 机の下。


 誰にも見えない場所で。


 私の手に、触れる。


「っ……」


 指が絡む。


 逃げようと思えば逃げられる強さなのに。


 なぜか、動けない。


「ね」


 小さく、囁く。


「嫌じゃないでしょ?」


 いつもの言葉。


 でも今度は、少しだけ“確かめる”響きがあった。


「……うん」


 小さく答える。


 否定できない。


 完全に拒むことも、できない。


 その曖昧さを。


 彼女はちゃんと分かっている。


 だから。


 少しずつ距離を詰めてくる。


 逃げ道を残さないように。


 優しさで囲うみたいに。


 その時。


「ねえ」


 突然、声が割り込んだ。


 反射的に顔を上げる。


 そこには、クラスの女子が立っていた。


 少し緊張した様子で。

 でも、しっかりと彼女を見ている。


「ちょっといい?」


 当然のような問いかけ。


 今までなら、普通に成立していた距離。


 でも――


 空気が、変わった。


「ごめん」


 彼女が、先に言った。


 笑顔のまま。


 でも、その目は笑っていなかった。


「今、無理」


 きっぱりと。


 迷いなく。


 切り離すみたいに。


「え……」


 声をかけた子が、戸惑う。


 当然だと思う。


 こんな断り方、見たことがない。


「あとでならいいけど」


 そう言いながら。


 彼女は、私の手を少しだけ強く握る。


「今は、この子といるから」


 その言い方は。


 “優先”じゃない。

 “選択”でもない。


 ――“排除”だった。


 他の全部を、外に押し出すみたいな。


 明確な線引き。


「……そっか」


 小さく言って、その子は離れていった。


 背中が、どこかぎこちない。


 教室の空気が、また変わる。


 さっきまでの視線とは違う。


 もっとはっきりした、距離。


 でも。


 彼女は、気にしない。


「邪魔されなくてよかった」


「……え」


「だって」


 何でもないことみたいに言う。


「二人の時間、なくなるの嫌だし」


 その言葉に、何も返せなかった。


 軽い言い方なのに。


 意味だけが、重い。


「ね」


 また、声が近づく。


 耳元で。


 逃げられない距離で。


「他の人と話さなくていいよ」


「……」


「私がいるでしょ?」


 優しい声。


 安心させるような響き。


 でもそれは同時に。


 選択肢を減らす言葉でもあった。


 その時、はっきりと分かった。


 彼女は。


 ただ距離が近いだけじゃない。


 ただ優しいだけでもない。


 ――閉じている。


 私との関係だけで、完結させようとしている。


 外を、切り離して。


 内側だけで、満たそうとしている。


 だから。


 他の人はいらない。


 だから。


 私だけでいい。


 その構造が、見えてしまった。


 なのに。


 怖いはずなのに。


 どこかで――


 少しだけ、安心している自分がいた。


 誰かに選ばれている感覚。


 必要とされている感覚。


 それが、完全には嫌じゃない。


 その瞬間。


 彼女の指が、もう一度強く絡む。


 まるで、それを確かめるみたいに。


「ね」


 小さく、囁く。


「ずっと一緒にいよ?」


 答えは、出せなかった。


 でも。


 拒否もしなかった。


 その沈黙が、答えになったのか。


 彼女は、満足そうに微笑んだ。


 そして。


 さらに距離を詰める。


 もう、他の誰も入り込めないくらいに。


 気づけば。


 教室の中で、私たちだけが切り離されていた。


 周囲と繋がらない空間。


 二人だけで閉じた距離。


 それはもう、“近い”なんて言葉じゃ足りない。


 ――これは。


 彼女が作り出した関係の形。


 逃げ場をなくして、外を遮断して。


 私を、その内側に閉じ込めるための。


 静かで、優しい――


 独占だった。

 第三章を読んでいただき、ありがとうございます。


 この章では、

 彼女の“優しさ”が、はっきりと形を持ち始めました。


 他の人を遠ざけること。

 一緒にいる理由を限定すること。

 そして、“二人だけ”を選び続けること。


 それは一見、特別で、嬉しいものにも見えます。


 けれど同時に、

 外との繋がりを少しずつ断っていく行為でもあります。


 優しさは、相手を守るためのものなのか。

 それとも、自分の中に留めるためのものなのか。


 その違いは、とても曖昧で。

 だからこそ、気づきにくい。


 そして気づいた時には、

 もう簡単には離れられない距離になっている。


 次の章では、

 その関係の中で生まれる“変化”が、よりはっきりと現れてきます。


 それが安心なのか、違和感なのか――

 引き続き、見届けていただけたら嬉しいです。

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