第四章「依存」
人は、同じ状態が続くと、それを“普通”だと認識する。
どれだけ不自然な距離でも。
どれだけ偏った関係でも。
繰り返されるうちに、それは違和感ではなくなる。
むしろ――
それがない状態の方が、落ち着かなくなる。
それが、どこから始まったのか。
どこまでが自分の意思なのか。
気づけなくなった時。
その関係は、もう別のものに変わっているのかもしれない。
この章では、
“離れられない理由”が、はっきりと形を持ち始めます。
最初は、少しだけの違和感だった。
距離が近いことも、手が触れることも、隣にいることも。
全部、慣れていくものだと思っていた。
時間が経てば、自然と気にならなくなる。
そう、思っていたのに。
――違った。
慣れたんじゃない。
変わったんだ。
私の方が。
気づいたのは、ほんの些細なことだった。
その日、彼女は教室にいなかった。
朝、席について、何気なく隣を見る。
――いない。
それだけのことなのに、胸の奥が、わずかにざわつく。
おかしい。
たった一日、隣にいないだけで。
こんなふうに感じるなんて。
スマホを見る。何も来ていない。
当たり前だ。連絡なんて、したことない。
なのに、何度も画面を確認してしまう。
意味なんてないのに。
気づけば、時間だけが過ぎていく。
授業の内容も、ほとんど頭に入ってこなかった。
視線が、何度も隣に向く。
空いた席。
そこに誰もいないことを確認して、また目を逸らす。
それを、何度も繰り返す。
落ち着かない。
理由なんて、分かっているのに。
認めたくなかった。
昼休み。
いつもなら、当たり前みたいに隣にいるはずの時間。
でも、やっぱり、いない。
教室のざわめきが、妙に遠く感じる。
誰かが笑っている。誰かが話している。
その中に、自分はいるはずなのに。
どこか、外側にいるみたいだった。
――おかしい。
こんなの、ただの一人のはずなのに。
私は、もともと一人でいるのが普通だったはずなのに。
なのに。
どうして。
こんなにも――空っぽに感じるのか。
「……何してるの?」
声がした。すぐ近くで。
反射的に顔を上げる。
そこにいたのは――彼女だった。
「……え」
思考が、一瞬止まる。
さっきまで、いなかったはずなのに。
気づいたら、すぐ隣に立っていた。
「そんな顔して」
くすっと笑う。
「寂しかった?」
軽い言い方。冗談みたいな声。
なのに、その一言に、心臓が強く鳴った。
「……別に」
反射的に否定する。
でも、その声は、自分でも分かるくらい弱かった。
「ほんとに?」
顔が近づく。
逃げようとする前に、もう距離は、なくなっていた。
「さっきから、ずっとこっち見てたよね」
「……っ」
言葉が詰まる。
見られていた。全部。気づかれていた。
「ね」
小さく、囁く。
「やっぱり、私いないとだめじゃん」
優しい声。安心させるような響き。
でも――逃げ場を、なくす言葉。
そのまま、彼女の手が、私の手を取る。
指が絡む。前よりも自然に、当たり前みたいに。
拒否する理由が、見つからない。
「大丈夫だよ」
そっと、握られる。
「ちゃんと来るから」
何も言えなかった。
言い返したかったはずなのに。
否定したかったはずなのに。
でも、それ以上に――安心してしまった。
その事実が、一番、怖かった。
彼女がいるだけで、こんなにも落ち着く。
彼女がいないだけで、こんなにも崩れる。
それはもう、“距離”の問題じゃない。
関係の問題でもない。
もっと、深いところで。
何かが、変わってしまっている。
彼女が、少しだけ力を込める。
逃がさないように。
でも、優しく。
「ね」
耳元で、囁く。
「ずっと一緒にいよ?」
その言葉に、もう迷いはなかった。
怖いはずなのに。
おかしいはずなのに。
それでも。
離れたいとは、思えなかった。
――それが、答えだった。
気づいてしまう。
もう戻れないところまで来ていることに。
彼女に近づいたんじゃない。
彼女の中に、入り込んでしまったんだと。
そして。
そこから出たいと、思えなくなっている。
それが、今の私の状態。
誰かに必要とされることで。
満たされてしまうことで。
離れる理由を、失っていく。
逃げる選択肢すら、消えていく。
これはもう、ただの関係じゃない。
ただの近さでもない。
――静かに、確実に。
心が縛られていく。
彼女に。
その優しさに。
抗えないまま。
気づけば、私は――
依存していた。
第四章を読んでいただき、ありがとうございます。
この章で描かれたのは、
“距離”ではなく、“必要性の変化”です。
そばにいることが当たり前になり。
いない時間が、不安に変わる。
その時点で、関係はもう対等ではなくなっているのかもしれません。
そして厄介なのは。
それが苦しさだけでなく、
同時に“安心”としても感じられてしまうことです。
満たされる感覚と、縛られる感覚。
その境界は、とても曖昧で。
だからこそ、抜け出すことが難しい。
彼女の優しさは変わっていません。
けれど、それを受け取る側の状態は、確実に変わっている。
そのズレが、これから何を生むのか。
次の章では、
その関係の奥にあるものが、少しずつ明らかになっていきます。
引き続き、見届けていただけたら嬉しいです。




