16:都市開発研究室
ついにあの人物が登場です!
私とママさん、そしてメアリさんの3人は、長い廊下に並ぶ扉のひとつから、その向こうの空間へと足を踏み入れる。
扉の先、部屋の中の空気に触れた私は、やはり不思議な懐かしさを覚える。
インクの香り。木くずが舞った後の、埃っぽくもどこか芳醇なコクのある香り。そしてそれらを染みつかせ酸化したコーヒーの香りが鼻の奥をくすぐる。
広い部屋の手前にはわずかばかりの応接スペース、その奥には本やファイル、むき出しの書類などが乱雑に積み上げられたデスクがいくつも並び、さらにその奥には製図台や加工道具の置かれた作業台のようなものが見え隠れしている。
前世の記憶で例えるなら、学校の職員室に工業系の実習室をまとめて詰め込んだような乱雑さと言えばいいだろうか。
まだ日があるというのに窓のカーテンは閉め切られ、隙間から漏れ出た光が周囲に舞う埃を浮かび上がらせている。室内の各所に吊り下げられたランプの灯りが目に優しい。
「お邪魔いたします、ラッセル先生はご在室でいらっしゃいますか?」
ママさんが部屋の奥へ声をかけると、部屋の中程にあるデスクの影から初老を過ぎ老年に差し掛かったくらいの男性が姿を現し歩み出る。丸いおでこと角張った鼻筋。幅の広い顎の脇できゅっと上がった口角と、小さな丸めがねの奥で光る鋭くも優しげな眼光は、愛嬌のある猛禽類を思わせた。服装はよれよれのカッターシャツにサスペンダーといった具合で、王宮の中であることを考えればいささかラフすぎるものの、この部屋の住人としては似つかわしい姿に思えた。
その瞳がママさんを認めると、快活な声が部屋の埃っぽい空気を震わせる。
「誰かと思えば、これは懐かしい顔だ。元気にしていたかな、オリアンヌくん」
ママさんもにっこり笑顔で返す。
「ご無沙汰しておりますラッセル先生。おかげさまでこうして健康に過ごせておりますわ。先生もお変わりないようでなによりです」
「そうかそうか、会えて嬉しいよ。さあ、むさ苦しいところだがどうぞ楽にしてくれ。そちらのお嬢さんたちも」
「ありがとうございます。娘のヴィリアーチェと、こちらは侍女のメアリです」
「初めまして、ヴィリアーチェです」
頃合いと見て私も挨拶する。
「そうか、ラングシュタインに嫁いだんだったな。両親に似て賢そうな娘さんだ。初めましてお嬢さん。私はヒューバート・ラッセルだよ」
ラッセル先生は顎に手を当て何かを納得したようにうなずくと、私の顔をのぞき込むようにして名乗った。
それから部屋の奥へ向かって呼びかける。
「おおい、モーガン君! お客様がお見えだぞ!」
すると、先ほど先生が現れたデスクよりさらに奥の書類の山から茶色のモジャモジャ頭が顔を出す。
「なんでしょうか、先生」
その人物、私の従兄らしき少年はラッセル先生に呼びかけられるまで何かに没頭していたと見え、私たちが訪れたことにも気づいていない様子だった。
「君の家族が訪ねてこられたよ。こっちへ来なさい」
ふらふらと緩慢な動きで私たちのいる応接スペースへやってきたモーガンお兄ちゃまは、記憶の中よりも幾分背が伸びていた。ついでに髪も、最後にはさみを入れてから数ヶ月は経つと思えるくらいに伸び散らかっている。服装の方はラッセル先生と同様だが、そのせいでひょろりとした体型が一層際立っていた。
「ご無沙汰してます。叔母様」
ママさんはモーガンお兄ちゃまのつま先から頭のてっぺんまでをじろりと見渡すと、ため息とともに頭痛に頭を押さえるような仕草をしてみせる。
「久しぶりねモーガン。あれほど食事と身だしなみには気をつけなさいと言ったのに、その様子だと、だいぶおろそかにしているようね」
「あー……いえ、気をつけてはいるんですけど、なかなか手が回らなくて。すみません」
お兄ちゃまはどこか上の空な様子で頭を掻く。
「すまん、オリアンヌくん。私が仕事を任せすぎたのが原因だ。ふだん……いや、以前はもっとちゃんとしていたよ」
どうにかフォローしようとするラッセル先生だが、その歯切れは悪い。
場の空気が停滞気味だったので、私は思い切って流れを変えるべく口を開く。
「あの、お久しぶりですモーガンお兄ちゃま。この前は素敵なプレゼントを贈ってくれてありがとうございました」
そこで初めて私の存在に気づいたかのように、お兄ちゃまは頭を掻く手を止めて目を見開く。
「しゃべった……!」
失礼な! 私をお人形さんとでも思ってたんだろうか。
「前に二人が会ってからだいぶ経つものね。この子もずいぶんおしゃべりするようになったのよ」
たしかにかつての私は口数が少なくほとんど話さなかった。だけど今は違う!(ギュッ
「そうなんですね。プレゼントはどうだったかな。よくわからなくて人に聞いて選んでみたんだけど」
どんな聞き方をしたのか疑問は残るけれど、贈り物には満足している。
「ブローチも入れ物も、とっても素敵で大事にしてます」
「それはよかった。箱は、ちゃんと開けて貰えた?」
「はい、パズルみたいで面白かったです」
「この子が自分で開けたのよ」
「え? あの仕掛けを?」
どうやら家族の誰かに開けて貰う想定だったらしい。
「メモの意味を理解できたの?」
聞かれて私は記憶のページを開き読み返す。
「ええと、“向き合う13を外から内へ時を戻せ”でしたっけ。足して13になる数の書かれた二つの出っ張りを、数字の並びの外から順番に時計の反対方向に回していく、って意味ですよね」
「書いてあった内容も覚えてるんだ……」
読んで覚えたわけじゃなくて、ママさんに読んでもらったのを覚えていたんだけどね。
「記憶力と理解力だけでなく、それを他人に説明することも出来るのか……」
ラッセル先生が唸るようにつぶやく。
「お嬢さんはいくつになるのかな」
「2週間ほど前に4歳になりました」
「ほう……時間の感覚までしっかりしている」
男性二人がしきりに感心した様子でいるのを、ママさんはドヤ顔で眺めている。この人は私が二次方程式の問題を解いても「私の娘なら当然」とばかりに自慢しそうである。
「あの、聞いてもいいですか?」
と、私は先ほどから気になっていたことをラッセル先生に質問しにかかる。
「ん? なにかな」
「ここって、何をするところなんですか? それに、お兄ちゃまも、ここで仕事をしているんですか? まだ学園に通ってるはずじゃないんですか?」
この際だからと、疑問に思っていたことをひととおりぶつけてみる。
「ああ、そうか。説明がまだだったね」
先生はどこか嬉しそうに口角を持ち上げる。
「ここは都市開発研究室。みんなの暮らす街を便利にするための研究をしているんだよ」
これは少し予想外だった。部屋の雰囲気的に、何か工業製品の設計でもしているのかと考えていたからだ。
「街の噴水時計も、ラッセル先生が作ったのよ」
さらに驚きの情報。工業分野の研究であるというのも間違いではなさそうだ。
「そしてモーガン君には、将来進むべき道を見定めるためのインターン実習をしてもらっているんだ。とはいえ、すでにかなり実務をこなしてもらっているんだがね」
インターン! そういうのもあるのか。
「私は学園で建築と理学を教えていてね。学園長と話し合った結果、私がインターン顧問として彼を担当することになったんだ」
ママさんが彼を先生と呼んでいたのも、学園で先生の授業を受けていたかららしい。
「実務って、どんなことをするんですか?」
「そうだね。ちょうど良いものがある。こっちへ来てもらえるかな」
そうして私は部屋の奥、機材などが置かれた近くのテーブルへと連れてこられた。
テーブルの上には、男性の靴くらいの大きさの船の模型があり、そこから少し離れた位置にアーム状の構造と滑車を組み合わせた機械のミニチュアのようなものが置かれていた。
「最近の仕事では港に新しいクレーンを作ったんだ。昨日までその実働試験を行っていたんだよ」
「クレーン?」
言葉の意味はわかっているのに、思わず聞き返してしまう。
「これがその模型だよ。見せてあげよう」
ラッセル先生がミニチュアのクランク状のつまみを回すと、アームの先で吊り下げられた箱が持ち上がる。アームの基部が回転して向きを変えることも出来るようだ。そのまま船の模型の上に箱を移動し、今度はつまみを逆回転して下ろしていく。
「この紐の部分は、実際には頑丈なロープで出来ている。馬車一台吊り上げてもびくともしない強力なロープだ」
確かにそれは驚くべきことなのだろう。けれどそれ以上に私の目を引いたのは、紐の経路である。紐は直接荷物とつながっているわけではなく、アームの先端からいくつもの滑車を経由して巻き取り器へとつながっている。その途中の滑車に取り付けられたフックが荷物を吊り上げているのだ。動滑車である。
「モーガン君には、この機械の設計とミニチュアの製作をやってもらった。もちろん構造に問題ないか私がチェックをしているがね」
クレーンの構造に見入っていた私に、昨日足を運んだ丘の光景がフラッシュバックする。
そこに重なるように浮かんだイメージに、私は思わず叫んでいた。
「これなら、エレベーターが作れますね!」




