シーン2:【スーパーアプリの浸透】静止画(UI)の美学と、旧体制の「口座凍結(アカウント・バン)」
ピロリンッ!
「はい、星屑ポイントで決済完了だね! 熱々の串焼き、お待ちどお!」
「便利になったもんだなぁ。昔は小銭をジャラジャラ持ち歩いて、スリに怯えてたってのに」
帝都の活気あふれる平民街。
串焼きの屋台の前で、肉体労働者の男が、手のひらに収まる小さな『薄型魔力石』を屋台の読み取り機にかざす。
軽快な電子音と共に、彼の端末の画面に表示された残高から、串焼き一本分の数字が瞬時に引き落とされた。
現金(金貨や銅貨)の物理的なやり取りは、もはや帝都の街角から完全に姿を消しつつある。
すべては、セシリア商会が無料で帝都の全市民に配布した通信端末と、そこに組み込まれた究極のスーパーアプリ『星屑の導き(セシリア・ポータル)』によるものだ。
◇◇◇
「……ダメです、魔導技師長。却下します」
帝都の中心、建設が進む新本部の隣に設けられた仮設の会頭執務室。
私は、新しくアップデートするスーパーアプリの起動画面(UI)のテスト版を睨みつけ、容赦のないダメ出しを飛ばしていた。
「な、なぜですか、セシリア様!?」
白衣を着た魔導技師長が、悲鳴のような声を上げる。
「起動時に、我が商会の誇る『星と薔薇』の紋章が、画面の奥からグルグルと回転しながら飛び出してきて、光の粒子となって弾ける……! これぞ、帝国の魔導技術の粋を集めた、最高の『動画』イリュージョンですよ!?」
「だからダメだと言っているんです」
私は端末を机に置き、ため息をついた。
「いいですか、技師長。私が作れと指示したのは、洗練された『ロゴ画像(静止画)』であって、重たい『動画』ではありません。」
「し、静止画……ですか? しかし、それでは動的な美しさが……」
「美しさよりも『処理速度(ロード時間)』です。このアプリは、屋台の支払いや、急いで馬車に乗る時など、日常のあらゆる瞬間に開かれます。……起動のたびに、あなたの作ったその無駄に豪華な『10秒の動画』を見せられたら、客はどう思いますか? イライラして端末を叩き割りますよ」
現代のUI/UX(ユーザー体験)において、起動のコンマ一秒の遅延は致命的な離脱率を生む。
通信環境(魔力波長)が悪いスラム街や地下でも、一瞬で表示される軽さこそが正義なのだ。
「動画のような重たい演出は一切不要。フラットデザインで極限までデータ量(魔力消費)を削ぎ落とした、美しく、視認性の高い『静止画のロゴ』に差し替えなさい。……一瞬で起動し、一瞬で決済が終わる。その『無意識の快適さ』こそが、人々を私たちのシステムから二度と抜け出せなくする最高の麻薬なんですから」
「……は、ははぁっ! おっしゃる通りでございます! 直ちに、極限まで軽量化した静止画のロゴ画像へ修正いたします!」
目から鱗が落ちたような顔で、技師長が慌てて部屋を飛び出していく。
「相変わらず、機能美に対する異常なまでの執着ですね、セシリア様」
入れ替わりで執務室に入ってきたガラン隊長が、苦笑しながら報告書の束を机に置いた。
「無駄を削ぎ落とすのは、私の商会の基本理念ですから。……それで、例の『ネズミたち』の尻尾は掴めましたか?」
私の問いに、ガラン隊長は表情を引き締め、力強く頷いた。
「はい。スーパーアプリの普及により、帝都の資金洗浄のルートは完全に塞がれました。資金網を絶たれ、追い詰められた旧・商人ギルドの残党と、彼らと結託していた一部の腐敗貴族たち……。彼らは帝都を脱出し、結託して反乱の機をうかがっているようです」
「あら、元気ですね。それで、潜伏先は?」
私は『O.D.O.O』のコンソールに目を向ける。
「北西の山間部……深い霧に包まれた盆地です。高床式の巨大な木造家屋が立ち並ぶ、十数人以上の集団が身を隠すにはうってつけの僻地ですね。彼らはそこに籠城し、旧式の武器や食料を買い集めて、私に対するテロを企てているとのこと」
ガラン隊長が地図上の特定の谷間を指差す。
外界から隔離された、霧深い山の谷間。前世でグループ旅行の計画を立てた時に見た、緑豊かな山村の風景(マイチャウのような秘境)に酷似した地形だ。
「討伐隊を編成しますか? 近衛騎士団を派遣すれば、数日で制圧できますが」
ガラン隊長が剣の柄に手をかける。
しかし、私はふふっ、と余裕の笑みを浮かべて首を横に振った。
「必要ありませんよ、ガラン隊長。わざわざ遠くの山奥まで、騎士たちの労力を割くなんて非効率の極みです。……彼らが武器や食料を『どうやって』買っているか、考えたことはありますか?」
私はコンソールのキーを叩き、一つのデータ画面を空中に投影した。
「これは……?」
「彼らの潜伏先周辺にある、最寄りの村の『購買データ』です。……いくら山奥に逃げ込もうが、あの規模の集団が生活するには、必ず近くの村で物資を調達しなければならない。そして今や、帝国の辺境の村ですら、私の配ったスーパーアプリで決済を行っているんです」
私は、データの中で不自然に突出している『匿名の大量決済履歴』を羽ペンで丸く囲んだ。
「十数人分の食料、毛布、そして武器の持ち込み。……旧硬貨での支払いを嫌がった村人に対し、彼らはやむを得ず、偽名で作ったアカウントを通して、私のアプリで決済を行っています。……バカですよね。システムから逃げたはずが、生きるために私のシステムに依存している」
ガラン隊長が、その情報追跡の恐ろしさに息を呑む。
剣も魔法も届かない山奥のログハウス。しかし、彼らの経済活動は、コンマ一秒の狂いもなく私の机の上の水晶に筒抜けなのだ。
「騎士団は不要です。……彼らの『社会的な命』は、私がここで、指先一つで終わらせますから」
私はコンソールに向かい、冷酷な笑みを浮かべながら、その匿名アカウント群を選択した。
そして――。
「アカウント、凍結」
カチッ、と。
キーを一つ、底まで押し込んだ。
◇◇◇
……同時刻。
北西の霧深い山間部。高床式の木造家屋の薄暗い広間。
「よし、これで次の武器の調達は完了だ。あの忌々しい魔女め、我々旧体制の底力を思い知るがいい!」
「帝都の通信網を物理的に破壊し、すべてを昔の『金貨と特権』の世界に戻してやる!」
十数人の男たち――没落した商人や、特権を奪われた貴族たちが、車座になって気炎を上げていた。
彼らの手には、村から買い上げてきたばかりの酒と食料。
そして、決済に使った小型の通信端末。
「……ん?」
ふと、一人の商人が、自分の端末の画面が奇妙な赤色に点滅していることに気がついた。
『――警告。重大な規約違反を検知しました。当アカウントのすべての残高、およびセシリア・ポータルへのアクセス権限を永久に凍結します』
「な、なんだこれは!? 画面が、真っ赤になって……残高が、ゼロになっているぞ!?」
「お、俺の端末もだ! 『凍結』だと!? ふざけるな、この中には私の全財産が電子化されて入っているんだぞ!!」
パニックは一瞬にして広間に伝播した。
彼らは慌てて端末を叩き、再起動を試みるが、画面には無慈悲な静止画のロゴ――洗練された『星と薔薇』のマークが冷たく表示され、一切の操作を受け付けない。
「ま、待て! これでは、明日からの食料が買えん! 村の連中は、すでに旧金貨など『重くてかさばるから』と受け取ってくれないのだぞ!」
「馬車を呼ぶこともできない! 我々は、この山奥から一歩も外へ出られないということか!?」
彼らはついに理解した。
自分たちが、物理的な牢獄よりもはるかに恐ろしい、『経済的・社会的な完全隔離』を食らったという事実を。
帝都に攻め上るどころか、明日のパン一つ買う権利すら、指先一つで奪い取られたのだ。
「あ、あぁぁぁぁぁっ……!! 悪魔だ!! あの女は、神をも恐れぬ悪魔だ!!」
霧深い山間の高床式家屋に、旧体制の亡者たちの、絶望に満ちた断末魔が虚しく響き渡った。
◇◇◇
「……完全に沈黙しました。不審な購買データ、すべてアクセス遮断完了です」
帝都の執務室。
私は紅茶を優雅に啜りながら、コンソールの画面を閉じた。
「あな恐ろしや……。剣を交えることなく、山奥の反乱軍を居たまま『兵糧攻め』にして干上がらせるとは」
ガラン隊長が、額の汗を拭いながら感嘆する。
「武力反乱なんて、現代のインフラ社会では最も非効率な愚行ですよ。お金の蛇口を締められれば、人間は三日で自滅します。……さて、無駄なノイズ(動画)も、無駄な反乱分子も綺麗に消え去りました」
私は立ち上がり、窓の外――絶賛建設中の、東方諸島の美しい意匠を取り入れた【世界本部】のフラットな屋根を見つめた。
「さあ、スーパーアプリの実装は完了しました。ここからが、私の作り上げる新世界の『本稼働』です。世界中の人々を、私の掌の上で、最高に幸せなシステムの奴隷にして差し上げましょう!」
私の野望に満ちた宣言に、足元のウニが「キュイイッ!」と元気よく鳴き声を上げた。




