シーン1:【究極のスーパーアプリ】東方諸島の風と、世界本部の青写真
大陸の西から東、そして南の果てまで。
すべての物流と資金の流れが、主水晶『O.D.O.O』の放つ青白い光の網目の中に収束していく。
帝都の中心にそびえ立つセシリア商会のドーム型倉庫は、今や一国の王城すら凌ぐ、世界の「心臓」として絶え間ない鼓動を打っていた。
「……信じられない光景だ。世界中の金貨が、物理的な距離を無視してこの部屋に吸い込まれてきている」
会頭執務室の巨大な窓から眼下の巨大物流ターミナルを見下ろし、ガラン隊長が深い感嘆の息を漏らした。
教国との聖戦(という名の極悪なM&A)から数ヶ月。
大陸はかつてないほどの『平和』に包まれていた。無理もない。武器を作る鉄も、兵士が食べる麦も、すべて私の商会が流通を握っているのだ。私に逆らえば明日から石鹸一つ買えなくなる世界で、戦争を起こせる愚か者は存在しない。
「世界征服の完了、おめでとうと言うべきか? セシリア」
背後の特注ソファで、レオンハルト皇帝が最高級のワインを揺らしながら不敵に笑う。
「皇帝陛下がそれを仰いますか。帝国の税収も、私の商会からの上納金で過去最高額を叩き出しているでしょう?」
私はミッドナイトブルーのドレスの裾を優雅に払い、マホガニーの机に広げた莫大な羊皮紙の束(新プロジェクトの企画書)に視線を落とした。
「それに、世界征服なんて大層なものではありません。私はただ、この世界の『基本システム(OS)』をアップデートしただけ。……そして、アップデートに終わりはないんですよ」
「ほう。大陸中のインフラを握り、独占市場を完成させても、まだ足りないというのか?」
レオンハルトが、獲物を狙う肉食獣のように目を細める。
「足りるわけがないでしょう」
私は羽ペンをクルリと指先で回し、机の上の書類をガラン隊長へと押し出した。
「これを見てください。私の商会が次に仕掛ける、全人類を巻き込む究極のインフラ構築プロジェクト……名付けて『ビジネス要求仕様書(BRD)』および『ユーザーストーリー』の草案です」
「びじねす・ようきゅう……ゆーざーすとりー? また、我々の理解を超えた呪文の束ですね」
ガラン隊長が、分厚い羊皮紙の束を恐る恐るめくる。
「簡単に言えば、これからは『物を売る』だけじゃダメなんです」
私は立ち上がり、壁に掛けられた世界地図を指差す。
「通信販売、定期便、ショールーム空間。すべて成功しました。でも、客はまだ『買う時』しか私の商会を意識していない。……私が目指すのは、彼らが朝起きてから夜眠るまで、生活のすべての瞬間において私のシステムに依存する世界。すなわち、決済、身分証明、個人間通信、すべてを一つの魔道具に統合した【究極のスーパーアプリ】の開発です」
「……なんだと?」
レオンハルトのワイングラスを持つ手がピタリと止まる。
「財布も、ギルドの身分証も、手紙も、すべて不要になります。私の配る小型通信魔道具一つで、屋台の串焼き一本から馬車まで買えるようにする。……世界中のあらゆる商取引の『手数料(数パーセント)』を、私が永遠に、自動的に吸い上げ続ける究極のプラットフォームです」
息を呑むガラン隊長。
物理的な商品を売る『小売業』から、社会の血液たる資金移動そのものを支配する『金融・ITインフラ』への完全なる脱皮。
「……恐ろしい女だ。本当の意味で、世界の支配者になる気か」
「私は商人ですから。人々の生活を便利にして、その対価を薄く広く、永遠に頂戴するだけですよ」
私はフフッと笑い、机の端で丸くなっているウニの頭を優しく撫でた。
「キュプッ」
ウニは最近お気に入りの、東の果ての島国から取り寄せた小さな『菅笠』を頭に乗せ、器用に前足でバランスをとっている。
「そして、この世界中を繋ぐスーパーアプリの中枢を担うため……私は帝都の郊外に、新たな『世界本部』を建設します」
私は机の下から、巨大な建築模型を取り出してドンッと置いた。
「こ、これは……また随分と、奇抜な建築物ですね」
ガラン隊長が目を丸くする。
模型は、重苦しい石造りの城でも、空を突くような尖塔でもなかった。
大地に低く、しかし圧倒的な広がりを持って這うような、巨大な木造建築群。
「以前のショールームで確立した『ジャパンディ(引き算の美学)』をベースに、最近交易を始めた東方諸島の奥深く……水と稲穂の国に伝わる『民間伝承の美』を融合させました」
私は模型の屋根部分を指でトントンと叩く。
「この本部の屋根は、権威を示す無駄な傾斜を完全に排した【フラットな金属屋根(トタンの陸屋根)】です。無機質で洗練された直線美を持たせつつ、雨水を効率よく集めて冷却システムに回すという圧倒的な機能性を誇ります」
「屋根が、真っ平ら……。相変わらず、帝国の常識をへし折るデザインですね」
「そして、このフラットな屋根を支えるのは、東方諸島の村々にある『集会場』を模した、巨大な吹き抜けの木造列柱。壁は極限まで取り払い、建物の周囲には泥の中から美しく咲き誇る【蓮】の巨大な池を配置します」
私は模型の周囲に配置された、青く澄んだ水面を模したガラス板をなぞった。
「さらに、エントランスの装飾には、太陽や鳥を幾何学的に刻み込んだ『銅鼓』の紋様を巨大なレリーフとして掲げます。……無機質な最先端のシステム(陸屋根と通信網)と、泥から生まれる生命の息吹(蓮と民族文化)の完全なる調和。……これこそが、世界中のデータと富が集積する、新世界の心臓部にふさわしいデザインです」
「……息を呑むほどの美しさだ。だが、同時にとてつもない異物感を放っている」
レオンハルトが模型を覗き込み、感嘆の息を漏らした。
「さあ、ガラン隊長。休んでいる暇はありませんよ。このスーパーアプリの実装に向けて、技術班を総動員して『ユーザーストーリー』の要件定義を固めてください。同時に、新本部の建設資材――東方諸島の最高級の木材と銅の調達ルートを、O.D.O.Oで確保すること!」
私はパンッ!と手を叩き、執務室の空気を一気に戦場(プロジェクト稼働)のそれへと切り替えた。
「は、はっ! 直ちに各部署へ手配いたします!」
ガラン隊長が敬礼し、分厚いBRDの羊皮紙を抱えて足早に部屋を出ていく。
「キュイイッ!」
ウニが菅笠を揺らしながら、建設模型の蓮の池に飛び込む真似をして遊んでいる。
剣と魔法の世界を、情報と決済のネットワークで完全に上書きする最終計画。
異国情緒あふれる美しき新本部の建設と共に、一人の悪役令嬢による『世界経済の完全なるハッキング』が、いよいよその総仕上げに取り掛かろうとしていた。




