シーン3:【奇跡のランニングコスト】十万の胃袋と、破綻する神聖魔力(チート)
「……計算してみましょうか」
俺の言葉に、レオンハルト皇帝とガラン隊長が、主水晶『O.D.O.O』の前に投影された新たなホログラム画面に視線を集中させた。
そこに映し出されたのは、俺がコンソールを叩き込んで構築した、教国軍十万人の『推定魔力消費シミュレーション・モデル』だ。
「いいですか、陛下。人間一人が一日に最低限必要とするカロリーと水分。それを十万人分、魔法で『無から有へ』と物質変換する。……これは、ただの治癒魔法や炎の矢を放つのとは次元が違う、途方もない質量保存の法則への反逆です」
俺はホログラムのグラフ――急激に右肩上がりを描く赤い線――を羽ペンでなぞった。
「大教皇が発動した【奇跡・五つのパンと二匹の魚】。確かに、あの瞬間は十万の兵を潤しました。しかし……明日の朝には、彼らはまた腹を空かせるんですよ?」
ガラン隊長がハッと息を呑む。
「そ、そうか……! 食料というものは、一度与えれば終わりではない。毎日、毎日消費され続ける……!」
「その通りです。兵站の恐ろしさは、まさにその『継続的消費』にあります。……大教皇は、進軍する十万の兵の胃袋を、自分一人の魔力で、帝都に到着するまでの数日間、延々と満たし続けなければならない」
俺はグラフの先、帝都の城壁に到達する予定の日付を指差す。
「初日は気合で乗り切れるでしょう。二日目も、最高位の神職ならギリギリ持つかもしれない。……ですが三日目。十万人分の物質変換を連続で行えば、いかに大教皇といえども、その魔力回路は完全に焼き切れ、干からびたミイラになります」
「……なるほど。奇跡のランニングコストが、術者自身のキャパシティを物理的に凌駕するということか」
レオンハルトが、獰猛な笑みを深くする。
「ええ。だから、大教皇のあの魔法は、本来なら『絶望的な状況での一度きりの切り札』として使うべきだった。……それを、私の兵糧攻めに焦って、進軍の道中で安易に切ってしまった時点で、彼の負けは確定したんです」
俺は紅茶のカップを持ち上げ、クスクスと肩を揺らして笑う。
「さあ、見物と行きましょう。神の奇跡が、人間の底なしの『胃袋』の前に、どれほど無様に崩壊していくかを」
◇◇◇
……三日後。
帝都の城壁まで残り一日の距離に迫った、枯れ果てた荒野。
ザッ……ザッ……ザッ……。
教国軍十万の行軍は、もはや「進軍」とは呼べない、亡者のような足取りへと成り果てていた。
初日、大教皇の奇跡によって湧き出した水とパンに歓喜した兵士たちだったが、その喜びは長くは続かなかった。
『……っ、げほっ、がはっ!』
黄金の輿の上で、大教皇が血を吐き、崩れ落ちるように膝をついた。
純白だった法衣は、彼自身が吐き出した赤黒い血と、異常な発汗でどろどろに汚れている。
黄金の仮面の奥の瞳は焦点が定まらず、浅い呼吸を繰り返していた。
『き、教皇猊下! もう限界です! これ以上奇跡を使われれば、猊下の御命が……!』
側近の神官が泣き叫びながらすがりつくが、大教皇は震える手でそれを振り払った。
『だ、黙れ……っ。神の軍勢を、ここで止めるわけには……っ。我は、奇跡を……っ』
再び枯れた大地に手をかざそうとするが、彼の指先からは、微かな光の粒子がパラパラとこぼれ落ちるだけで、パンも水も湧き出してはこない。
『み、水……教皇様、どうか水を……』
『腹が減って、もう一歩も歩けません……』
大教皇の輿の周囲には、極限の飢えと渇きに苦しむ数万の兵士たちが、亡者のように群がり、彼に「奇跡」を懇願していた。
初日の奇跡で「神が養ってくれる」と信じ込んでしまった彼らは、もはや自力で食料を探す気力すら失い、完全に大教皇の魔力に依存しきってしまったのだ。
(まさに俺がアルフェン王国で難民たちに仕掛けた『フリーミアムからの完全依存』と同じ状態だ)
『ぐあぁぁぁっ……! 我が神よ……なぜ、なぜ我にこれ以上の力を与えたまわないのだ……っ!』
大教皇が、天を仰いで血を吐くような絶叫を上げる。
限界だった。
十万の胃袋という絶対的な『物理の消費量』が、一個人の魔力(魔法のチート)の限界値を完全に食い破った瞬間。
『……あぁ、教皇様の奇跡が、止まった……』
『嘘だ……神は我々を見捨てたのか……?』
『水だ! 誰か水を持っていないか! 俺の金貨を全部やるから!!』
絶望。
大教皇の魔力切れを悟った兵士たちの間で、恐慌状態が伝播していく。
統制は完全に失われ、彼らはわずかに残った仲間の水筒を奪い合い、同士討ちの血まみれの乱闘を荒野のど真ん中で始めだした。
……その地獄絵図を、上空を旋回する斥候鳥の視覚を通じて、俺はコントロールルームの水晶から冷酷に見下ろしていた。
「……終わりましたね」
俺は扇子をパチンと閉じ、水晶の映像から目を離した。
「軍隊の崩壊は、敵の剣によるものではなく、自らの兵站の破綻から始まる。……大教皇の魔力は完全に底を尽き、十万の兵は同士討ちで自滅。もはや、帝都の城壁まで辿り着ける者は一割もいないでしょう」
ガラン隊長が、水晶に映る惨状に顔を青ざめさせながら、ゆっくりと頷いた。
「……恐ろしい。本当に、剣を一度も交えることなく、大陸最強の十万の軍勢を、荒野の泥の中で完全にすり潰してしまった……」
「これが、現代の兵站と情報の暴力です」
俺は立ち上がり、ミッドナイトブルーのドレスの裾を翻して、レオンハルト皇帝に向き直った。
「陛下。教国軍は自壊しました。……ですが、このまま彼らを荒野に放置して死なせるのは、商人の名折れです」
「……まだ、あいつらから何かを搾り取る気か? もはや金貨一枚持っていない、ただの餓死寸前の亡者どもだぞ?」
レオンハルトが、呆れたように、しかし最高に楽しそうに問いかけてくる。
「金貨を持っていなくても、彼らにはまだ価値がありますよ。……十万という、強靭な肉体と労働力。それに、彼らが着ている白銀の甲冑や武器(鉄くず)がね」
俺の唇に、三日月型の、最も強欲な笑みが刻まれる。
「ガラン隊長。帝国の全軍を出撃させてください。……ただし、目的は『殲滅』ではありません。【救済(回収)】です」
「き、救済、ですか?」
「ええ。餓死寸前の彼らの前に、帝国の紋章と、セシリア商会の『星と薔薇』の旗を掲げて現れ、山ほどの温かいスープとパンを恵んであげるんです」
俺はウニの頭を撫でながら、最終的な『回収』の青写真を語る。
「極限の飢餓状態の彼らにとって、自分たちを見捨てた大教皇よりも、飯を食わせてくれた帝国の兵士と私の商会こそが『真の神』に見えるはず。……助けた命の対価として、彼らには私の商会の『北方開拓部門』や『鉱山労働』の終身無給スタッフとして、死ぬまで働いてもらいます。武具はすべて溶かして、新しい荷馬車の部品にしましょう」
「……悪魔だ」
ガラン隊長が、ついに堪えきれずにそう呟いた。
敵軍を兵糧攻めで干上がらせ、奇跡を枯渇させ、最後に恩着せがましく命を救って【終身奴隷(無料の労働力)】として完全吸収(M&A)する。
一滴の血も流さず、帝国の戦力を何万倍にも膨れ上がらせる、究極の錬金術。
「ふはっ、あはははははっ!! 素晴らしい!! お前という女は、神の聖戦すらも、ただの自社の『人材採用』と『資源回収』のイベントにすり替えるのか!!」
レオンハルト皇帝が、玉座の間を震わせるような歓喜の爆笑を上げた。
「ガラン! 聞いたな! 全軍出撃だ! 教国の間抜けどもに、我が帝国の【慈悲】という名の首輪をはめてこい!!」
「はっ!! 直ちに!!」
ガラン隊長が、畏怖と熱狂の入り混じった顔で敬礼し、コントロールルームを飛び出していく。
俺は主水晶『O.D.O.O』の前に立ち、空中に投影された大陸全土のホログラムを見上げた。
旧アルフェン王国。西方教国の十万の軍勢。そして海の向こうの南方大陸。
すべてが、俺の商会の物流網(光の線)に飲み込まれ、完全に統合されようとしている。
剣と魔法のファンタジー世界は、一人の悪役令嬢が持ち込んだ『現代ECと資本主義のシステム』の前に、完全に、そして修復不可能なまでに上書き(ハッキング)されてしまったのだ。
「……さあ、大教皇。神の教えが正しいか、私の帳簿が正しいか。……帝都の地下牢で、ゆっくりと答え合わせをしましょうか」
俺の呟きは、システムの駆動音に溶け込み、世界を支配する歯車の回転音と共に、どこまでも冷酷に響き渡った。




