シーン2:【正午の攻防】完璧なる相殺(ノイズキャンセリング)と、狂信者の敗北
チク、タク、チク、タク。
スタジオの壁に掛けられた豪奢な魔力時計の針が、無慈悲に、そして俺にとっては極上のファンファーレに向けて、最後のカウントダウンを刻んでいる。
時刻は、午前十一時五十九分。
タイムリミットである『正午』まで、残り一分を切った。
「セ、セシリア様……っ! 来ます!」
制御盤に張り付いていたガラン隊長が、血相を変えて叫んだ。
彼の目の前にある魔力波長計の針が、狂ったように振り切れている。
「帝都の外部……おそらく教国の潜伏拠点から、異常な質量の魔力波長が、当商会のネットワークに強制干渉を仕掛けてきています! このままでは、あと数十秒で全受信機に『不協和の香』の呪いが到達します!」
歴戦の騎士の顔が、目に見えて蒼白になっている。
剣では斬れない、盾でも防げない。目に見えない音と波長の暴力が、津波のように帝都の魔力網を飲み込もうとしているのだ。
だが、俺はミッドナイトブルーのドレスの袖を優雅に払い、主水晶の前にスッと立ち塞がった。
「慌てないでください、ガラン隊長。……津波には、同じ高さの津波をぶつけてやればいいだけです」
俺は主水晶の頂上に鎮座する相棒を見上げる。
「ウニ、準備はいい?」
「キュルルルルッ……!!」
ウニは全身の針を限界まで逆立て、青白い魔力の火花をバチバチと散らしている。
昨晩、彼が本能に刻み込んだ『不快な波長』。その波の形を完璧に反転させた【逆位相波】が、ウニの小さな体の中で極限まで圧縮され、今まさに解き放たれんとしている。
『ああああっ! 時間が、正午になる!』
『セシリア様、助けてくれぇぇぇっ!』
『耳を塞げ! 通信機から離れろ!!』
空中に展開されたコメント欄は、完全なパニック状態に陥っていた。
彼らは皆、数千金貨を支払って【プレミアム防護プラン】に加入したというのに、目に見えない呪いへの恐怖から理性を失いかけている。
そして――。
カチリ、と。
時計の長い針が、真上(十二)の数字と完全に重なった。
正午。
教国が予告した、帝都全域への精神破壊攻撃(DDOSテロ)の開始時刻。
「――今よ、ウニ!!」
俺の号令と同時。
『ギギギギギギギギギィィィィィィィィッッ!!!!』
ガラン隊長の制御盤のスピーカーから、昨晩バックヤードで聞いたあの黒板を爪で引っ掻くような、脳髄を直接ドリルで抉るような強烈な不協和音が、爆発的な音量で鳴り響こうとした。
帝都中の5000台の通信機から、一斉にこの呪いの音が吐き出される、まさにその刹那。
「キュアアァァァァァァァッッ!!!!」
ウニが、主水晶に向けて渾身の魔力を叩き込んだ。
主水晶が目も眩むような純白の閃光を放ち、教国の『不協和音』と全く逆の形をした『浄化の波長』が、光の速さで全ネットワークへと逆流していく。
ドンッ!!
スタジオの空間が、目に見えない圧力で一瞬だけ大きく歪んだ。
二つの巨大な波――教国の『ノイズ』と、俺の『アンチ・ノイズ』が、魔力通信網という仮想空間のど真ん中で正面衝突したのだ。
その結果、何が起きたか。
「……」
「…………」
無音、である。
完全なる、圧倒的なまでの静寂。
ガラン隊長のスピーカーから鳴り響こうとしていた不協和音は、ウニの放った逆位相波と完全に重なり合い、文字通り『プラスマイナスゼロ』となって空中で綺麗に消滅した。
ガラスの割れる音も、悲鳴も、頭痛を引き起こすノイズも、一切ない。
ただ、スタジオのBGMとして流している、432ヘルツの穏やかなアンビエント音楽だけが、何事もなかったかのように優雅に流れ続けている。
「……え?」
目を固く閉じ、耳を塞いで蹲っていたガラン隊長が、恐る恐る顔を上げる。
「お、音が……呪いの音が、聞こえない? 何も、起きない……?」
「当たり前でしょう」
俺はふふっ、と余裕の笑みを浮かべ、カメラのレンズに向かってゆっくりと歩み寄る。
「私の完璧な『防護結界』を、狂信者のカビの生えた呪いごときが突破できるわけがありません」
俺はマイクのスイッチを入れ、帝都で震え上がっているであろう貴族たちに向けて、慈愛に満ちた声を響かせた。
「愛すべき帝国の皆様。……正午を過ぎました。いかがですか? 皆様の耳には今、私の声と、この穏やかな音楽以外、何も聞こえていないはずです」
ピタリ、と停止していたコメント欄が、数秒の空白を経て――。
大爆発を起こした。
『……ひ、聞こえない! 何も聞こえないぞ!』
『呪いが来なかった! いや、通信機の表面が青く光って、呪いを弾き返したのが見えたぞ!!』
『助かった……っ! 我々は、我々はセシリア様に命を救われたのだ!!』
『あああっ、女神様! セシリア商会のプレミアムプラン万歳!!』
狂乱。
恐怖から解放された安堵感は、そのまま俺への『絶対的な信仰』へと変換された。
彼らは知らない。俺がネットワーク全体でノイズを相殺したため、実は【防護プラン】に加入していようがいまいが、帝都の全員が等しく無音だったという事実を。
だが、そんなことはどうでもいい。
「金を払ったから守られた」という『体験』こそが、彼らにとっての絶対の真実なのだ。
『金貨二枚など安すぎる! 毎月十枚でも払うぞ!』
『教国の異端審問官どもめ、ざまぁみろ! セシリア商会の結界の前には無力だったな!』
『この防護プランがある限り、我々は無敵だ!!』
「皆様の無事を確認できて、セシリアは涙が出るほど嬉しゅうございます」
俺は胸を撫で下ろす演技をしながら、内心では天井知らずに跳ね上がっていく『サブスクリプション継続率』のデータを見て、狂喜乱舞していた。
これで帝都の貴族たちは、一生俺の商会に毎月金貨を自動で上納し続ける『最高の財布(ATM)』として完全に固定化された。教国がテロを予告してくれたおかげで、最高の恐怖マーケティングが完成したのだ。
「ウニ、よくやったわ。今夜は最高級の果実を山ほど食べさせてあげるからね」
「キュイッ!!」
主水晶の上で、ウニが誇らしげに前足をクロスさせて胸を張っている。
◇◇◇
同じ頃。
帝都の郊外、見晴らしの良い小高い丘の上。
「……どういう、ことだ?」
漆黒の法衣を纏った異端審問官の長、クロードは、手の中の『不協和の香』の親機(巨大な香炉)を落としそうになりながら、眼下に広がる帝都の街並みを呆然と見下ろしていた。
彼の計算では、正午を回った瞬間、帝都中の貴族の館から、狂気に満ちた悲鳴と絶叫が響き渡り、セシリア商会の通信機が次々と窓から投げ捨てられるはずだった。
教国の恐ろしさを帝都全土に刻み込み、あの生意気な女を絶望の底に叩き落とす、完璧な計画。
だが、帝都はあまりにも平穏だった。
悲鳴どころか、街からは活気のある生活音さえ聞こえてくる。
「波長は……間違いなく全開で流し込んでいるはずだ! なぜだ!? なぜあの女の通信網はダウンしない!?」
クロードが、ギリッと奥歯を噛み締めて香炉を睨みつける。
彼には『逆位相波による相殺』という物理法則など理解できるはずもない。彼らの目には、俺が何か神をも恐れぬ『悪魔の絶対結界』を展開したようにしか見えていないはずだ。
「……馬鹿な。我が教国の『不協和の香』が、ただの商人の魔道具に完全に打ち消されたというのか……っ!?」
クロードの背中を、冷たい汗が滝のように流れ落ちる。
彼は思い知ったのだ。自分が喧嘩を売った相手が、ただの強欲な商人などではなく、教国の秘術すら赤子の手をひねるように無効化し、あまつさえそれを『自社のセキュリティプランの販促』に利用する、底知れない怪物であったという事実に。
「……司教様。いかがなさいますか。このままでは、我々の魔力が底を突きます」
背後に控えていた部下の神官が、震える声で尋ねる。
「……撤退だ。これ以上波長を送り続けても、我々の位置を逆探知されるリスクが高まるだけだ」
クロードは忌々しげに香炉の火を消し、帝都の中心――セシリア商会のドーム型倉庫がある方角を、憎悪と恐怖の入り混じった目で睨みつけた。
「セシリア・アルフェン……。あの女は、生かしておいてはならない。経済の力で国を飲み込み、教国の神聖な波長すら食い物にする『本物の魔女』だ。……本国へ戻り、異端審問の最高会議を招集する」
漆黒の集団は、自らの完全な敗北を噛み締めながら、逃げるように帝都の郊外から姿を消した。
◇◇◇
「……消えましたね。外部からの異常波長、完全に途絶しました」
スタジオの制御盤で監視を続けていたガラン隊長が、深く、本当に深く安堵のため息をついて報告した。
「ええ、お疲れ様でした。彼らも馬鹿じゃない。自分たちの攻撃が『完全に無効化されている』と気づけば、これ以上の無駄な魔力消費は避けて逃げ帰るしかありませんからね」
俺は通信機の切断レバーを引き、大成功に終わった「緊急生放送」の幕を下ろした。
「……セシリア様。あなたは、戦の概念そのものを変えてしまった。剣を交えず、血を流さず……ただ『音を消す』だけで、教国の暗部を無血で撃退したのですから」
ガラン隊長が、俺に対してかつてないほどの深い敬礼を送る。
「フフッ。戦わずして勝つのが、商人の一番美しい戦い方ですから。……それに、今回は撃退しただけじゃありませんよ」
俺はコンソールの画面に表示された、凄まじい桁数の【プレミアム防護プラン・新規契約者数】のリストを指差した。
「教国の皆様には、私の商会の『継続的安定収入』の爆発的な増加に、多大なるご協力をいただきました。……彼らが逃げ帰った後も、帝都の皆様は『いつまた呪いが来るか分からない』という恐怖から、一生このプランを解約できないんですからね」
毎月、何もしなくても雪だるま式に膨れ上がっていく莫大な黄金。
インフラを握り、恐怖を煽り、安心を月額で売る。
俺の構築したこの『巨大な集金システム』は、アルフェン王国の崩壊を経て、教国からのテロ攻撃すら栄養にして、さらなる巨大なバケモノへと進化を遂げたのだ。
「さて。王国の市場も統合し、教国のジャミングも防ぎ、莫大な定期収入も確保した。……ガラン隊長。私たちの足元は、もう誰にも揺るがせないほど強固になりましたよ」
俺はミッドナイトブルーのドレスの裾を優雅に翻し、スタジオの出口へと向かう。
「次なる一手は、もう決まっているのですか?」
ガラン隊長が、期待と畏怖の入り混じった声で背中から問いかけてくる。
「ええ。防衛と国内の地固めは終わりました。……次はいよいよ、この莫大な資金とシステムを使って、世界中の『未開の市場』を丸ごと食い尽くす、超・攻撃型の大遠征(グローバル展開)の始まりです!」
俺の視線の先には、帝国や王国といったちっぽけな枠組みを超えた、果てしない世界地図が広がっていた。




