シーン4:【ノイズキャンセリングと有料アップデート】教国の電波ジャック(DDOS)を利益に変える魔女
冷たい石畳のバックヤードから、紫色の気味が悪い煙が完全に消え去るまで、重苦しい沈黙が支配していた。
頭痛に蹲っていた近衛騎士たちが、一人、また一人と荒い息を吐きながら立ち上がる。ガラン隊長も、壁に手をついて辛うじて姿勢を正した。
「……セシリア様、申し訳ありません。不覚を取りました」
ガラン隊長が、悔しげに唇を噛む。
「謝る必要はありませんよ、ガラン隊長。あれは剣で防げるものではない。……人間の脳髄に直接干渉する、特定周波数の『音波兵器』と同じですから」
俺はこめかみの痛みが引いていくのを確認しながら、ドレスの谷間に潜り込んで震えていたウニをそっと手のひらに乗せた。
ウニは「キュゥ……」と弱々しく鳴き、丸まったまま背中の針をぺたんと寝かせている。相当、あの波長が魔獣の敏感な感覚器官に障ったらしい。
「セシリア。……俺が今すぐ暗部を動かし、帝都に潜伏している教国のネズミどもを根こそぎ炙り出してやろうか」
レオンハルト皇帝が、マントを翻しながら低く、氷点下の殺意を孕んだ声で告げる。
帝国の絶対権力者である彼の庭で、勝手に異端審問官を名乗る輩が脅迫をして歩くなど、皇帝の威信に対する明確な挑戦だ。
「帝都の魔力網を乗っ取るなどという舐めた真似、帝国の全軍をもって教国そのものを火の海に沈めてやる大義名分になるぞ」
「……お待ちください、陛下。戦争は一番の『コストの無駄遣い』です」
俺はウニの背中を優しく撫でながら、静かに首を横に振った。
「武力で彼らを排除しても、教国という巨大な組織が根本から消滅するわけではありません。むしろ『帝国が信仰を弾圧した』という大義名分を与え、周辺国を巻き込んだ泥沼の宗教戦争に発展しかねない。……それでは、私のせっかく構築したサプライチェーンが台無しです」
「では、どうする。明日の正午までに商会を明け渡すか? お前がそんな大人しい女ではないことくらい、俺が一番よく知っているが」
レオンハルトの黄金の瞳が、面白くてたまらないというように細められる。
俺はフッ、と不敵な笑みをこぼし、足元に落ちていた、先ほどのクロードが意図的に残していった『不協和の香』の燃えカスをヒールの先で踏み躙った。
「相手は、私の通信網に『不快な波長』を流し込んで破壊しようとしている。……前世の言葉で言えば、大規模なDDOS攻撃(サーバーダウン狙い)ですね」
「でぃーどす……? またお前の故郷の呪文か」
「ええ。でもね、陛下。音や波長というものは、強引に壁を作って防ごうとするから破られるんです。波長には波長の『科学的な殺し方』があるんですよ」
俺は手のひらの上のウニを、レオンハルトの目の前まで持ち上げた。
「ウニ、さっきのあの嫌な波長……『音の形』、覚えられた?」
俺の問いかけに、ウニはブルッと一度身震いをしてから、「キュイッ!」と短く、しかし力強く鳴いた。魔力波長に敏感なこの子なら、一度浴びた波長を完全に記憶しているはずだ。
「よし、偉いぞ。……陛下、ガラン隊長。『アクティブ・ノイズキャンセリング(逆位相波)』という概念をご存知ですか?」
「のいず……きんせる……?」
ガラン隊長が舌を噛みそうになりながらオウム返しにする。
「波というものは、高い山と深い谷の連続でできています。もし、相手が不快な『山』の波を送ってきたら……こちらは、それと全く同じタイミングで、全く逆の『谷』の波をぶつけてやるんです」
俺は空中で、二つの波が交差して真っ平らな直線になるジェスチャーをして見せる。
「プラスとマイナスがぶつかれば、ゼロになる。……つまり、明日の正午、彼らが帝都の通信網に『不協和の香』の波長を流し込んだその瞬間。私がこのウニの記憶した波長から『全く逆の波長』を生成し、全ネットワークに同時配信してやれば……」
「……っ!! 相手の放った不快な波長が、空中で相殺されて完全に『無音』になる、ということか!?」
レオンハルトが、俺の恐るべきカウンター戦略の構造を理解し、驚愕に目を見開く。
「その通りです。彼らがどれだけ膨大な魔力を使ってノイズを流し込もうが、私の商会の中央制御網(ERP)が自動で逆位相波を被せて相殺する。……視聴者からすれば、ノイズはおろか、一瞬の不快感すら発生しません。教国の電波ジャックは、完全に『空振り』に終わります」
「ふはっ、ははははっ!! 見事だ!! 魔法の力業ではなく、波の性質そのものを利用して敵の攻撃を無効化するとは!」
レオンハルトが腹の底から歓喜の大爆笑を響かせる。
剣の力でねじ伏せるのではなく、システムと知識で相手の切り札を紙屑に変える。これこそが、俺の戦い方だ。
「しかし、セシリア様。それではただ『防いだだけ』ではありませんか。教国の脅威は去りませんし、相手にダメージは……」
ガラン隊長が、心配そうに問いかけてくる。
「防ぐだけ? そんなわけないでしょう」
俺はミッドナイトブルーのドレスの袖を翻し、とびきり邪悪で、そして強欲な商人の顔を浮かべた。
「こんな美味しい『危機』、利益に繋げない手はありませんよ。……明日の朝一番で、帝都の全顧客に向けて、緊急の生放送(告知)を打ちます」
「告知、だと?」
「ええ。こう言うんです。『帝国の皆様、大変危険なお知らせです。現在、西方教国を名乗るテロリストが、皆様の通信機に【精神を破壊する呪いの波長】を流し込もうと計画しています』と」
俺はわざとらしく両手を胸の前で合わせ、悲痛な演技をしてみせる。
「『ですがご安心ください! セシリア商会は、皆様を呪いから守るための【超・防護結界】を開発いたしました! 明日の正午までに、この月額金貨二枚の【プレミアム防護プラン】にご加入いただいたお客様の通信機には、私が直々に呪いを無効化する魔法を適用させていただきます!』……とね」
「……」
「……」
レオンハルトとガラン隊長が、完全に言葉を失って俺を見つめている。
沈黙が、石畳のバックヤードに落ちた。
「お前……」
レオンハルトが、呆れ果てたような、しかし最高の悪党を見るような目で深くため息をついた。
「教国の電波ジャック予告すら、自社の『有料セキュリティ・プラン』を売りつけるための宣伝に利用するというのか……。お前、本当に血も涙もない悪魔だな」
「人聞きの悪い。私はただ、お客様の『安心』と『安全』を、適正な価格でご提供するだけですよ」
俺はクスクスと笑いながら、肩の上のウニの鼻先をツンと小突く。
「ウイルス(脅威)」の存在を煽り、それを防ぐための「アンチウイルスソフト(有料プラン)」を売りつける。現代のITビジネスにおける、最も古典的で、最も強力な恐怖マーケティングだ。
明日の正午。
教国が本気で不協和音を流し込めば流し込むほど、「おぉ!本当に呪いが来たが、セシリア商会のプレミアムプランのおかげで何も聞こえない!守られた!」と、客たちは俺の技術力にひれ伏し、さらなる狂信的なリピーターへと変貌するのだ。
「……哀れだな、教国の異端審問官とやらは」
ガラン隊長が、まだ見ぬ敵に向かって深く十字を切った。
「神の御名の下に脅迫をしたつもりが、セシリア様の商売の『新たな課金システム』のダシにされるだけとは。彼らは、自分がどれほど巨大な化け物の尻尾を踏んだのか、明日の正午に思い知ることになるでしょう」
「さあ、そうと決まれば、休んでいる暇はありませんよ! ガラン隊長、至急『プレミアム防護プラン』の加入手続き用の魔力回路の増設を! 明日の午前中だけで、数千件の駆け込み契約が殺到しますからね!」
俺はパンパンと手を叩き、沈滞していたバックヤードの空気を一気にビジネスモードへと切り替える。
レオンハルトも「俺の出番はなさそうだな」と笑いながら、マントを翻して闇の中へと消えていった。
西方教国。
神の権威を振りかざし、他人の市場を不当に奪い取ろうとする旧時代の巨大組織。
その傲慢な宣戦布告は、俺という現代ECの申し子にとって、ただの「システム・アップデートに伴う新規マネタイズの絶好の口実」でしかない。
「さあ、クロード司教。明日の正午、あなたの鳴らす不協和音が、私の口座にどれほどの金貨の雨を降らせてくれるのか……せいぜい、楽しみにさせてもらうわよ」
俺の三日月型の笑みが、ショールームの裏口の暗闇に、どこまでも冷酷に、そして果てしなく強欲に浮かび上がっていた。




