シーン3:【裏口の来訪者】黒衣の司教と、不協和音の香炉
バックヤードへと続く、従業員専用の簡素な通路。
先ほどまでの、432ヘルツの魔力音楽が流れる洗練されたジャパンディ・スタイルのショールームの空気とは打って変わり、ここは荷解きされたばかりの木箱の匂いと、冷たい石畳の冷気が漂っている。
俺がヒールを鳴らして奥へ進むと、搬入口の薄暗い空間に、抜刀したガラン隊長と数名の近衛騎士が、異常なほどの緊張感に包まれて円陣を組んでいるのが見えた。
「ガラン隊長。……ずいぶんと物騒なお出迎えですね。私のショールームの裏口を血で汚すつもりですか?」
俺の声に、ガラン隊長がビクッと肩を揺らして振り返る。
その顔には、歴戦の騎士らしからぬ、冷や汗がべったりと張り付いていた。
彼の視線の先――円陣の中心に、一人の男が立っていた。
「……セシリア・アルフェン会頭。お初にお目にかかります」
男の声は、まるで砂を噛むような、ひどく乾燥して擦れた音だった。
全身を、光沢の一切ない、まるで光を吸い込むような漆黒の法衣で包んでいる。胸元には、先日俺の配信に協力してくれた『太陽教会』の高位神官長が身につけていた黄金の十字架とは全く違う、歪な形をした銀色の紋章――太陽が蝕待ちのように欠けたデザイン――が鈍く光っていた。
「私は、西方教国より遣わされし『異端審問官』の長、クロードと申します」
男が薄く笑う。
その瞬間、俺の肩に乗っていたウニが「キュアアァァッ!!」と、今までに聞いたこともないような激しい威嚇の鳴き声を上げ、全身の針を爆発するように逆立てた。
針の先から、青白い火花がバチバチと弾け飛ぶ。
ウニがこれほどまでに、本能的な『恐怖』と『敵意』を剥き出しにする相手は初めてだ。
「……おや、随分と可愛らしい魔獣ですね。ですが、少々しつけがなっていないようだ」
クロードと名乗った男が、懐から小さな銀の香炉を取り出した。
鎖で吊るされたその香炉からは、紫色の薄気味悪い煙が、チロチロと蛇の舌のように立ち昇っている。
その煙が鼻腔を掠めた瞬間、俺の脳内に、キーーーンッ!という、黒板を爪で引っ掻くような強烈な不協和音が直接響き渡った。
「っ……!?」
「ガハッ……! なんだ、この、頭が割れるような……っ」
周囲を取り囲んでいた近衛騎士たちが、次々と剣を取り落とし、耳を塞いで膝をつく。ガラン隊長ですら、剣を杖代わりにして辛うじて立っている状態だ。
俺もたまらずこめかみを押さえ、顔をしかめる。
ウニに至っては、「キュウゥ……」と苦しげな声を漏らし、俺のドレスの谷間に潜り込んでガタガタと震え始めてしまった。
「これは、魔力波長を強制的に乱す『不協和の香』。……あなたのショールームで流れている、あの心地よい432ヘルツの音楽とは真逆の、精神を破壊する波長です」
クロードは、香炉を揺らしながら悠然と俺に近づいてくる。
「西方教国……太陽教会の暗部か」
俺は痛む頭を無理やり押さえつけながら、氷のような視線で男を睨みつけた。
先日、俺の商品の無実を証明してくれた高位神官長は、あくまで表向きの『権威』。
だが、巨大な宗教組織には必ず、裏の汚れ仕事を請け負う狂信者の集団が存在する。歴史が証明している絶対法則だ。
「帝都の商人ギルドを乗っ取り、アルフェン王国を無政府状態から経済的に支配する。……あなたのその異端の魔道具と強欲さは、我が教国にとって看過できないレベルに達しました」
クロードは、俺の目の前でピタリと足を止め、その落ち窪んだ爬虫類のような目で俺を値踏みする。
「セシリア会頭。あなたのその『通信網』と『物流システム』は、神の教えを逸脱する悪魔の所業。……教国は、あなたを異端として認定し、そのすべての財産と技術を『没収(接収)』することを決定いたしました」
「没収、ですか」
俺はこめかみの痛みに耐えながら、フッ、と鼻で笑った。
暗殺の次は、宗教裁判を騙った『強制買収』か。
権力を盾にして他人のビジネスを丸ごと奪おうとする手口は、どこの世界でも、どの時代でも変わらないらしい。
「お断りします。私のシステムは、一朝一夕であなたたちのような頭の固い狂信者に扱える代物ではありません。……それに」
俺は痛みを堪えて顔を上げ、クロードを真っ直ぐに見据える。
「神の名を借りて他人の財布に手を突っ込むようなチンピラに、私の『美しい商売』を汚されるのは、我慢ならないのですよ」
「……強情な女だ。それがあなたの返答と受け取ってよろしいのですね?」
クロードの目が、殺意に細められる。
彼が香炉をさらに激しく揺らそうとした、まさにその時だった。
「――そこまでだ、教国の犬」
バックヤードの入り口から、地を這うような低く、そして圧倒的な覇気を帯びた声が響いた。
クロードの動きが、目に見えて硬直する。
俺の背後から、黒いマントを翻してゆっくりと歩み出てきたのは、レオンハルト皇帝その人だった。
「……レオンハルト・ヴァルツ皇帝陛下。お忍びでこのような裏口にいらっしゃるとは」
クロードは表面上は恭しく頭を下げるが、その手にある香炉の煙は止めようとしない。
レオンハルトは、膝をつく近衛騎士たちを一瞥し、そして俺の隣に立って、クロードを見下ろした。
「俺の直属の特権商会に、よくもまあ泥棒猫のように忍び込んできたものだ。……教国は、帝国と戦争をする気か?」
「滅相もない。我々はただ、神の教えに反する『異端の魔女』を浄化しに来ただけです。……陛下におかれましても、あのような得体の知れない女の甘言に乗り、帝国の経済を差し出すのは危険かと」
「ほう? 俺の判断に口出しをするか、狂信者」
レオンハルトの全身から、物理的な重圧が立ち昇る。
だが、クロードは不敵な笑みを崩さない。
「陛下。武力で私を排除することは可能でしょう。……ですが、教国が本気になれば、この『不協和の香』の波長を、帝都全域の魔力網に流し込むことも可能なのです」
「……なんだと?」
レオンハルトの眉がピクリと動く。
「セシリア商会の通信網は、魔力の波長で成り立っている。……我々がその波長に、この精神を破壊するノイズを強制的に割り込ませれば、どうなるか。……帝都中の貴族たちが、通信機の前で発狂し、セシリア商会の信用は完全に地に落ちるでしょう」
クロードの言葉に、俺の背筋に冷たい汗が流れた。
先日のアルベルトの電波ジャックとはレベルが違う。
彼らは、俺の通信網そのものを物理的に破壊する術を持っているのだ。
システムがダウンすれば、O2O戦略も、定期便の課金も、すべてが一瞬で瓦解する。
「……それが、あなたの脅迫の材料ですか」
俺はこめかみを押さえながら、クロードを睨みつける。
「いかにも。……明日の正午までに、あなたの商会のすべての権利を教国に譲渡する契約書にサインしなさい。さもなくば、帝都の空を『不協和音』で埋め尽くして差し上げましょう」
クロードはそう言い残すと、香炉の煙を一つ大きく吐き出し、バサリと黒い法衣を翻して、バックヤードの暗闇の中へと溶けるように消え去った。
後に残されたのは、頭痛に苦しむ騎士たちと、圧倒的な暴力の予告を突きつけられた、最悪の静寂だけだった。




