シーン2:【慈悲という名の経済侵略】崩壊した祖国への『救済(フリーミアム)』
帝都の空を白々と染め上げる朝陽が、会頭執務室の分厚いガラス窓を透過し、大理石の床に真っ直ぐな光の道を引いていた。
昨夜の狂乱と、血生臭い復讐の決着が嘘のように、セシリア商会の朝は澄み切っている。
「……報告いたします」
ノックの音と共に執務室に入ってきたのは、わずかに土埃にまみれた黒銀の甲冑姿のガラン隊長だった。
その表情には、激務の疲労よりも、何か恐ろしいものを見てしまった後のような、深い戦慄が刻まれている。
「先ほど、アルフェン王国との国境線にて、宰相バルディスの『投棄』を完了いたしました」
俺は淹れたてのモーニングティーを片手に、静かに頷く。
「ご苦労様でした。……それで、彼のお出迎えは盛大でしたか?」
「……凄惨、の一言です」
ガラン隊長は目を伏せ、重々しく口を開いた。
「国境のゲートの向こう側には、食料を求めて押し寄せた何千という暴徒(難民)が群がっていました。そこに、身ぐるみ剥がされ、国庫を持ち逃げした張本人であるバルディスが放り出されたのです。……民衆は一瞬静まり返り、次の瞬間、彼を文字通り『波』のように飲み込みました。悲鳴すら、一瞬で途切れました」
「そうですか」
俺の感想は、ただそれだけだった。
紅茶のカップをソーサーに置き、ミッドナイトブルーのドレスの袖を優雅に整える。
自らが飢えさせた民衆の手で裁かれる。彼が選んだ因果応報の、完璧な終着点だ。これで、アルフェン王国の旧体制は完全に息の根を止めたことになる。
「キュプッ」
机の上では、赤いリボンをつけたウニが、平和の象徴のようにふかふかのパン屑を両手で抱えてかじっている。
「さて、過去のゴミ掃除は終わりました。ガラン隊長、悲惨な話の直後に恐縮ですが、ここからは未来の利益の話をしましょう」
俺は立ち上がり、机の上に広げておいた巨大な大陸地図を指差す。
アルフェン王国の領土が、赤黒いインクで塗りつぶされている。
「アルフェン王国は今、王も宰相も失い、完全な無政府状態です。物流は死に絶え、市場からパン一つ、石鹸一つ消え失せている。……この『絶対的な需要の空白』を、私たちは今日、今この瞬間から埋めに行きます」
「う、埋める……? 暴徒が支配する国に、商品を売るのですか?」
ガラン隊長が戸惑ったように問い返す。
「売るのではありません。**『配る』**のです」
俺は背後のキャビネットから、粗末な木箱を一つ取り出し、ドンッと机に置いた。
中には、帝国で大量生産させた安価な固形石鹸、日持ちする乾パン、清潔な包帯、そして少量の塩が入っている。
「名付けて、セシリア商会特製『星屑の救済便』。これを、昨日買い取った旧・商人ギルドの荷馬車数百台に満載し、アルフェン王国の国境から難民たちに向けて無料で配布します」
「む、無料!? タダで配るのですか!?」
ガラン隊長が目をひん剥いて驚愕する。
「ええ。最初の三回までは、完全にタダ(無料)です」
俺は最高に慈愛に満ちた、そして最高に邪悪な笑みを浮かべた。
現代ECやITビジネスにおける最強にして最悪の侵略的マーケティング――**『フリーミアム(Freemium)』**モデルの投入だ。
まずは基本的なサービス(生命線)を無料で提供し、圧倒的なシェアと『依存』を獲得する。
「暴動が起きているのは、彼らが飢えと不安に狂っているからです。そこに、圧倒的な物量と慈悲の象徴として、帝国のセシリア商会が物資をタダで配り歩く。……彼らにとって、私は自分たちを見捨てた王室に代わる、新たな『神』も同然に見えるでしょう」
「……っ」
ガラン隊長が、ゴクリと唾を飲み込む。
「三回無料で配り、彼らが私の商会の石鹸とパンなしでは生きられない体に依存しきったタイミングで……静かに、こう告げるのです。『次からは、わずかな銅貨、あるいはあなた方の労働力で支払ってください』と」
王国の商人ギルドは壊滅した。
彼らには、他に頼る流通網が一切存在しない。
セシリア商会という巨大なパイプラインに一度命綱を握られれば、彼らは二度と逆らうことはできない。暴徒は従順な『顧客』となり、無政府状態の国家は、一つの巨大な『市場』として俺の商会に完全に吸収される。
「血を一滴も流さず、剣も魔法も使わず……経済と流通の力だけで、一国を丸ごと征服(買収)するというのですか……」
ガラン隊長の声は、畏怖に震えていた。
「武力による支配は反発を生みますが、『便利さと依存』による支配は、人々を喜んで奴隷にするのです。」
俺は羽ペンを手に取り、配送指示書に流れるようなサインを書き殴る。
「第一陣、出発させなさい。アルフェン王国の難民たちに、セシリア商会の温かい『慈悲』をたっぷりとお見舞いしてあげましょう」
「……御意。ただちに荷馬車隊を国境へ向けます」
ガラン隊長が深い敬礼を残し、早足で執務室を出ていく。
その背中を見送りながら、俺は冷めた紅茶の残りを一息に飲み干した。
「さあ、アルベルト。お前が守りたかった国は、今日から私の『子会社(下部組織)』だ。地獄の底で、私がこの国をどう美しく染め上げていくか、せいぜい指をくわえて見ているがいい」
巨大な歯車が、音を立てて回り始めた。
復讐の余韻など一瞬で置き去りにし、異世界を呑み込む果てしない経済侵略が、今、最も恐ろしい形で加速していく。




