シーン1:【ネズミ捕りの生中継】黄金に溺れた宰相の末路
ブツンッ。
数千人の熱狂と、滝のように降り注いでいた金貨の雨を強制的に遮断した直後。
防音スタジオの空気は、いまだに常軌を逸した魔力の残滓と、興奮した視聴者たちが残していった『欲望の熱気』でむせ返るように満たされていた。
俺は足首まで浸かった金貨の海をガシャリ、ガシャリと掻き分けながら、制御盤の前に立つ。
「さて。表向きの華やかな祭りは終わりましたが……裏の『ネズミ駆除』の進捗はどうなっているでしょうか」
俺はミッドナイトブルーのドレスの袖を軽くまくり、制御盤の隅にある、赤く塗装された小さなトグルスイッチを弾き上げた。
キィンッ、と。
先ほどまで帝都のホログラム地図を投影していた映像水晶が、ノイズと共に暗転し、直後、緑がかった暗視映像のようなザラついた光景を空中に映し出した。
「おっ、繋がったな。……ガラン隊長の鎧に仕込んでおいた『小型通信魔石』の映像か。周到な女だ」
背後の革張りのソファに深く腰を下ろしていたレオンハルトが、ワイングラスを片手に面白そうに身を乗り出してくる。
「ええ。せっかくですから、宰相閣下の最期の舞台を、特等席で見物させていただこうと思いまして」
映像は激しく上下に揺れている。
ガラン隊長が、重武装の近衛騎士たちを率いて、帝都の東の外れ――第十二倉庫街の石畳を猛烈な速度で駆け抜けている視点(一人称映像)だ。
ガチャガチャという甲冑の擦れる音と、騎士たちの荒い息遣いが、スタジオのスピーカーから生々しく響き渡る。
やがて映像は、巨大で薄汚れた、一つの廃倉庫の鉄扉の前でピタリと止まった。
『……ここだな。セシリア様の特定した座標と完全に一致する』
ガラン隊長の低く、殺意に満ちた声が水晶から聞こえる。
『総員、抜刀! 中にいるのは国家転覆を目論むテロリストだ! 反抗する者は容赦なく斬り捨てろ!』
『はっ!!』
ドゴォォォォンッッ!!!
騎士たちが丸太を抱え、錆びついた鉄扉を蝶番ごと物理的にぶち破る凄まじい破壊音。
粉塵が舞い上がり、ガラン隊長の視界が一気に倉庫の内部へと突入していく。
俺は映像水晶の前で腕を組み、冷酷な観察眼でその光景を舐め回す。
「キュプッ」
肩の上のウニが、映像から漂ってくるカビと埃の匂い(錯覚)に反応したのか、小さなくしゃみをした。俺はウニの背中を指で撫でながら、水晶の奥を凝視する。
『なっ……!? なんだ貴様ら!! なぜここが分かった!!』
粉塵の向こう側から、裏返ったヒキガエルのような男の悲鳴が響いた。
ガラン隊長が歩みを進め、照明魔石の光を前方に突きつける。
そこに映し出されたのは、あまりにも滑稽で、哀れな光景だった。
木箱が乱雑に積まれた倉庫の奥。
かつてアルフェン王国の王城で、黒い法衣を身に纏い、ねっとりとした蛇のような笑みを浮かべて俺を追放した男――宰相バルディス。
彼の身なりは、もはや一国の宰相のそれではなかった。
高級だったはずの法衣は泥と埃で汚れきり、白髪混じりの髪は脂でベタベタに張り付いている。
目の下には、何日も眠っていないような真っ黒な隈。
そして何より傑作なのは、彼がその腕に、はち切れんばかりに膨らんだ数個の『麻袋』を必死に抱え込んでいることだ。
麻袋の破れ目から、アルフェン王国の刻印が打たれた金貨がポロポロとこぼれ落ちている。
「……見苦しいですね」
俺は映像に向かって、心底からの軽蔑を込めて呟く。
彼が抱えているのは、間違いなくアルフェン王国の国庫から持ち逃げした国家予算そのものだ。
俺を追放し、国を崩壊させ、王太子を裏切って逃亡し、その金で俺を陥れるためのデマ工作を依頼していた。
まさに、救いようのない人間のクズ。
『貴様ら、帝国の騎士団か! ま、待て! 話せば分かる!』
バルディスは、周囲を完全に包囲する白銀の甲冑の群れを見て、恐怖に顔を引き攣らせながら後ずさる。
『私を誰だと思っている! アルフェン王国の宰相、バルディスであるぞ! 他国の高官を不当に拘束すれば、国際問題になるぞ!!』
『……国際問題、だと?』
映像越しに、ガラン隊長が鼻で笑う音が聞こえた。
チャキッ、と。彼が白銀の剣の切っ先を、バルディスの喉元スレスレに突きつける。
『貴様の祖国は、すでに暴徒に占拠され、国家としての機能を完全に喪失している。……滅びた国の宰相など、ただの薄汚い盗賊と何ら変わりはない』
『ひっ……!』
『それに貴様は、我が帝国の誇りである特権商会にデマを流し、経済を混乱させようとした。……皇帝陛下への反逆罪だ。生きて帝都の土を踏めると思うな』
ガラン隊長の容赦のない宣告に、バルディスは完全にパニックに陥った。
彼は抱えていた麻袋の一つを乱暴に引き裂き、中の金貨をガラン隊長の足元へとばら撒いた。
チャリン、ジャラララッ!
『き、金ならある! いくらでも払おう! その金貨をすべて君たちにやる! だから私を見逃してくれ! 私はまだ、こんなところで終わるわけにはいかないのだ!』
哀れだ。
本当に、心の底から哀れな男だ。
権力も地位も失い、最後にすがるのは、盗んだ金貨の輝きだけ。
だが、その金貨の量すら、俺がたった一晩の『通信』で稼ぎ出す額の足元にも及ばないというのに。
俺は映像水晶の音声入力スイッチをオンにし、マイクに向かって、氷のように冷たく、そして優雅な声を響かせた。
「……相変わらず、物事の価値というものを全く理解されていないようですね、バルディス閣下」
俺の声が、ガラン隊長の鎧の通信魔石を通じて、薄暗い廃倉庫の空間に朗々と響き渡る。
『……っ!? お、女……!? この声は、セシリアか!?』
バルディスが弾かれたように顔を上げ、声の出所を狂ったように探し回る。
「ええ。ごきげんよう、閣下。……あなたがお使いになった貧相な暗殺者たちは、すでに帝都のヘドロ沼へ転送して差し上げました。今頃、仲良く泥水をすすっている頃でしょう」
『なっ……!? 影蜘蛛が、全滅しただと!? 馬鹿な、あいつらは王国の精鋭……っ!』
「精鋭? あんな時代遅れのなまくらで、私の『システム』に勝てるわけがないでしょう。……それに、あなたが帝都の貧民どもにばら撒いた怪文書も、私の最高のプロモーション(宣伝)として有効活用させていただきましたよ」
俺はクスクスと、心底愉快そうに笑い声を立てる。
「おかげさまで、セシリア商会の売上はまた過去最高を更新しました。……あなたの嫉妬と陰謀は、すべて私の利益(黄金)に変換されたのです。感謝いたしますわ、元・宰相殿」
『き、貴様ぁぁぁっ!! セシリアァァァッ!!』
バルディスの顔が、怒りと屈辱で真っ赤に、いやドス黒く染め上げられる。
彼はもはや理性を完全に失い、懐から隠し持っていた短剣を引き抜くと、通信機の声(ガラン隊長)に向かって、獣のような叫び声を上げながら突進してきた。
『お前さえ、お前さえいなければ私は……っ! 私がこの世界の頂点に立つはずだったのだぁぁっ!!』
俺は映像越しに、ため息を一つ。
「ガラン隊長」
「はっ」
俺の短い許可の言葉と同時。
映像がブレたかと思うと、ガラン隊長の白銀の剣が、一切の無駄のない軌道で閃いた。
ドスッ!! という鈍い肉を打つ音。
『がっ、あぁっ……!?』
バルディスの突進が、不自然な形でピタリと止まる。
ガラン隊長の剣の柄頭が、バルディスの鳩尾に、骨を砕かんばかりの威力で正確に叩き込まれたのだ。
短剣が床に落ちて甲高い音を立てる。
バルディスは白目を剥き、胃液を口から撒き散らしながら、自分が持ち逃げした金貨の海の中へ、ドサリと無様に崩れ落ちた。
完全に意識を刈り取られた、ピクピクと痙攣するだけの肉の塊。
『……制圧完了。セシリア様、このゴミはどう処理いたしますか。この場で首を刎ねることも可能ですが』
ガラン隊長が、ゴミ虫を見るような目で足元の男を見下ろしながら通信越しに尋ねてくる。
俺はしばらく無言で、その無様な男の寝顔を水晶越しに見つめていた。
追放されたあの夜、こいつが俺に向けた勝ち誇った蛇のような笑み。
それが今や、俺の足元にも及ばない場所で、ただの無力な敗北者として転がっている。
復讐は、完全に果たされた。
「……殺す必要はありません」
俺は静かに、通信機のマイクに向かって告げた。
「その男の全財産――持ち逃げした王国の国庫の金は、すべて帝国の国庫(皇帝陛下)への没収対象として回収してください。……そして、身ぐるみ剥がしたその男は、帝都の地下牢へ」
『地下牢で、一生飼い殺しにするのですね?』
「いいえ」
俺の唇に、三日月型の、最も残酷な笑みが浮かぶ。
「明日の朝一番で、その男を『アルフェン王国の国境』へ、放り出してきてください」
『……国境へ? アルフェン王国へ送り返すということですか?』
「ええ。……王都は今、金と食料を持ち逃げした宰相への怒りに燃える『暴徒』に完全に支配されています。……そこに、一文無しになった張本人が、丸腰で放り出されたらどうなるか」
俺の言葉の意味を理解した瞬間、通信の向こう側のガラン隊長が、そして背後のソファに座っていたレオンハルトが、同時に「っ……」と息を呑む気配がした。
物理的に殺すのではない。
彼自身が作り出した『怒れる民衆の波』の中に、彼を素裸で放り込むのだ。
その結末がどれほど凄惨なものになるか、想像するだけでも反吐が出る。
「一番ふさわしい舞台を用意してあげただけです。……ガラン隊長、後処理をお願いします。私は少し、疲れました」
ブツンッ。
俺は通信スイッチを切り、映像水晶の光を完全に落とした。
スタジオの中は、再びキャンドルの淡い光と、深い静寂に包まれる。
足元の金貨の海に、俺の影が長く伸びている。
終わった。
アルベルトも、バルディスも。俺を理不尽に虐げ、自分の欲望のために国を滅ぼした愚か者たちは、これで完全にこの世界から退場した。
「……見事な手際だったな、セシリア」
背後から、レオンハルトがグラスを片手にゆっくりと歩み寄ってくる。
彼は俺の隣に立ち、暗転した水晶をじっと見つめながら、低い声で言った。
「これで、お前の商売を邪魔する物理的な障害は、すべて排除された。……気分はどうだ? 復讐を果たした感想は」
俺は目を閉じ、一度だけ深く深呼吸をする。
胸の奥で渦巻いていた黒い感情は、すでに跡形もなく消え去っている。
代わりにそこにあるのは、底なしの野心と、この手で世界を作り変えるという絶対的な支配欲だけだ。
「復讐なんて、ただの『ついで(タスクの一部)』ですよ、陛下」
俺は目を開け、レオンハルトの黄金の瞳を真っ直ぐに射抜いて、妖しく微笑んだ。
「私の本番は、ここからです。……古い国が一つ滅びた。なら、その空いた穴(市場)を、私の商会が丸ごと飲み込むまでのこと。……そうでしょう?」
皇帝は俺の傲慢な宣言を聞き、腹の底から歓喜の笑いを響かせた。
夜明け前。最も暗い時間の中で、セシリア商会の完全なる覇権が、ここに確立されたのだ。




