シーン2:【全帝国生放送の公開処刑】哀れな王太子と、完璧な論破
「本当に……どこまで自分の頭でお考えになれないお方なのでしょうね、殿下は」
俺の唇からこぼれ落ちた、氷点下の冷気すら孕んだ極上のため息。
それは、真っ赤なノイズで塗り潰されていた映像水晶の向こう側、アルフェン王国の執務室で喚き散らしていたアルベルトの鼓膜を、物理的な平手打ちのように強烈に打ち据えたはずだ。
通信機から響いていた彼の怒鳴り声が、ピタリ、と不自然に途切れる。
沈黙。
スタジオ内に満ちていた『白百合の吐息』の深く甘い香りが、オゾンの焦げた匂いをゆっくりと上書きしていく。
『……なっ、なんだと? 貴様、今、私に向かって何と……』
数秒の空白の後、アルベルトの震える声がノイズ混じりに響く。
怒りよりも、理解が追いつかないというような間の抜けた声だ。
自分が絶対的な権力者であり、命令すれば俺が泣いて喜んで帰ってくると思い込んでいた彼の哀れな脳髄が、俺の『拒絶』という事実を処理しきれていないのだ。
俺は作業台に手をつき、通信魔道具のレンズ(カメラ)に向かって、ゆっくりと、そして残酷なまでに優雅な微笑みを向ける。
「聞こえませんでしたか? 殿下のその薄っぺらい頭蓋骨の中身を、心底から心配して差し上げているのです」
『き、貴様ぁぁっ! 王族に向かってその口の利き方はなんだ! 私はお前を許してやると言っているのだぞ! この恩知らずの毒婦め!』
「恩、ですか」
俺はクスクスと、本当に可笑しくてたまらないというように肩を揺らして笑う。
足元では、ウニが赤いリボンを揺らしながら、「キュアッ!」とアルベルトの声に向かって威嚇するように背中の針を逆立てている。
「冤罪をでっち上げ、私から公爵家の商会と財産をすべて奪い、着の身着のままで国境の外へ放り出した。……それが殿下の仰る『恩』でしたら、私は一生その恩を忘れることはありませんよ」
『そ、それは……っ! バルディスが悪いのだ! 私はあいつに騙されただけの被害者――』
「言い訳は結構です。それよりも殿下、ご自分が今、どれほど致命的な状況で、どれほど恐ろしい相手に喧嘩を売っているのか、まったく理解されていないようですね」
俺は制御盤に手を伸ばし、アルベルトの強引な波長ジャックによって弾き飛ばされていた、帝国の貴族たちからの『コメント受信回路』の出力を、強制的に最大まで引き上げる。
ガチャンッ! という物理的なレバーの音がスタジオに響く。
すると、真っ赤に染まっていた映像水晶の表面に、青白い光の文字がバチバチと火花を散らしながら、凄まじい勢いで突き破るように浮かび上がってきた。
『……なんだこの無礼な男は! アルフェン王国の王太子だと!?』
『我々を「愚かな民草」と呼んだな! 没落寸前の泥舟の王族風情が、帝国の貴族を愚弄する気か!』
『セシリア嬢に偉そうに命令するな! 彼女は我々の美を司る女神だぞ!』
何千という帝国貴族たちの怒り狂ったコメントが、アルベルトの赤いノイズを物理的に押し潰さんばかりの勢いで画面を埋め尽くしていく。
アルベルトが息を呑む気配が、回線の向こうから生々しく伝わってくる。
「お分かりですか、アルベルト殿下」
俺はカメラのレンズを、いや、その向こうで青ざめているであろう男の瞳を真っ直ぐに射抜く。
「あなたが今『愚かな民草』と呼んで見下した方々は、この強大なヴァルツ帝国を支える誇り高き貴族の皆様です。……他国の回線に無断で侵入し、あまつさえその国の貴族を公然と侮辱する。これは立派な『宣戦布告』と受け取られても文句は言えませんよ?」
『ひっ……!? ち、違う! 私はただ、お前を連れ戻すために……っ! 帝国の貴族を侮辱するつもりなど……!』
アルベルトの声が、一瞬にして裏返り、情けない悲鳴へと変わる。
自分の不用意な発言が、アルフェン王国を完全に滅ぼしかねない外交問題に発展したことに、今更気づいたのだ。
コメント欄の勢いはさらに加速し、『帝国軍を動かせ!』『あの小国を地図から消し去ってしまえ!』という、血の気の多い帝国貴族らしい過激な言葉が次々と飛び交い始める。
「それに、もう一つ。殿下は致命的な勘違いをされています」
俺はミッドナイトブルーのドレスの袖を優雅に翻し、自分の胸に手を当てる。
「私をアルフェン王国の臣民と呼び、王命などというカビの生えた鎖で縛ろうとしていますが……私はすでに、このヴァルツ帝国の皇帝レオンハルト陛下と、直属の『特権商会』としての専属契約を結んでおります」
『こ、皇帝と……専属契約、だと……?』
「はい。つまり、私は今や帝国の保護下にある、帝国の商人です。……他国の人間である殿下が、私に命令を下す権限など、この宇宙のどこを探しても存在しません」
俺の完璧な論破に、アルベルトは完全に言葉を失った。
ノイズの向こう側から聞こえてくるのは、彼の荒い呼吸音と、執務室の外から聞こえる暴徒たちの「門を破れ!」という怒号、そしてガラスが割れる生々しい破壊音だけだ。
『……待ってくれ、セシリア。嘘だ、嘘だと言ってくれ!』
数秒後、絞り出すような、泣きすがるような男の声が響いた。
それはもはや、王太子としてのプライドも威厳もすべてかなぐり捨てた、ただの哀れな敗北者の命乞いだった。
『お前がいなければ、物流が動かない! 暴徒が王城になだれ込んでくる! 私を、私を見捨てるのか! 私たちは、愛し合っていた婚約者同士だったじゃないか!!』
「……愛、ですか」
俺は心底呆れ果て、手元にあった薄桃色の香水瓶を再び持ち上げる。
「殿下の愛は、ずいぶんと安っぽくて、そして泥の臭いがするのですね」
俺はカメラの前で、ノズルを指先で軽く押し込む。
シュッ……。
白百合の香りを孕んだ微細な霧が、再び照明の光を浴びてキラキラと舞い散る。
「私に必要なのは、過去の泥水ではありません。帝国の皆様と共に歩む、この美しく芳醇な未来だけです」
『セシリアァァァッ!! 頼む、金ならいくらでも払う! 我が国の国庫をすべてお前に――』
「ない国庫の底をひっくり返しても、埃しか出ませんよ。……それに」
俺は冷たい目で通信魔道具の強制遮断レバーに手をかける。
そして、この全帝国に生放送されている最狂の公開処刑の舞台を、極上のエンターテインメントとして締めくくるため、カメラに向かってウインクをして見せた。
「皆様の貴重なお時間を、これ以上あのような『粗悪品』の騒音で汚すわけにはいきませんわ。……セシリア商会は、不快な営業妨害を徹底的に排除いたします」
俺の指が、レバーを容赦なく弾き飛ばした。
ガコンッ!!
『いやだ! 切るな、切らないでくれセシリアァァ――』
アルベルトの断末魔の絶叫が、途中でブツリと無残に切断される。
真っ赤に染まっていた映像水晶が、パァンッ! という軽い破裂音とともに元の透明な輝きを取り戻し、スタジオを満たしていた不快なノイズが嘘のように消え去った。
「ふぅ……。大変お見苦しいところをお見せいたしました、帝国の皆様」
俺は姿勢を正し、何事もなかったかのように、再び完璧な令嬢の微笑みを浮かべてカメラを見つめる。
「古い時代の亡霊が、少々迷い込んでしまったようです。……さあ、空気がすっかり淀んでしまいましたね。このような不快な気分を吹き飛ばすためにこそ、この『白百合の吐息』が必要なのです」
俺がそう言って香水の小瓶を胸の前に掲げた瞬間。
綺麗に青白い光を取り戻したコメント欄が、今まで見たこともないような、それこそ昨日の『福袋』の時すら凌駕するほどの、凄まじい勢いで爆発した。
『素晴らしい! 見事な切断だ、セシリア嬢!』
『あの小国の王太子を完膚なきまでに叩き潰す姿、痺れたぞ!』
『よくぞ言ってくれた! 帝国の貴族をコケにしたあの男に、最高のざまぁみろだ!』
『お前は帝国の誇りだ! 我々がお前を全力で支えてやる!』
俺がアルベルトを公然と見下し、帝国貴族たちの名誉を守り抜いた(ように見せた)ことで、彼らの俺に対する『帰属意識』と『忠誠心』が、完全に狂信的なレベルへと昇華されたのだ。
彼らにとって俺は、ただの便利な商人ではない。
帝国の誇りを胸に、外部の敵を華麗に退ける『戦う女神』として認識された瞬間だった。
『だから、その香水を売れ!! 百本だ!』
『私の館の空気をすべてそれに塗り替えてやる! 言い値で買うぞ!』
『セシリア商会、万歳!! 金貨の用意はできている!!』
(……落ちた。完璧だ。炎上商法からの、愛国心を利用した最強のプロモーション!)
俺は内心の狂喜を必死に抑え込みながら、ウニの頭を優しく撫でる。
「キュイッ!」とウニも画面に向かって誇らしげに鳴き声を上げる。
これほどまでに客の財布の紐が緩みきり、むしろ「金を払わせてくれ」と懇願してくる状況など、前世のどんなカリスマ実演販売士でも作り出せないだろう。
「皆様の温かいお言葉、セシリアは涙が出るほど嬉しゅうございます」
俺は本当に感極まったように声を震わせ(もちろん演技だ)、物質転送陣の決済ゲートのロックスイッチに指を乗せる。
「この『白百合の吐息』……皆様の不快な記憶をすべて洗い流すため、本日は特別に『無制限』でご用意させていただきました! お値段は金貨十五枚! もちろん、会員証へのポイント還元も適用されます!」
俺の目元が、ギラリと猛禽類のような鋭い光を放つ。
「さあ、皆様。帝都の夜を、我々の美しき香りで埋め尽くしましょう。……販売、開始です!!」
カチンッ!
俺が決済ゲートを開放した瞬間。
ジャララララララララララララッ!!!!
ガァァァンッ!! チャチャチャリンッ!!
スタジオの壁一面に設置された六つの物質転送陣から、まるで決壊したダムのように、黄金の奔流が暴力的な音を立てて吐き出され始めた。
金貨、金貨、金貨の嵐。
それは、アルフェン王国の崩壊を祝う弔鐘であり、同時に、俺という怪物がこの世界を完全に掌握したことを知らせる、最高の祝砲の音だった。




