第486話 掠奪者の横槍
崩壊した宇宙創造株式会社の本社ビルから、最後の登記データが吸い上げられようとしていた。神崎理子の鉄の義手が、宇宙の主権を確定させるための最終承認ボタンに触れようとしたその瞬間。
モニターが激しいノイズと共に真っ赤な警告色に染まり、理子の操作が強制的にロックされた。
「……何よ、これ。チェックメイトは済んだはずよ。アリス、何が起きているの!」
理子の鋭い声が司令室に響く。アリスのホログラムが、見たこともないほどの速度で演算処理を繰り返し、その顔を驚愕に歪めた。
「理子最高経営責任者、信じられない事態です。当社の強制清算が完了する1マイクロ秒前、宇宙創造株式会社の全株式が、外部の特定目的会社によって一括買収されました。買収価格は、負債総額を1円だけ上回る金額。これにより、同社は倒産を免れ、新たな親会社の管理下に置かれました」
「買収? この状況で、あの不良債権の塊を買い取る物好きがいるっていうの?」
理子が問い返す間もなく、メインモニターにあの不快な、石化した男の顔が映し出された。宇宙盗賊ホローフィンガーの首領、ベギルだ。
「ハハハ! 最高の眺めだったぞ、神崎理子。貴様が市場を大暴落させ、あの中身の空っぽな神々のプライドを完膚なきまでに叩き潰す様子はな」
「ベギル……あんた、何のつもりよ。倒産した会社の残骸を拾って、ゴミ拾いのボランティアでも始める気?」
理子の冷徹な視線に対し、ベギルは不敵な笑みを深めた。
「ゴミだと? 貴様は賢すぎて、逆に見落としたようだな。宇宙創造株式会社が抱えていたのは、単なる負債ではない。彼らは、この次元における『平和の維持義務』を独占的に契約していた。貴様が株価をゼロにしたことで、彼らはその義務を履行できなくなった。そこへ俺が『ホワイトナイト』として乗り込み、彼らの債務を引き受ける代わりに、この宇宙のあらゆる秩序、すなわち平和を司る全権限を格安で手に入れたのだ」
理子の隣で、葛城総理が悔しげに唇を噛んだ。
「……やられたわね、理子。あいつ、私たちが市場を壊すのを待っていたのよ。価格が底を打った瞬間に、当社の監査が及ばない休眠会社を経由して、会社の『法人格』だけを買い取った。中身の資産なんてどうでもいい。あいつが手に入れたのは、この世界を平和にするのも、地獄にするのも自由だという、絶対的な決定権よ」
ベギルは指を鳴らし、掠奪者たちの旗艦を要塞千代田の目の前にワープさせた。
「貴様は正当な手段で宇宙を救おうとした。だが俺は、貴様の作った不条理を利用して、宇宙そのものを人質に取ったのだ。これより、平和を維持するためのコストとして、全次元から無限の通行税を徴収させてもらう。文句があるなら、俺という『正当なオーナー』を力ずくで解任してみるがいい」
通信が途絶え、司令室に重苦しい沈黙が流れる。理子は鉄の義手から火花を散らし、静かに立ち上がった。
「一杯食わされたわね。……アリス、現状の分析を」
アリスは沈痛な面持ちで、膨大な因果律のデータを空間に投影した。
「理子最高経営責任者、事態は極めて深刻です。現在、ホローフィンガーが宇宙創造株式会社を吸収合併したことにより、この宇宙の平和という概念そのものが、彼らの私有財産として担保に設定されました。彼らが存在する限り、宇宙の平和は彼らの利益のために浪費され続け、最終的にはすべての次元が回復不能な資源枯渇に陥ります」
アリスの声は、かつてないほどに切実だった。
「ですが、逆を言えば、解決策は単純です。ホローフィンガーという組織を完全に解体し、彼らが不当に取得した主権を強制的に剥奪すること。それさえ達成できれば、宇宙の因果は正常な自律サイクルを取り戻し、真の意味での平和が訪れます。……理子様、これこそが当社の、そしてあなたの最後の残業になります」
理子はアリスが淹れた、最後になるかもしれない最高に苦いコーヒーを一口啜った。
「平和、ね。そんな大層なものに興味はないけれど、私たちが苦労して整理した帳簿を、あんな掠奪者に横流しされるのは、経営者として絶対に許せないわ」
理子は鉄の義手を司令席のコンソールに叩きつけた。
「アーサー、ランスロット、ネット! 全社員に告げなさい。これよりホローフィンガーに対する、最終的な敵対的買収を仕掛けるわよ。弾丸は1発残らず使い切りなさい。あいつの持っている『平和』という名の資産を、力ずくで当社の純利益に書き換えてやるわ!」
「了解しました、理子社長! 当社の全資本、いや、俺の魂の1滴まで、この一撃に注ぎ込みます!」
ネットが叫び、要塞千代田の重力炉が臨界を超えて鳴動を始めた。
「理子、いくわよ。あいつを倒して、この不自由な宇宙に、最高の決算報告書を叩きつけてあげましょう」
葛城の意志が理子と完全に同期し、要塞は紫色の雷光を纏って加速した。
掠奪者ベギル。
そして、彼が盾に取る偽りの平和。
そのすべてを粉砕し、真の黒字を確定させるため、神崎理子は戦場へと踏み出した。
営業再開よ。
宇宙の平和を、当社の独占事業にしてあげるわ。




