第484話 市場の崩壊
要塞千代田が次元の境界線を踏み越えた先、そこは漆黒の宇宙ではなく、無数のモニターとリアルタイムで変動する光のグラフが交差する、巨大な証券取引所のような空間であった。宇宙創造株式会社。神々を子会社として従え、因果律を資本として運用するその総本山は、整然とした論理の壁に守られていた。
「アリス、敵の防衛網をスキャンしなさい。物理的な装甲なんてどうでもいい。あいつらの資産的価値の根源はどこにあるの?」
理子は司令席で足を組み、漆黒の鉄義手を鳴らした。
「スキャン完了。理子最高経営責任者。宇宙創造株式会社の株価、すなわち存在の信用は、彼らが管理する安定した因果律の総量によって担保されています。彼らは、この書庫から回収した物語のエネルギーを資産として計上し、宇宙の運営資金に充てているようです」
「なるほどね。安定した因果律を売りにしているわけだ。でも、その帳簿の裏側には、私たちがさっき買収した膨大な忘却の書庫という名の不良債権が隠されていた。……葛城、準備はいい? 私たちが最初に放つ弾丸は、聖剣でも魔術でもないわ」
理子の瞳に、底知れない悪意を含んだ経営者の笑みが浮かんだ。
「ええ、分かっているわ。相手が会社を名乗るなら、市場のルールで叩き潰してあげる。アリス、当社が保有する書庫内の全物語、その中でも特に悲惨な破綻を遂げた100万通りのバッドエンドを、一斉に公表しなさい」
1.空売りの号令、あるいは概念的空売り
理子が命じたのは、現実の株式市場でも猛威を振るう「ネイキッド・ショート(無担保空売り)」と「ネガティブ・レポートの同時投下」を組み合わせた、最悪の先制攻撃であった。
「宇宙創造株式会社の全株式に対して、1000兆株の空売り注文を出しなさい。証拠金? そんなの、私たちがこれから暴く彼らの嘘そのものを担保にすればいいわ!」
「了解しました。空売り執行。同時に、新生ユグドラシル社格付け部門より、特別監査レポートを全次元へ向けてブロードキャストします。タイトルは、宇宙創造株式会社、崩壊した物語を隠蔽した巨額粉飾決算の疑い、です」
ネットの指がキーボードの上で爆ぜるように動き、要塞から放たれた情報の毒が、敵の本社のメインサーバーへと突き刺さった。
「清算人たちや極鬼たちが、なぜあれほど必死に物語を回収していたか。それはね、彼らが投資家たちに見せている美しい宇宙という商品が、実は中身のない空っぽの物語に、私たちの書庫にある死骸を詰め込んで誤魔化していただけだからよ。この事実が市場に知れ渡れば……」
理子の言葉が終わる前に、周囲の空間を流れる光のグラフが、垂直に近い角度で急落し始めた。
2.パニック・セリング、あるいは因果の暴落
「何だ……!? 何が起きている! 存在の信用が……1分間に10パーセントずつ消失していく! 監査局は何をしている!」
宇宙創造株式会社の本社ビル、その中枢で、高級なスーツに身を包んだ神々の幹部たちが、阿鼻叫喚の声を上げていた。彼らが神聖な力として振るっていた因果律は、今や市場での価値を失い、ただのノイズへと退行していく。
「局長! 投資家たちが一斉に物語を引き出そうとしています! 彼らは、自分の住む宇宙が粉飾された偽物だと疑い始めました! 存在の取り付け騒ぎです!」
理子たちの放ったネガティブ・レポートは、真実であればあるほど、その破壊力を増した。かつて理子たちが掃除したあの書庫の惨状こそが、この会社の破綻を証明する動かぬ証拠だったのだ。
「いい気味ね。アリス、次の追い打ちよ。価格維持工作(買い支え)を阻止しなさい。彼らが市場に流している安定化エネルギーのルートを、ネットのデバッグで強制的に遮断するのよ」
「了解です、理子さん。奴らの買い注文、全部エラーコードで上書きしてやりました。今の市場には、売りしか存在しません。パニックは連鎖し、加速度的に価値が消滅していきます!」
要塞千代田の外壁では、アーサーとランスロットが、自分たちの武器が光り輝き、逆に軽くなっていくのを感じていた。
「理子様、これは……! 敵の威圧感が、目に見えて萎んでいく。奴らの放つ雷光が、まるで安物のイルミネーションのように力を失っている!」
「そうよ、アーサー。価値のない会社に、私たちを裁く権利なんてないわ。相手の資産価値をゼロにすれば、彼らの放つ魔法も、神聖な法も、ただの無断欠勤者の言い訳に変わるのよ」
3.強制清算の刻、あるいは理子の非情
理子は、急落し続ける株価チャートを満足げに眺めながら、最後の一撃を予約した。
「宇宙創造株式会社の時価総額が、設立時の1パーセントを切ったわね。アリス、マージンコール(追証)を発生させなさい。彼らに、自分たちの宇宙を維持するために必要な担保を、今すぐこの場に差し出すよう通告するのよ」
「通告完了。しかし、彼らにはもう、支払えるだけの資産は残っていません。粉飾がバレ、信用は地に落ち、手元にあるのは私たちが押し付けた負債だけです」
「そう。なら、答えは一つね」
理子は立ち上がり、鉄の義手を敵の本社ビルへと真っ直ぐに向けた。
「宇宙創造株式会社、全資産の強制清算を開始するわ。……葛城、あんた。この暴落した会社、1円で買い叩いて、当社の完全子会社にしてあげなさい」
「ええ、理子。これほど安くなった因果律なら、私の支配下に置くのも容易いわ。親会社の椅子、今日から私たちが座らせてもらうわよ」
理子の号令とともに、要塞千代田は暴落の嵐を突っ切り、価値を失い、機能不全に陥った敵の心臓部へと猛然と突入していった。先制攻撃は完璧に成功した。敵は剣を抜く前に、自分たちの立っている地面そのものを剥ぎ取られ、破産という名の地獄へと突き落とされたのだ。
理子の不敵な笑みが、崩壊する市場の赤い光の中で、誰よりも誇らしげに輝いていた。
「営業再開よ。……倒産手続きは、私が直々に執り行ってあげるわ」




