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第六話 勇者の旅立ち

「ユウシャガ、タビニデルヨー」

「……映してくれ」

「サーイエッサー」

 夜会の日から、しばらくが過ぎたある日のこと。

 千里くんと二人きりで山積みされた書類を片付けていると、千里くんから重大な報せがもたらされた。

 ついに、物語が本格的に動き始める。


 勇者の旅立ちの日。


 氷でできた壁に、千里くんが見ている視界が投影された。

 月が一巡する時間。つまり三十日ほどが経ち、召喚された当日よりは強い眼差しを持つようになった勇者ヤマトが映し出されている。東洋人の特徴を持つ顔立ちだ。側には、すっぽりとフードを被った白装束の聖女と、勇者ヤマトを異世界から連れてきた妖精がいた。

 たった三人のパーティ。あまりにも頼りないが、物語上はこれでも問題なく進めるようになっている。それだけ神が勇者に与えた力が特別だということなのだろう。

 余談ではあるが、百六十年前の魔王討伐の際には、勇者の仲間はかなりの人数がいたと聞いている。攻める側は、守る側よりも不利な面が多い。移動による疲労、連戦に次ぐ連戦、補給物資の問題に、移動手段。とてもではないが、片手に収まる人数で解決できるとは思えない。だからこそ数をそろえてきた人間に、彼らを侮っていた魔族たちは敗北した。

 しかし今回は、千里くんを通して見る限りでは三人だけ。もし俺が人間側なら、前回の成功から今回も同じ布陣にする。だからこそ、三人だけの出立を俺は信用していない。今見えている光景は、物語上の演出である可能性も考慮しておくべきだろう。

「千里くん、音も拾ってくれ」

「カシコマリクエスト!」

 一瞬だけノイズが入り、すぐにクリアな音声へと切り替わる。勇者ヤマトが、聖女と妖精に話しかけているところだった。


『みんなを苦しめる魔王を倒して、平和を取り戻そう!僕たちなら、できるよ!』


 うーん、真っ当な熱血少年だ。

 だがしかし、彼が言う「みんなを苦しめる魔王」など、実は存在しないのである。

 百六十年前なら、いざ知らず。新たなデモネリアは、一度も人間領を攻撃していない。そんなことをする暇があるなら、魔族領を豊かにする方を選ぶ。

 ある所から奪えば、双方の資源が枯渇して共倒れする未来しかみえないが、『ない』を『ある』に変えていけば、より多くの富を生み出せる。

 俺の考えにアグニラードも賛成してくれて、デモネリアは侵略ではなく生産への道を選んだ。今では、人間領への侵略は、魔王アグニラードの名において粛正対象となっている。

 つまり人間たちを悩ませているのは、魔族でも悪魔でもない。人間領で生まれた、魔物たちだ。

 魔物は繁殖行動により個体を増やすので、人間領にも普通に生息している。襲われた人間や集落は気の毒に思うが、それらは魔族領とは何の関係もない。

 友好的に来てくれれば、こちらとしても魔物の家畜化などのノウハウを伝えられるんだがな……。

 勇者ヤマトが二人に語って聞かせている決意の内容から察するに、光の王国は「魔王によって操られた魔物たちが人々を襲っている」という筋書きを広めているらしかった。

 アグニラードがそれをするメリットがゼロすぎて、逆に面白い。人間たちは知らないだろうが、今の魔族領の生活水準は光の王国さえも上回っている。人間の土地は、俺たちにとって価値あるものではない。

 さらには、戦力ダウンにより弱体化している魔族が言うことではないが、人間たちの個体差はかなり歪だ。全員がある程度戦える魔族や悪魔とは違い、ほとんどの人間は剣も魔術も使えない。だから、人間たちを支配することについても、何の魅力も感じられなかった。

 だが勇者ヤマトは何も知らず、修行期間中にたっぷりと、光の王国にとって都合の良い話を刷り込まれたのだろう。そして彼は、真っ直ぐな正義の心を持つ勇者となった。

 悪いのは彼ではない。彼に偽りを吹き込んだ者たちがいる。

 聖女は、おそらくその一人だ。今も勇者ヤマトの決意を聞いて、フードに隠れた頭を、同意するように縦に振っていた。

「シルリーン、ツカレタワー」

「あぁ、音声付きだったからな。もういいぞ、千里くん」

 千里くんの千里眼(クレアボヤンス)は、ただでさえ魔力の消費が大きいが、音声機能をオンにすると一気にそれが加速する。それでも、座ったままで相手の情報を得られる利益は得難いものだ。

 勇者の旅立ちは、確認できた。

 児童書『勇者ヤマトの冒険』では、この後一年ほどかけて山あり谷ありの冒険をしながら、魔族領へと向かっていく。この山あり谷ありというのは、魔物に襲われている人々を助けたり、勇者ヤマトを亡き者にしようと襲いくる魔族や悪魔との戦いなどが含まれている。前者は俺にはコントロールできないので仕方ないが、後者の発生確率はゼロだ。もしそんな真似をしようとする魔族か悪魔がいたら、ベンゼルを派遣してこっちで片付ける。物語としては盛り上げ役として襲撃が必要だとしても、少人数でこまめに襲いかかるなど、相手の成長を促しているだけの行為。俺から見れば、ただのフレンドリーファイアでしかなかった。

 そんな理由もあり、勇者ヤマトの魔族領入りの時期は物語より早くなると予想している。

 魔族領に入れば、地の利はこちらにある。勇者ヤマトを、彼の仲間たちから引き離すこともできる。

 ——そこからが、俺にとっての勝負だった。

 何としても勇者を捕獲し、元の世界へ帰るように説得する。帰還のための術は俺が組み立てた。あと必要なものは、莫大な魔力と、本人の「帰りたい」という強い意思だ。異世界への召喚に耐えられる魂が心から願った時に、元の世界への扉は開かれる。


 光の剣を持つ勇者が危険だと言うのなら、勇者自体にいなくなってもらう。


 この計画は、今のところはアグニラードと俺、そしてベンゼルが知っていた。もっと話が具体的になり、実行段階になれば、序列上位であるヴェンデッタとクエイクにも伝える予定だ。クエイクはアレな感じだが、強いので役には立つ。

 勇者がいなくなれば、魔王を倒す手段もなくなる。帰還後は聖女と妖精を捕らえて、まずは勇者召喚の儀に関する情報を全て吐いてもらう。その後は彼女たちには申し訳ないが、天寿を全うするまで魔族領で監視の元、静かに暮らしてもらう。この案は、ベンゼルを説得するのに時間がかかった。彼女は、情報を吐かせてから殺せばいいと考えていたからだ。俺もそれが楽だとは、思う。

 けれど俺がいなくなった後のデモネリアで、アグニラードが最初に見る光景が聖女と妖精の処刑になることは避けたかった。


 ——……アグニラード。


 映像と音声が消えて静かになった執務室で、俺は重いため息をついた。


『シルヴェウス、大好き。これからも、俺と一緒に生きてよ』


 あの夜聞いた言葉が、何度でも耳に蘇る。

 寿命のない魔族。

 寿命のない、魔王のアグニラード。

 好きな相手ができたと言っていた。

 俺が死んだ後、その『誰か』がアグニラードを支えてくれればと考えていた。

「…………まさかの、俺か……」

 ちゃっかり廊下で会話を聞いていたらしい——魔族は耳もいい——ベンゼルに、後日「え?そーゆー駆け引きじゃなくて、ガチで気付いてなかったん?えぐ(笑)」と言われてしまった。えぐくない。気付くわけないだろ。こっちはアグニラードが氷製のゆりかごで寝てた頃から知ってるんだぞ。多少密着度の高いスキンシップがあったとしても、甘えてるんだなって考えても仕方ないだろ。


 ……でも。

 …………俺か。

 ——……俺か〜。

 

 その可能性は、正直想定していなかった。アグニラードなら、もっと良い相手がいると思うんだが。

 困ったことになった、と頭を抱える。

 ……俺は、近い将来死ぬ。

 これは避けられない事実だ。

 怖いと思わないのは、俺の精神に人間だった頃の感覚が残っているからだろう。百六十年は、人間の生の二回分。大往生すぎる。

 だから怖くはないが、多少の焦りは感じていた。計画を完遂できる時間が残されているか、という点において。

 俺が心配しているのは勇者ヤマトの帰還の成功と、もう一つ。

 俺が死んだ後の、アグニラードのことだ。

 今までは「俺が死んだらアグニラードは悲しむだろうから、側で支えてくれる相手を見つけて結ばれてほしい」と願っていた。

 だがアグニラードは、その相手が俺だと言う。


 死ぬのに。

 俺は、死んでしまうのに。


「シルリーン、ナクナー」

「泣いてないっ……。泣きそうなのを我慢してるだけだ」

 ずびっと鼻を啜り、書類を寄せてから机の上に突っ伏した。

 あの夜以来、アグニラードとは顔を合わせていない。避けているわけではなく、本当に単なる偶然で。

 よりによって、狂竜が発生してしまったのである。

 竜種は、魔の者たちとも違う生態を持つ存在だ。寿命がないところは魔族と似ているが、大きく違うのは、必ず番(つがい)で行動すること。そして竜種の番は、同種には限らない。だから数十年に一度は、こうした狂竜が発生する。

 ……番に死なれた、竜が。

 竜種にとって狂竜になることは、何よりも耐え難い苦痛だとされている。死ぬことでしか、救われない。だが同時に、彼らは同種殺しを禁忌としている。そこで考えた末に、遥か昔から竜種と共存してきた魔族に取引を持ちかけてきた。力を貸す見返りとして、狂竜を眠らせてやってほしいと。

 俺も過去に一頭だけ、手にかけたことがある。正直、強かった。そして、……何より悲しかった。俺が倒したのは、飛竜だったが、その手に番だろう一羽の鳥を抱いていた。

 今回アグニラードが眠らせる竜は、俺が倒した飛竜よりもずっと強い。当代の竜王の、弟だ。竜王から、直々に依頼があった。竜種か魔族から番を選べという竜王の意見に耳を貸さず、竜王の弟は寿命がある種族を番にしてしまったのだという。

 そして、ついに寿命が尽きた。

 相手は、竜王の弟。魔族の中でも単独で勝てるのは、序列三位以上の者くらいだろう。

 アグニラードは、狂竜を相手にするのは初めてだ。狂竜が使う『嘆きの声』は、精神の深い場所を揺さぶる。これから俺の死を見なければならないアグニラードに、このタイミングで出会わせたくはない相手だった。

「……いや、待てよ。死ぬところを見せなきゃいいのか?」

 俺は顔を上げた。

 嫌われればいいのでは?と考えたりもしたが、もし逆にアグニラードが俺に嫌われるような行動を取ったりしたら、俺ならまず「何か言えないことを抱えているのでは?」と心配する。なので、この案は早々に却下していた。

 そこで、今思いついたプランBだ。

 嫌われる方向に持っていくのではなく、俺がどこか遠い場所で生きていると思わせ続けるのはどうだろう。

 最初は悲しむかもしれないが、死ぬよりはダメージが少ない気がする。何百年か経てば、どこか別の場所で元気にやっているだろう俺よりも、傍にいる誰かに目を向けるようになるのではないだろうか。

 我ながら、良い案だ。

 道が開けた気がした。

「勇者ヤマトの帰還に巻き込まれて別の世界に行ったことにすれば、目の前で死ぬよりは、アグニラードを悲しませずにすむ。よし、この計画で行こう」

 グッと、握り拳を作る。

「……シルリーン、シヌノカー」

「俺と繋がってるから、状態もわかるだろ?俺が死ぬと魔力の供給が止まるから、充電が切れたら千里くんも道連れだ。ごめんな」

「キニスンナー」

 なんで良いやつだ、千里くん。できれば長生きしてほしかったが、物理的に無理で申し訳ない。

 しかしこれで、心残りになりそうな問題が解決した。

 俺は晴れ晴れとした気持ちで、ルーチンワークに戻ったのであった。

次回第七話は10月22日17時更新です,

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